2026.6.27.Sat
今日のおじさん語録
「高いところへは、他人によって運ばれてはならない。/ニーチェ」
味のマエストロ
11
連載/味のマエストロ

境をつくるな、
空っぽで生きろ。
「職人館」の父娘が
ぼくたちに教えてくれる
食べること、着ること、
生きることの哲学

撮影・文/山下英介

食べることは、生きること。 本当はいたって当たり前のことだけど、食文化がいっときのトレンドとして消費され続けている現代社会は、この真理とは最もかけ離れた世の中なのかもしれない。 そこで「ぼくのおじさん」は、長野県佐久市の山里で、お蕎麦をメインにした〝いわゆる〟古民家レストラン「職人館」を営む北沢正和さんと、その娘でありファッションブランド「Cuilor(クイラー)」をデザインする織恵さんを訪ねた。 ちなみにここで〝いわゆる〟と書いたのは、「職人館」で出している料理やその活動が、普通の蕎麦屋や郷土料理店、そして創作レストランとはひと味違ったもので、うまくジャンル分けできないから。 その答えは、読んでくれた皆さんに委ねたいと思う! ふたりの生き方と暮らし方から、衣食住の健やかなあり方を考えてもらいたくて、この記事をつくりました。せひ読んでみてください。

人生に必要なことは
「モッコ担ぎ」で学んだ

長野県佐久市、八ヶ岳北麓の静かな農村にぽつんと佇む古民家が「職人館」。オープンした1992年頃は、まだ新幹線や高速道路もなかったという。オーナーの北沢正和さんとともに厨房に立つのは、娘の北沢織恵さん。
今日いただいたのは「山里にきけ膳」というコース料理。はじまりに出されるのは、この村で育てた豆だけでつくられる、滋味たっぷりの豆腐。近隣で摘んだという野草のアクセントが効いてるな〜!
うわっ! このお豆腐、美味しいですね。大豆の甘味だけで十分いけちゃう感じです。

北沢正和 これは「さといらず」っていう豆で、砂糖がいらないくらい甘いって意味なんだけど、近所のおばちゃんグループにつくってもらってるんだ。

この近所でつくられているんですか?

正和 全部そう。食材はこの村の中のものしか使ってねえ。上に乗ってるのは山の実山椒だよ。

地元で収穫された野菜は当たり前ながら無農薬。瑞々しさが段違いだ!
これも食感がいいなあ。もともと北沢さんは、このあたりで生まれたんですか?

正和 そう。ここはもともと俺のじっさまの家で、もう百何十年も前に建ってるから。じっさまは村長とか、でっけえ材木商やったりしてさ。自分じゃ酒ひとつも飲まなかったけど、材木商でひと山当てたら、山田温泉の旅館を借り切って芸者衆を全員呼んで、世話になった人夫さんをひとり残らずもてなすような人だったそうだ。俺は小せえときに茶道、花道、香道、剣道、柔道、合気道、ひととおりの道ってもんは、じっさまに言われて体験してみただ。

「職人館」オーナーの北沢正和さんは1949年生まれ。いわゆる農家レストランの先駆けとなった「職人館」には、今や世界中から料理のプロが押し寄せる。語り口こそ素朴だが、紡がれる言葉はとことん深い。まさに村の哲学者だ。
そこで教養を身につけられたんですね。

正和 いや、俺は学校なんつうものは嫌だったから行かなかったし、教養なんてものはねえよ。山奥のダムの工事現場でアルバイトして、モッコ担ぎの仕事から「自立と協同」の関係を勉強したんだ。

「モッコ担ぎ」ってあの石とか土砂とかを運ぶやつですか?

正和 モッコ担ぎって、天秤棒をふたりが両側から担いで石を運ぶじゃねえか。一方が片方を支える、それが自立。だから石ひとつ運ぶのだって、共同の関係が生まれてはじめてできるわけだよな。徹底的に両方が自立するから、共同の関係が生まれて、石がひとつ運べる。地域のなかだってそうで、ひとりひとりが徹底的に自立するから、共同の関係が生まれると思うよ。ただ、なんとなく仲良しじゃダメだ。

いっとき肉体労働をされていたと伺いましたが、その後は役所勤めをされるわけですよね?

