2024.3.5.Tue
今日のおじさん語録
「人間は言葉でできていますから自分自身を言葉にしてみるととてもスッキリするのです。/伊丹十三」
時計芸術研究所
連載/時計芸術研究所

世界が認めた修理の匠!
山田喜久男さんと考える
「本当にいい時計って
なんだろう?」

撮影・文/山下英介

機械式時計がかつてないほどのブームになっている昨今だが、一方で松山さんはひとつの危機感を抱いている。技巧を凝らした新作時計や、今はもうつくられていないヴィンテージ時計が市場に溢れる一方で、それらを修理する技術的・人的インフラが、この国にはちゃんと備わっているのか?ということだ。そこで松山さんは、自身が最も認める銀座の時計修理工房「テクノスイス」のもとへ。世界中にファンをもつ天才技術者の山田喜久男さんと、時計修理業界の現状と課題について本音で語り合ってもらった!

独学で身に着けた
時計修理の超絶技術

銀座7丁目にある「テクノスイス」の店舗兼工房には、山田さんの腕を見込んだ海外の顧客から持ち込まれる時計も多いとか。現在ここで働く職人さんは、山田さんとお孫さんのふたりだけ。完全に家族経営の工房だ。
お二方はいつからのお付き合いなんですか?

山田喜久男 もう長いですよね。実は同じ年(1946年生まれ)なの。私が2ヶ月くらい先輩だけどね。

松山 ぼくが1981年に初めてスイスに行ったとき、山田さんもいたんだよね。そのときは会ってないけど。

山田 私、ちょうどそのとき、1年くらいスイスにいたから。

修行かなにかですか?

山田 いや、当時はロンジン・ジャパンにいたんだけど、そこから派遣されて。なんでかというと、日本はモノを見る目が厳しいから、スイスから送られてきた時計でも、こっちの基準では認められないものもあるんだ。かといってそれを返品するのは事務的に膨大な手間がかかる。なら日本の技術者に検査させればいいやってことで、現地で仕事をしていたんです。

松山 当時は機械式時計はどん底の時代だったよね。

山田 そうそう、本当に。セイコーさんのクオーツがゴーンって来たからね。

お二方は、別の立場から同じ時代を見てきた、戦友みたいなものなんですね。山田さんは、どうやってこのお仕事に就いたんですか?

山田 もともと私は高校に行かないでブラブラしてたんだけど、16歳のときに年の離れた兄の友人に紹介されて、博多の時計店で働き出したの。ウチは貧乏でカネもないしさ、働いてくれって言われて。最初は時計になんて、何の興味もなかったよ。

1960年代初期というとクオーツ以前ですから、機械式時計が盛んだった頃ですね。

山田 そうそう。今考えるといい時代でしたね。メーカーも頑張って、品質のよいものをつくっていましたから。でも、博多の時計店だからあまりいいものはなくて、せいぜいテクノスとかラドーくらいのもんですよ。そういうのもあって、浅草の時計屋さんが技術者を募集しているという記事を業界新聞で見かけたのをきっかけに、上京することにしたんです。それが1968年。

松山 大阪じゃなくてよかったですね。時計の輸入商社はやっぱり東京が主流だったから。

じゃあ、時計修理の技術は博多と浅草で学んだと?

山田 いや、正直言って、私には先生がいないんだよ。

松山 山田さんは独学なんだよね。当時は機械式時計の時代だから技術者自体は多かったけど、技術のレベルそのものはあまり高くなかったから。

山田 そうそう。1年後にすぐ日本デスコ(ジャガー・ルクルトやオーデマ・ピゲなどを手掛けていた輸入商社)の技術者になったんだけど、当時の技術部長が私に色々聞いてきたくらいだから(笑)。

それで自分で勉強するようになったと。

山田 勉強っていう感覚よりも探究心だよね。メカ時計をやるためには絶対にヒゲゼンマイをマスターしなくちゃと思って、2年間は毎晩家に帰ってからこたつの上で作業してました。ムーブメントを20個用意して、順番に直してはその場でバラして、というのを繰り返すの。1個や2個だとどうやってバラしたかをすぐに丸覚えしちゃうけど、20個やってるとさすがに一度忘れるから、理屈を頭にしっかり叩き込めるんですよ。

松山 当時はもちろんインターネットはないし、教本もたいしたことなかったでしょ?

