2022.10.4.Tue
今日のおじさん語録
「役者というのは、行をする者、自分というものをよく考え、見極める者のことやと思う。(藤山寛美)」
時計芸術研究所
連載/時計芸術研究所

【プロローグ】
時計とは楽しむものだ

文/松山猛

『ぼくのおじさん』の読者は知らないかもしれないが、1970年代には絶滅寸前と言われていた機械式時計の魅力にいち早く気付き、ブーム再燃のきっかけをつくったのが、『ぼくのおじさん』でおなじみの松山猛さんだった。その後松山さんは〝時計王〟と呼ばれ、時計好きの間では知らぬ人はいないほどの存在になるのだが、彼にはひとつだけ気がかりなことがあった。それは大好きな時計が高騰して、その世界が希少性や価格ばかりで語られるようになった昨今、これからの若い人たちが手を出せない高尚な趣味になってしまうのでは?ってこと。そこで『ぼくのおじさん』は、誰もが楽しめる時計の世界を、松山さんと研究していきたいと思う。題して『時計芸術研究所』、まずは所長の松山さんからひとことどうぞ!

時計の世界が今、思いがけないほどの熱気を持つブームとなっているようだ。

今日では、時刻を知るためのツールといえば、多くの人が持っているスマートフォンなどにとってかわられたかの感があるけれど、それでもまだ多くの人々が、腕時計を身に着けて暮らしている。

時計という物は本来の時間を知る道具という役割を超えて、その人を物語るオブジェのようにも見えるのだ。

時計の持つ魅力の本質に気づいた人々は、ヴィンテージ腕時計の良いものをコレクションし、機械式時計の世界が持つ奥深さを、楽しむようになった。

ぼくなどは1970年代に始まった、クオーツ時計の世界に圧倒され、従来の機械式時計がやがては、消えてしまうのではないかという危機感を持ち、いくつかの機械式時計を手元に置こうという気持ちで、時計収集を始めたものだった。

しかし機械式時計はやがて不死鳥のように甦ることとなり、再びたくさんの時計ブランドや、個人で時計をつくる独立時計師たちの手によって、すばらしい時計が世に送り出されるようになったのだった。

そのことは誠に喜ばしいことではあったが、しかしその一方で、時計の世界がブーム化し始めると、ある人たちは時計の投資価値に注目するようになり、ある種の時計を手に入れることが、投機的なゲームのようになっているという現状がある。

そのために特定の時計ブランドの製品が、驚くほどに高価なものとなり、定価の数倍もの価格となるほどに加熱しているという。

これから時計を楽しんでみたいという、若い人たちには、この投機的ブームで高騰する時計は、あまりにも高嶺の花と化してしまったようで残念でならないと思う。

だが時計の世界にはいろいろな歴史が重なっていて、探してみれば案外リーズナブルな価格で、楽しませてくれる時計もあるはずだ。

たとえば1940年代から50年代にかけて、大量につくられたアメリカ製の腕時計などは、その数が多いから、まだそう価格が高騰はしていないように思える。

歯車とゼンマイでコチコチと時を刻んでくれる、いとしい腕時計を、いかに楽しみながら探してみるかをテーマに、この『時計芸術研究所』を開設することにした。

機械式時計の深淵な世界を、さあ一緒に楽しんでみよう。

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