正和 間違えてへえっちゃったわ(笑)。だから40歳ちょっとで退職しちゃったよ。ゆくゆくは自分でなんかやるっつうふうに思っていたけど。役所ではいろんなことやったわ。企画や開発が主で、スキー場とかゴルフ場とか住宅とか工場団地とか、別荘だとか、温泉の仕事だとかさ。

日本の手仕事が
喪われた時代に

こちらは野生のきのこで出汁をとったスープ。植物性だけど、まるでコンソメのように深みのある味!
役所の仕事をしながら、執筆活動もされていたんですよね? 長野県のさまざまな職人さんへのインタビューを一冊にまとめた本『なりわい再考』(1984年)はぼくも持っていますが。

正和 もともと俺は柳宗悦の民藝美論や、森下敬一って先生のもとで自然医学っつうか、食で健康に生きる勉強をやったからさ。全部独学だけど。

この本に登場する職人さんや工房は、もはやほとんど残っていないんですよね。今となっては本当に貴重な資料だなあ。

正和 ぜんぶ人のご縁だなあ。1980年代は大量生産と大量消費の時代だったけど、もともと日本の本来の仕事って逆でねえか。小規模で自立して質の高えものをつくるってさ。それが稼ぎにならねえということで、いつの間にか全く逆のものになってしまった。今はいくらか違ってきたけど、日本の学校教育って、俺らみたいな職人仕事や農林漁業じゃなくて、テストで一番とって東京の企業に就職するっつうことを教えてきたんだから。そうやって日本の手仕事はどんどんなくなっていっちゃったんだ。この本は、たまたま知り合いの社長が出版社を始めて、雑誌の連載やってくんねえかということで、つくったんだ。

正和さんが昭和の終わりに長野県の各地で暮らす職人たちを訪ね歩き、彼らの貴重な証言を残した書籍『なりわい再考 聞き書き 昭和の手仕事職人』(地湧社)。今でも入手可能なので、ぜひ読んでみよう。
じゃあ、役所の仕事の傍らに取材されていたんですね。

正和 今みてえな小せえICレコーダーなんてねえし、昔のでっけえテープレコーダーなんて持ってったら、昔の職人さんが話なんてしっこねえ。だから俺はさ、カメラ一丁持って手ぶらでひょこっと行っちゃあさ、おっさんたちの話、一生懸命頭に叩き込んでさ、簡単なメモとるくれえで全部再現した。

それはすごい!

正和 だいたいこういうテープレコーダーみてえなものに頼るとさ、覚悟に欠けるわな。また聞き直しゃいいって。

・・・ICレコーダーどころかiPhoneの録音アプリなんですけど、身につまされます(笑)。ライターやジャーナリストの道に進むような選択肢はなかったんですか?

正和 いろんな話がいっぱいあったさ。でも俺、国語の文法なんて何も知らねえぞ(笑)。こういう本はけっこう書いてはいるけど、文章修行なんてしたことねえだしさ。

やっぱり読書は好きだったんですか?

正和 本は好きだよ。とんでもねえ量の本持ってるけど、年重ねて生きちゃったんで、その処分をどうするか考えてるけどさ。

好きなジャンルとか作家はいるんですか?

正和 小説っつうもんはあまり読んだことねえな。哲学の本が多いな。内山節(うちやまたかし)つう哲学のおっさんは大したもんだと思うな。

生きることは自分をなくして
無我になる修業

目にも体にもうれしい、新鮮な野菜を使ったサラダ。甘い味、酸っぱい味、苦い味が重なり合って、噛み締めるごとになんだか嬉しくなってくる。上に乗っているのはビーツのソースで、豆乳や手絞りの菜種オイルが使われている。編集人の写真の腕ではその彩りを表現しきれないから、ぜひ実物を見てほしい!
それで、こういう本をつくっているうちに、独立志向が高まってきたというわけですか?

正和 やっぱり人がいくらかでも喜んでくれることをしたり、具体的にものをつくったほうがいいわな。ただ、なんでも俺は早くて失敗してるなあ。今でこそみんなローカルレストランとかガストロノミーとかやってるけどさ、俺が始めたときは逆でねえか。フォアグラ、トリュフ、キャビアとか、海外のものならなんでもいいっつう時代だからさ。ただ俺は自然医学の勉強をやってたから、やっぱり日本人は米食べて野っ原で採れる野菜食べてる方が、体のためにはいいわなって。

創業時と今では、出しているものは違うんですか?