山田 もちろんもちろん。文章では絶対わからないし、自分で数をこなしてやるしかないからね。だからこれで飯を食っていけるな、と思えたのは27歳くらいのことだったかな。嫁さんをもらった頃(笑)。あとはデスコ時代にひとりだけ影響を受けたのは、昔有楽町の駅地下にあった金銀堂という時計屋さんのご主人。私はそこで初めてミニッツリピーターをやらせてもらったんだ。

松山 あそこはいいものがたくさんあったよね。

でも、山田さんが一人前の職人になったときに、まさにクオーツショックの時代が到来するんですよね?

山田 そういうこと。ただ、私はクオーツがどんなに普及しても、メカ時計がなくなるとは思わなかったけどね。

松山 でも、ぼくが時計の記事を書き始めた頃は、まさに絶望的な状況だった。初めてスイスに行ったとき、ジュウ渓谷の時計学校に行ったら、学生は3人しかいなかったんだから。東京でもいっときは時計学校がなくなっていたし。

山田 本当に。でも、今の時代はその頃とはまた違った意味で、修理屋さんの危機があるよね。なんでかっていうと、メーカーさんが部品を出さなくなった。もうこれはどうしようもない。だからうちは部品をつくれるようになろうと、ものすごい設備投資をしたわけよ。

時計をいちばん壊すのは
時計屋さんだった!?

ヴィンテージの機械式時計には修理がつきものですが、いい修理屋さんってどうすれば見分けられるんですか?

山田 そればっかりはもう、お願いしてみなきゃわかんないな(笑)。

松山 山田さんの前でこんなこと言うのもなんだけど、時計を一番壊すのって時計屋さんなんだよ。

そうなんですか(笑)?

山田 そう。直すのも壊すのも時計の修理屋さんなわけだね。

松山 時計って複雑になればなるほど壊れやすいでしょう? それを直そうとしてよけい壊す職人がいるんだ。ぼくも何回まずい目にあったか。

うーん、どこかのクルマ屋さんみたいな話だなあ。

山田 私のところは今日もトゥールビヨンが持ち込まれてるんだけど、そういうのを勉強もしないで、いきなりさあやるぞっていうヤツがいるんだよ。怖いよね。やっぱり多いのがスイスのやり方を知らないで、スイス時計の修理をしている職人。油の差し方からして違うんだっていうのに。

松山 油って言っても、何種類もあるんでしょ?

山田 すごいですよ。ブランドごとに全部違うから、極端に言ったら100種類くらい用意しなくちゃなんない。うちなんかは、それを要約して5〜6種類にまとめてるけど。

よく考えたらテイストの違う色んなブランドを修理できるってすごいことですね!

山田 国によって設計理念が違うわけだからね。だからスイス時計だけじゃなくて、ドイツのランゲ&ゾーネなんかにも、ずいぶん勉強させてもらいましたよ。

アイデアだけでつくられた
時計は危険だ!

山田 いや、私も60年この仕事やってるけど、まあ本当に時代は変わってきてるよね。

これほどまでに注目されている時代は初めてですかね?

山田 でもね、注目され方が違うんだよな〜。いやね、確かに機械式時計は面白いとは思いますよ。でも私がメーカーの外に出て思ったのは、いかに複雑な時計が世の中に溢れているか。これ思うんだけど、誰が修理するの?

開発するときは、あまり修理のことまで考えていないということですか?

山田 アイデアだけでつくっちゃうんだよ。テンプ1個外すために自動巻き部分を全部外さないといけないような時計とか。修理屋さんからしたら、何これ?って思うよね。こないだとあるメーカーの設計の人に「修理のこと考えてなかったでしょ?」って聞いたら、「全く考えてませんでした」だって(笑)。

松山 先のことなんて考えずに面白ければいい、という考えはちょっとあるよね。でも、H.モーザーみたいに、テンプだけ取り外せるようにつくってる時計もあるじゃない。

山田 ああ、H.モーザー。あそこはガンギ車をゴールドでつくったりするからな。あれには頭にきたよ(笑)。だってすぐ擦り減っちゃうんだから。いや、向こうは減ったら交換すりゃいいって考えてると思うけど、こっちはどうすりゃいいのよ。そもそも交換部品がないんだから。

松山 あと、シリコンについてはどう考えてますか? 磁気の影響を受けづらいとか変形しにくいとかで、ここ15年くらいよくパーツに使われているけれど。

山田 ああ、シリコンね。私触りたくない。

松山 大量生産できるメリットもあるけれど、結局部品を出してくれないからね。

山田 これが本格的に出回ったら、私たちのような修理屋は全く手が出せなくなる。鉄ゼンマイなんかだったら曲がってたらすぐに修理できるけど、それをシリコンでやったらすぐにポキンと折れちゃうんだから。