正和 かなり近いけど、俺もいろんな人とのご縁があるからさ。だってこの地元で採れる食材が活きて、健康のためにいい料理法ならばさ、なにもイタリアンだ、フレンチだ、中華だって、〝境(さかい)〟をつける必要なんてねえじゃねえか。だから俺はいろんなシェフの皆さんとのコラボでいっぺえ色んな仕事をやってきたけどさ、境をつくる必要はなにもねえと思うがな。

境ですか。

正和 料理だけじゃなくて、毎日生きることや、人と人の関係自体が、境をいかになくすかが大事だと思うんだけどな。「ぼくはぼく」「わたしはわたし」じゃなくてさ。もっというと、自分をなくすっつうことが生きるっつうことなんじゃねえかな? ところがさ、今じゃみんな個性だのなんだの、あらゆる分野で境をつくることばっかじゃねえか。俺は境なくしてったほうが気が楽だと思うがな・・・。仏教のいちばんの到達点は「無我」っつうけど、それって自分をなくして自然や野っ原に溶け込んじめえって話だと思うんだがな。

とはいえこんなお店はほかにないから、当然いろんなところから「東京にお店を出しませんか?」みたいな話は来ますよね?

正和 山ほど来たよ。ビル持ちの知り合いもいっぺえいたからさ、「キタさんがぼくのビルでやってくれりゃあ、わざわざこっちにこなくてもいい」なんてさ。でも山猿が山ぁ離れちゃ生きていかれねえだわって、ずっとお断りしてきたよ。

やっぱり物理的な距離が料理に与える影響は大きいんですかね?

正和 『風土が料理人』っつう本も、詩人の谷川俊太郎さんと対談したりして書いたけど、そこにある風土のなかでさ、無理しねえで生きていくのが一番いいわけだからな。だから俺、自分でも料理人だなんて思ったことねえしな。

ご自分ではなんだと思っているんですか?

正和 なんでもねえ。山里で生きてる山猿だよ。

なるほど(笑)。

正和 だからみんな人のご縁で生かさしてもらって、ありがたいことだよ。ただ、俺のお袋の教育の影響は大きいかもしんねえな。

お母さんのことですか?

正和 お袋は着物の仕立ての名人だったんだけど、勉強しろなんて一度も言われたことなかったよ。教えられたのは「正和、着物っつうものは裏地が大事だ」ってこと。つまりなんの仕事だって同じで、目に見えねえところに一番気ぃ遣えって話だな。料理なんて皿に盛っちまえばどんな調味料使ったってわかんねえけど、俺の料理は塩も味噌も油も全部特注だし、そういうものにこそ気をつけなくちゃなんねえな。

「職人館」で使われている特注の塩や醤油などは、お店で販売もされている。

フィレンツェで気付いた
故郷の魅力

蕎麦の実や玄米、ガンクイ豆などに、旬の野菜を加えたクリーミーなリゾット。ひと口でいろんな食感が楽しめる。
さて、そんなお父様のもとで、娘の織恵さんはどんな教育を受けて育ってきたんですか?

織恵 はっきり言ってウチは子供の頃、店を始めたばかりですごい貧乏だったと思うんですが、父と母に感謝しているのは、子供扱いされなかったことかな。お寿司屋さんに連れて行ってもらうときもカウンターだったし、お皿だって全部作家さんがつくった本物だけ。母には小学生の頃からJUNKO SHIMADAの洋服を着せられていましたし(笑)、着るものと食べるものに関しては、お金を惜しまず育ててもらいました。父親の前でこんなこと言うのは恥ずかしいけど、すごく大好きなんですよ。

やっぱり食育的なものも叩き込まれながら育ったんですか? 

織恵 小さい頃から白い小麦粉や砂糖は食べるなと言われてきて(笑)、思春期の頃はすごく反発してめちゃくちゃ食べまくったこともあるんですけど、今としてはそのおかげで自分が健康でいられるわけですからね。

子供にとってはコーラや駄菓子のほうがご馳走ですもんね(笑)。

織恵 実は小学生の頃に事故で開頭手術を受けたことがあるんですが、いいものを食べさせてもらっていたおかげで血液がサラサラだったみたいで、奇跡的に一命を取り留めたんです。それで学校を休んでいる間に母の行きつけだった小さな喫茶店に連れて行かれたんですが、そこのマスターが私の顔を見るなり、「君は将来ファッションでイタリアに行くよ」と言ったんです。当時はそんなこと一度も考えたことなかったけど、なんだかその頃から導かれていたような気もして。

織恵さんは数年前までイタリアに住まれていたんですよね?

織恵 そうなんです。もともと文化服装学院を卒業して芸能関係のスタイリングをしている師匠についたのですが、あまり自分には合っていなくて、すべてを捨てて海外に行こうと思ったんですよ。ただ両親は「語学だけじゃなくて、手に職をつけてから帰ってこい」という方針だったもので、イタリアを選んだのは、ふたりを説得する意味もあったんです。なので料理を勉強するという名目でフィレンツェに渡ったのですが、3年後にはまたファッションの仕事に戻りたくなって、現地でスタイリスト活動をする傍ら、「トレンチ」という老舗のセレクトショップで働いていました。クラウディオというオーナーからウィンドウディスプレイのつくり方を学んでからは、フリーとしてほかのショップでもディスプレイをメインに働けるようになったんです。

正和 アコーディオンのcobaさんの影響もあったよな? もともとcobaさんは蕎麦が好きでうちに食べに来てくれていたんだけど、偶然ファンクラブのお姉さんもうちのお客さんで、そこから色々なご縁ができて。

織恵 スタイリストの仕事も東京の生活も肌に合わなくて、青山のオフィスから初台の自宅に歩いて帰る道すがらに、深夜2時くらいに泣きながらcobaさんに電話したんですよ。そしたらcobaさん、「これからワールドツアーでイタリアに行くから、織恵ちゃんも一緒に行かない?」って。それで着いて行ったら、なんとアンコーナの片田舎に放置されたんです。「じゃあぼく、これからツアーだから」って(笑)。それから2週間くらい、cobaさんの知り合いでアグリツーリズムを運営している方にお世話になったんですが、ファビオさんというその方がなぜだか父に似ていて、このおおらかで楽しそうに生きている人たちのことをもっと知りたい、と思いました。そんな経験もイタリア生活に繋がっていったのかな。

正和 ほら、これは村の中力粉と蕎麦粉を使ってフライパンだけで焼いたフォカッチャ風のパンだ。うちにはオーブンがねえからな。

うーん、これはイタリアのフォカッチャとはまた違う、初めての食感です! 

正和 今日はしっとり型にしたけど。ここにしかねえもん出さねえと、わざわざ訪ね来てもらう意味がねえからな。

織恵 上には私がつくったフェンネルとアンチョビが乗ってます。私、フェンネルが大好きで。

蕎麦粉の味わいをじっくり楽しめる、甘みのないパンケーキ・・・といった趣の一皿。織恵さんによるトッピングがたまらないアクセント!
オイルでディップしながらいただく、バーニャカウダ的一皿。奥のソースにはアンチョビではなく味噌が使われている。
やっぱりイタリアにいただけあって、アレンジがお洒落だなあ。でも、ぼくも年に2回は通っていましたが、フィレンツェの人って口が悪いから、一緒に働くのは大変ですよね(笑)。

織恵 そう! イタリアのなかでもフィオレンティーナはみんな口が悪くて、イエスノーがはっきりしてて悪口だって堂々と言ってる(笑)。「トレンチ」のオーナーだった師匠のクラウディオも本当にひどくて、いつも無視されたり、ボロクソに言われてましたよ。でもそういうノリが、不思議と私にとっては居心地が良かったんですよね。

でも、そんな性に合っていたイタリアから、どうして日本に帰国されたんですか?

織恵 昔から父と母を通して職人の世界に親しんできましたが、イタリアで10年ほど働きながら日本のことを想ったときに、はじめてその素晴らしさに気づいたというか。働いていたお店もコム・デ・ギャルソンやヨウジヤマモトのような日本のブランドを扱っていたし、イタリア人の友人からも「もっと日本のよさを知った方がいいよ」と言われたりしたことで、やっぱり私は日本で暮らしたほうがいいんじゃないか、と思ったんです。そんなときに今の旦那と偶然出会ったことで、日本でブランドを始める決心がつきました。

旅行レベルだったとしても、海外で日本のよさを実感することって、ありますよね。

織恵 あとは、まだ私は父と母から教わり切れていないこともあると思ったんですよね。もし私がイタリアに居る間に父や母に何かがあったら、きっと後悔するだろうなって。めちゃくちゃ文句も言うしケンカもするけれど、心から大好きな自慢の父と母ですから・・・。よかったら私のブランド、見ていきませんか?

食もファッションも
不均一こそが美しい

職人館の2階いっぱいに広がる、織恵さんのショップ空間。ご自身のブランド「Cuilor(クイラー)」の洋服をはじめ、帽子やバッグ、ベルトといった雑貨類が展開されている。土日祝日のみのオープンなのでご注意を。
うわあ、都心では絶対に望めない贅沢なショップ空間!