若い頃はこたつの上で作業していたという山田さん。現在は背中をかがめずとも細かい作業がしやすい、自身が設計した作業台で仕事をする。

松山 たしかにぼくも、シリコンに関しては手放しにいいとは言い切れないんだよ。

今売れているもの、すごいと言われているものが、数十年後にどうなるかがわからないということですね。

山田 そう。機械式時計って100年から120年はもつわけじゃないですか。でも、その部品が100年後になくなっていたらどうするのって。私、対応できないと思いますよ。パテック フィリップなんかはずっと持ってるって言うけどさ。他のブランド、特に新興ブランドはどうなるかわかんない。ピエール・クンツなんてレトログラードの名手で、すごいアイデアを持っていたけど、すぐにいなくなっちゃいましたからね。

松山 彼、今どうしてるんだろう。

山田 ジュネーブの市議会かなんかで議員をやっていますよ。昔、彼の時計の構造上の欠陥を指摘したら絶句してたけど(笑)、ひとりの人間のアイデアって、何個続くかわからないじゃないですか。

やっぱり時計の歴史の中では、構造上の失敗作もあるんですね。

松山 山ほどありますよ。触っちゃいけないのが。ぼくなんか、時計についてのトークショーでは、「どんなに高い時計でも絶対壊れますから」って言うからね。それは絶対に伝えてあげないといけない。でも、「いい時計は直すことができますよ」とも言うけれど。

山田 高いから壊れないってことはないんだよね。

そういう意味で、信頼に足るメーカーってどこなんですか?

山田 ロレックスなんかはしっかりしてるよね。つくり方が特殊じゃないから。

なるほど、メーカーとしては永久保証ではないけれど、いろんなところで安価に修理できるという。

山田 コンセプトが違うんだろうな。これはあくまで実用時計だから、芸術性云々を謳っていない。時間がしっかり合って防水性がちゃんとしてればいいんだよね。あとはジャガー・ルクルトはしっかりしてると思う。

結局メーカーが部品を出さないというのは、メンテナンスを自社だけでやろうという潮流なんですか?

山田 そうだね。昔は時計を売るためのメンテナンスだったんだけど、今は時計と修理、別個で稼ぐ仕組みになっているから。全部抱え込むということだよね。

松山 ただ、修理職人にとっては夢のない時代になってきましたよね。

山田 本当にそうだね。特にメーカーの技術者さんたちにとっては。もう完全に線引きされていて、これより上の修理は全部スイスに送れってことになっちゃうから。その後はぜんぶ本国の言いなりで、こっちのコントロールは全く効かない。びっくりするよ。もうお前たちはやるなって感じだからね。

松山 いつ戻ってくるかわかんないし、修理代もべらぼうに高いでしょ。

山田 私なんかはスイスに派遣されて勉強したわけだけど、今は向こうから技術者が来て教えるんだよね。そっちのほうが効率がいいから。

松山 でも、ある程度のところまでしか教えないんだよね。

山田 そう。それじゃ向上心が育たないよ。だから私は、メーカーの修理だからいいとは決して思わない。

テクノスイスさんには、そうやって今のメーカーでは直せなくなった時計が持ち込まれるわけですよね。

山田 そういうこと。メーカーじゃできないことが、うちにはできるんだ。

松山 スイスに匹敵すると思うよ。

山田 自分ではそこまで言えないけど、確かにひとつあたりにかける時間はものすごく長いかな。でも、そのコストをそのまんまお客さんに請求できるかっていうと、そうでもないよね。そこがちょっと苦しいところ。だからそのあたりをみんなにわかってもらいたいかな。松山さんの発信力に期待してね(笑)。

時計職人に必要なのは
努力を努力と思わない才能だ

山田さんがこの仕事をやられていて一番楽しいことって何ですか?

山田 お客さんから預かった時計の悪いところを見つけて、それをどうやって、どんな道具を使って直そうかって没頭してやるのが、面白いよね。しかもこっちはお金もらってるのに、ありがとうって言われるんだよ? こんないい商売ないですよ。まあ、本当に細かい仕事だから、誰でもできるわけじゃないんだけど。

時計修理職人の素養ってなんですか?