織恵 「Cuilor(クイラー)」というブランドで、私が「職人館」を手伝える週末だけオープンしています。こういう場所で自分の好きな服をつくれて、めちゃくちゃ幸せですよね。ぜひ、ここの光を通して洋服を見てください!

ユニセックスのものが多いんですか?

織恵 そうなんです。どんな体型の人にも着てもらえる服をテーマにパターンを引いているのですが、人に服を着せる仕事をやっていたもので、肩の収まりに関しては自信があります。なのでクローゼットはほとんど夫と一緒で、毎日洋服の取り合いです(笑)。でも、こんな時代だからこそ人間にしかできない仕事をしないとね。

生地も縫製もかなりのクオリティだと思います!

織恵 もともとうちの夫は生地のスペシャリストだったんです。生地はほぼ国内の機屋さんに別注したオリジナルで、このTシャツにはすべて極細の手摘みコットンを使っているんですが、厨房で汗びっしょりになってもサラッとしてて、最高ですよ! あとこのエメラルドカラーのジャケットは経糸と横糸で違う色の糸を使い織っているので、光を通したときにすごく光沢が綺麗なんです。これは袖口の折り返し方に秘密があって、手が長い人でも短い人でも仕立て直さずに着ることができる。うちの作品はジャケットもパンツも、ぜんぶそんな考え方でつくっているんです! ・・・ごめんなさい、私ちょっとテンション高すぎますね(笑)。でも私も職人さんも一生懸命つくってるから、細部まで見てくださる方とお話ししていると、つい泣きそうになっちゃう。

着こなしやすいシンプルなデザインながら、上質な生地と細部の独創性が光る「Cuilor」の洋服。スベスベな肌触りのTシャツや、光の変化によって色が変化するシャンブレー生地のカバーオールは、編集人のお気に入りで、パートナーとシェアしながら着ている。決して安いものではないけれど、このクオリティの生地と縫製で仕立てたカバーオールで4万円台という価格は、かなりリーズナブルだと思うな!
全然大丈夫です(笑)!

織恵 うちでは間伐材を使った原木染めのTシャツも扱っているんですが、京都の丹後にある「大江」さんという会社が手掛けていて、木とお湯だけで染めたものなんです。この染料は消臭効果がすごくって、魚料理をつくった後でも、かけるとすぐに臭いが取れるくらい。染めだけに丸1日かかったり、使用する木材もその時期によるので一定じゃないのですが、その不均一性こそがむしろ格好いいと思うんですよね。私、料理もファッションも、不均一であることが好きなんです。

今年第一子を出産したばかりの織恵さんだが、土日は料理とショップ運営と育児で大忙し!
確かに、クラシックで風合い豊かな天然素材と、モダンなデザインの組み合わせは、どこか「職人館」の料理を彷彿させるなあ。でも、この生地と縫製のクオリティの割には、かなり価格はリーズナブルですよね?

織恵 数もそれほどつくれないのにね(笑)。とても頑張っているので、そういうふうに言ってもらえると本当に嬉しいです。

ファッションに関してはお母様から影響されている部分も大きいんですかね?

織恵 母は機織りや草木染めの作家で、だから私の名前は「織恵」なんです。本当にセンスがいい人で、「職人館」の内装をデザインしたのも母だし、今でも毎日花を生けてくれています。父はまるで掃除ができないタイプなので(笑)、母と私と20年くらい来てくださっている掃除のプロの方がいないと、ここは成り立ちませんね。

織恵さんのお母様である北沢啓子さんは、草木染めのホームスパン作家として知られた存在。この日はお会いできなかったが、「職人館」のそこかしこから、啓子さんの豊かな感性と、おもてなしの心を感じられた。

理屈よりも本物から学べ

お〜。そうこうしているうちにお蕎麦がゆであがってきましたね!

正和 いちおう蕎麦屋だからさ(笑)。

やっぱり鮮やかな手さばきですねえ。

正和 俺、いろんなところで修行したけどさ、そのときはひとりで300人から400人前打ってたから。6キロ玉を30分以内で打たねえと間に合わねえから、山ほど打った。俺、とにかく仕事は早ええだ。

村内産の玄蕎麦を石臼で挽いた蕎麦粉を使った2色蕎麦。奥が全粒粉を使った挽きぐるみで、手前が蕎麦の実の芯の部分を使った御前蕎麦、いわゆる更科そばだ。グルメでない編集人はこの味を表現する言葉をもたないのだが、つゆどころか塩がなくてもいいくらい蕎麦の味が深い。
うわあ、これは美味しいです! 田舎蕎麦はもちろんですが、更科でもこんなにお蕎麦の風味を感じられるんですね・・・。

正和 このあたりは昼間はけっこう温度上がるんだけど、夕方からはすごく下がるからさ。その差で結構甘みが入るだよな。ここの風土が恵んでくれる食材はみな上質でありがたいよ。まあ、ここでやってりゃあ料理人はいらねえな(笑)。

いやいや(笑)。でも、織恵さんは自由に生きてて、いいですねえ。

正和 勉強しろなんてことは一度も言ったことねえけどな。自分が何の仕事をして生きるかは、自分で決めることだしさ。うちの子供は、兄貴はどっちかというと〝学究派〟で、娘は〝感覚派〟だなあ。上の兄貴のほうは4年間理科大に行って、その後東工大に入り直してまた東大の研究室に入ったりして、今は学者をやってる。こっち(織恵さん)はどっちかっつうと感覚で生きてるほうだけど、分野は違えど自分の好きでやってるよな。

「職人館」には小さい頃から出入りしていたんですか?

織恵 私はぜんぶ感覚で生きてます(笑)。小さい頃から色の世界が好きだったから、今の仕事につながっているのかな?

こちらはなんと、織恵さんが小学生の頃に描いた絵。やはりただものではない!
「職人館」には小さい頃から出入りしていたんですか?

織恵 小学生から一緒にやってました(笑)。

父親としては跡継ぎにしたいな〜みたいな感覚はありましたか?

正和 自分の生き方なんて自分で決めるものだもん。

正和さんは〝人に境をつくらない〟ということを仰っていましたが、そういう教育はされたんですか?

織恵 人の好き嫌いを言ってんじゃねえ、ということはしょっちゅう言われてました。なんなら今でも言われてます(笑)。

正和 自分が一番ダメだと思うくらいがいいんだ(笑)。

料理については、具体的に教わってきたというわけではないんですか?

織恵 全く教わってないです。でも父は昔から本ならなんでも買ってくれる人で、小学生の頃から「ル・コルドン・ブルー」の難しい料理書を買ってもらって読んでたし、わからないことがあったら出版社に電話してましたから(笑)。当然難しい専門用語ばかりなんですが、私も自分なりにそれを参考にしながら赤ピーマンのムースとかを頑張ってつくったりして。当時はお金がなかったはずなんですが、砂糖やバター、生クリームみたいな材料も、本当にいいものを買ってもらいましたね。そのときに父から言われたのは、「砂糖はレシピの半分くらいにしておけ」ってことでした。

正和 なんの仕事でもそうだけどさ、食い物だって着るものだって、理屈よりも〝いいものに触れる〟ってことが一番大事じゃねえか。最近じゃみんなマニュアルばっかり覚えて頭でメシ食ってるけど、頭じゃなくて腸(はら)で考え、腸(はら)で食べるのが本来の姿じゃねえかなあ。今は、山野で自立して生きる動物の視線に近づいて、日々の暮らし方を再考する時なんだと思うよ。

織恵さんの家には、食にしても家具にしても器にしても、子供の頃から本当のいいものがゴロゴロ転がっていたんですね。

織恵 もう普通にあったものなので。

やっぱり正和さんはニセモノが嫌いなんですね?

正和 有名とか無名とか高えとか安いとかブランドとかそうじゃねえとか、ホンモノだとかニセモノだとか、モノを見るのに気にしたことはねえな。自分が使ってみていいか悪いかと言うだけの話で。ただ俺は骨董の目利きだったから、昔はフランスの蚤の市に行けば旅費くらいは簡単に稼げたな(笑)。

織恵 母もセンスが半端じゃなくいい人なので、私はセンスや美的感覚は母から、食にまつわる根本的な考え方は父から、それぞれ受け継いでいますね。まあ、受け継いだなんてことを言うのもおこがましいくらい尊敬してます。

でも、教わっていないのによく「職人館」の料理をつくれますよねえ。

織恵 父はテレビこそ見せてくれなかったけど、『料理の鉄人』だけはOKだったので(笑)、一緒に見ながら、いつも「料理は組み合わせさえ制覇すればなんでもできるわ」と言われていました。その言葉を自分なりに紐解くと、料理もファッションのスタイリングも、すべては組み合わせでできていることに気が付くわけです。そういう意味では、調味料も、食材も、服も、色も、私にとっては同じなんですよ。

正和 なんの仕事だって組み合わせだけでねえか。文章や詩ぃ書くんだって、言葉の組み合わせだし。ものづくりは人とものとの関係だからさ、俺の仕事の組み合わせは3つしかねえだよ。「人と人」「ものともの」「人ともの」。今、目の前にあるこの組み合わせの中で、何ができるかだよ。

それはごもっともです! 正和さんから見て、織恵さんはなかなか筋がいいんですか?