山田 あっちこっち考えないで、自分の仕事に没頭できることだね。

向いてない人もいるわけですよね。

山田 当然いますよ。やっぱり努力が必要だし。・・・ただ私、みんなに言うんだけど、努力した記憶がないんだよね。

松山 それは幸運でしたね(笑)。

山田 だから、持って生まれた何かが私には備わっていたのかもしれない。

山田さんは16歳からこの仕事をやられているわけですが、職人として油が乗ってくるのって何歳くらいなんですか?

山田 まあ、35から40歳くらいだろう。やっぱり50歳くらいになると眼が悪くなってくるし。でも私はそういう意味でも親に感謝なんだけど、いまだに新聞の細かい文字が裸眼で読めるからね。

松山 フランク・ミュラーも若い頃はルーペがいらないって言ってた。だから視力というか、見る力も大切だよね。

弟子志願者はいっぱい来るんですか?

山田 まあ来ますけど、うちはちょっと特殊だから。現行品はほとんど来ないから、単なる分解組み立てができますじゃあ、お呼びじゃないんだよね。

じゃあ、ある程度技術がある人じゃないと。

山田 そう。もっといえばあの卓上旋盤が使いこなせないとダメだね。ネジ1本からつくるんだから。私、スイスに何十回も行ってるでしょ。そうするとどこに行ってもこの旋盤があるんだよ。これで天真(テンプの中心軸)をつくるんだから、びっくりするよ。

時計を修理する上ではなくてはならない、工作機械の数々。ときとして髪の毛よりも細いドリルを使用し、歯車の調整やネジなどのパーツをいちから製作するという。写真上はスイス製のシャブリンという、歯車をつくるための超精密旋盤。
今はこの工房は、山田さんと後継者であるお孫さんのふたりだけが働かれているわけですね。お孫さんである記一(のりかず)さんは、どうしてこの仕事に就いたんですか?

山田記一 この仕事をやる前は、時計で頭がいっぱいでぜんぜん遊んでくれないおじいちゃんでした(笑)。ある意味では背中を見て育ったとも言えますが。そうした中で、会長のように時計のパーツをつくれる技術者が日本にはほとんど少ないということを知って、私もそのひとりになりたいと思い弟子入りしたんです。会長のすごさは、この仕事を始めてから日々実感していますね。この旋盤を使いこなせるのは、日本でも会長くらいじゃないですか?

尊敬する祖父の跡を継ぐために転職したという孫の記一さんは、現在27歳。

山田 これは時計職人の世界ともまた違うからね。

やっぱり自分の青春時代をを時計に捧げてきたからこその境地なんでしょうね。

山田 もう、すべてを捧げたね。そうして10年やって、やっと一人前になれたから。だから今まで遊ぶこともほとんどなかったし、まず友達がいないね(笑)。この歳になっても、一杯飲みにいくような相手もいないんだ。

松山 今度行きましょう(笑)。

山田 それはいいね。さすがにこの年になったから、もうちょっと余裕があってもいいと思うんだけど。

ご趣味とかはないんですか?

山田 ビデオカメラが好きかな。デジタルとアナログふたつ持っているから、ヨーイドンで撮って動画を見較べたりするんだけど、やっぱり私はアナログが好きだよね。テープで見る映像って荒いけど落ち着くんだ。

やっぱりご趣味も普通の人とはひと味違いますね(笑)。

松山 何を撮るんですか?

山田 花ですよ。山梨の一本桜。時計とは全く違うよね(笑)。


テクノスイス

パーツを自社で製作できる、世界トップクラスの技術を誇る時計修理工房。メーカーよりもずっと短納期で、しかもリーズナブルなのも嬉しい。他店で断られた複雑時計の修理は、ぜひこちらに相談してほしい。

※テクノスイスは2023年8月末日より、埼玉県さいたま市に工房を移転致しました。詳細はHPに掲載されている「お問合せ」よりお願いいたします。

住所/埼玉県さいたま市南区大谷口1758

TEL/048-714-0494

予約制

山田喜久男

テクノスイス代表取締役会長。1946年佐賀県生まれ。16歳で時計職人の道に進み、その後ロンジン・ジャパン(現スウォッチ・グループ・ジャパン)やワールド通商などで、様々な名門ブランドの時計修理を担う。スイス本国での技術研修を経て、トゥールビヨンやパーペチュアルカレンダー、ミニッツリピーターなどの修理も習得。その技術は世界一とも評される。2009年に独立し、株式会社テクノスイスを設立。

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