正和 それはわかんねえけど、自分の好きなことやって生きていきゃいいわけだから。

織恵 まだ父に褒めてもらったこと、ないですね。「これいい?」って聞くと、「まあいいわ」って(笑)。

さすがスタイリスト!というくらい盛り付けも素敵ですが、織恵さんが「職人館」にもたらした影響とかもあるんですか? 

織恵 盛り付けは大好きですね。ふつう親子でこういう仕事をしていると、自然と師弟関係ができていくものですが、父は基本的に「好きにやれ」と言ってくれます。

正和 山野に芽吹き花咲く草木の一本一本が師匠だからな。

織恵 なかでもスイーツは私が昔から大好きな分野だったし、ありがたいことに勝手につくらせてくれるんです。これはおからのケーキで、小麦も一切使っていないし、砂糖も黒砂糖。基本映えませんけど(笑)。どうですか?

コースの締めは、織恵さんのセンスが爆発したおからのケーキ。甘さ控えめだけど豊かな風味で、すっごい満足感。ごちそうさまでした!
いや、ものすごくお洒落だし、美味しいですよ!

織恵 すみません。私、お客さんが食べてる前でもつい感想を聞いちゃうから、ちょっと怖いかもしれない(笑)。でも、食でも服でもこうやって実際の反応を確かめられるのがすごく楽しいんです。いつも正解が見えない中で仕事をしているので。

ちなみにリゾットとかイタリアっぽいメニューもありましたが、これも織恵さんの影響?

正和 いや、リゾットはその前から。いろんなご縁があるからな。大阪で「オステリア ラ チチェルキア」というマルケ州の料理に特化してやってる連久美子(むらじくみこ)シェフが、20年以上前に俺んところにいてくれたんだよ。彼女は俺んところで働いた後、イタリアに行って、また俺んところで1年くらい働いてさ。それで俺、彼女のパスタ打ち見てパスタも打つようになったの。蕎麦打ちのやり方で、全部手でこねて切ってさ・・・。今までいろんな料理人のお姉ちゃんや大将がここで料理研修していったけど、今じゃみんな売れっ子だよ。少なかったけど給料も払ってたし、食材や料理も食べ放題だったからよく会計事務所から注意されてたけど、これも人のご縁だからな。若い彼女や彼らといっしょに仕事をしていて、俺のほうがいろいろ学ぶことが多かったよ。

里山の美しさを
一皿に写しとる

実は正和さんがいつも着ているTシャツは、妻である啓子さんが染めたもの。
本当に境がないんですね。

正和 俺にもよくわからねえけど、昔からいろんなシェフとのご縁があるから。海外の有名シェフとも一緒に山歩いたよ。ただ最近は、フランスのシェフが日本の出汁の魅力に気づいて、いい昆布がフランスに行くようになっちまった。値段も高くなっちゃって、5倍だぞ。

そんな状況に!

正和 いいお茶も今はみんなフランスだ。

「職人館」は変わらず大繁盛していますが、世の中はどんどん変わっていきますよね。里山の環境についても、社会構造についても。

正和 それは山との関係を教えてこなかった学校の教育も考えないとな。みんなカラマツ植えたりスギ林にしたまま放置したりして、都会にばかり目を向けさせてさ。実は俺が料理人になった理由のひとつには、環境経済学への関心もあってさ。小規模で自立しながら質の高えもんをつくる人たちが、いろんな職種で、ひとつの地域に存在して、それが循環していく、ということが大事だと思うんだよね。それが地域の魅力になって、遠くからいろんな人が訪ねてくれるようになれば、さらにいい。最近はこのあたりにも若え人が移住してくれたりするから、いいんじゃねえかな。訪ねくる人に喜びを! 去る人に潤いを! こんな地域になればいいよなあ。

織恵 ファッションの世界でいうと、日本ってものすごく上質な生地の産地なんですよ。ただ価格競争の時代になってしまって、どんなにいい生地が生まれても、使ってもらえない世の中になってしまった。若い職人さんの継承者も少ないし、機屋も縫製工場もどんどん潰れています。私みたいな規模ではちょっとしか力になれないんだけど、それでも使ってさえいれば継続はできるかな、という信念で頑張っています。

娘さんの活動についてはどう思われますか?

正和 自分は自分だから(笑)。

織恵 実は私が服飾の専門学校に通っているときから、父からは「田舎からの食の発信はあってもファッションの発信はまだできていないから、お前がやってみろ」みたいなことは言われていたんですよ。もちろんこのブランドを始める前には「こんな田舎で洋服を買ってくれる人なんているのかな?」と不安ではありましたが、「職人館」のお客様はライフスタイルについてもこだわりのある方々ばかりなので、すごく理解してもらっています。これは本当に父と母の築き上げた世界のおかげなので、感謝してますね。

日本って欧米と較べるとTPOの概念が薄いので、地方からのファッション提案はなかなか難しいところもありますよね。

織恵 確かに日本にはヨーロッパみたいな正装の文化はないけれど、〝好きなときに好きなものを着る〟という意味では、とても自由なんですよね。以前東京のお客様から「ここに来ると不思議と明るい色を着たくなるよね」と言われたんですが、そういう感覚をもっと大事にしてもらいたいなって。

グリーンやイエローみたいな色を多く使われているのは、「職人館」の料理と通じるものがありますよね?

織恵 色、好きですね。

正和 なんでもそうだけど、アクセントっつうものが大事だと思うわ。俺の盛り付けの原点は野っ原をよく見ることだけど、ほら、このあたりの風景がすでに盛り付けになってるでねえか。

うーん、確かに!

正和 伝統的な日本料理には、「四角の器には丸いものを、丸い器には四角いものを盛る」みたいな、陰陽に基づいた盛り付けの基本があるよな。日本の国旗もそうだけど、四角が〝陰〟で丸が〝陽〟なわけだ。あとヨーロッパは偶数の美だけど、日本や中国は奇数の美だよな。建物だってそうだ。まあそういう基本はあるけれど、やっぱり風土をよく見て、そのまんまを皿に写したようなものが一番いいんじゃねえか。

料理とファッションには共通点があるんですねえ。

織恵 実はこういう話は小学生の頃からされていたんですが、やればやるほど全く一緒だなって思いますね。だからもうちょっとこういういい話をしてくれればいいのに(笑)、いつもケンカになっちゃうんだから・・・。

正和 親子で同じ仕事するって難しいぞ。俺の周りのシェフとかもだいたいケンカになってるわ。

織恵 まあ、まだケンカできるだけ体力があるんだからありがたいですよね。

正和 やっぱり食べるもんが大事だな。俺なんてもう77歳だもの。まわりの料理人も引退したり、体壊してる人たちでいっぱいでねえか。まあ、俺がこんなこと言ってて体壊してたら誰も信用しねえから、ある程度元気な姿を見せねえとな。

説得力ありますね(笑)。

正和 山はまだ急なところにひとりでバンバン行くしな。

織恵 私、何回か着いて行ってますが、めちゃくちゃ歩くのが早い上に放置なんで、遭難しかけました(笑)。まあ、ものづくりする人って、そういうところありますよね。

正和 山に行くときは無我になるっつうか、自分っつうもんをなくすのが一番いいわけだからさ、人と行くとどうもな(苦笑)。

いやあ、本当にすごいことやってるなあ。

正和 いちばん遅れたことやってるって(笑)。いつも空っぽだもの、なにも考えてねえ。

そんなことないですよ〜!

正和 食材だって生き方だって、マニュアルやら古臭えもんいっぱい自分の中に溜め込んでりゃあさ、素敵な人やいいものとめぐり合っても、自分の中にへえってくる余地がねえだろ? だから毎日毎日自分を無我にして、いかに空にするかっつうことが修業なんだよなあ。

職人館

職人館の住所は長野県佐久市春日3250-3。営業時間は11:30〜15:00で、火曜・水曜・木曜はお休み。

夕食はご予約の方のみ。

また、1月〜2月は不定休なので来店の際はお店にご連絡を。

「Cuilor」は土曜・日曜・祝日のみの営業だ。

気になる人は予約してから伺ってみよう。
TEL0267-52-2010

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