2022.10.4.Tue
今日のおじさん語録
「役者というのは、行をする者、自分というものをよく考え、見極める者のことやと思う。(藤山寛美)」
味のマエストロ
連載/味のマエストロ

「ベッラ・ナポリ」のピッツァは
〈イデア〉と〈テオリア〉の味

談/池田哲也
写真・構成/山下英介

世の中にある美味しいものや、その周辺に存在する文化やマナーを〝ぼくのおじさん〟たちから学ぶこの連載。第2回は、東京の下町、森下にあるナポリピッツァの名店「ベッラ・ナポリ」へ向かった。実はこちらの店主である池田哲也さんは、もともと有名なファッション評論家で、日本におけるクラシコイタリアブームの立役者のひとりでもあった。彼はどうしてピッツァ職人の道へ進んだのか? そしてそのピッツァは、どんな思いで焼かれているのか? 午後の仕込みの時間にお邪魔して、じっくりと伺ってみた。

ナポリピッツァの巨匠は
百貨店バイヤーだった

1968年生まれの池田さんは、高校生時代にファッションに開眼。膨大なフィールドワークの末に、アメカジからクラシコイタリア、サヴィル・ロウに至るまで恐ろしいほどの知識を会得した。〝ファッション変態〟とは彼のためにある言葉だ! ちなみにこの日着ているたのは、古着で購入したアンダーソン&シェパードのスーツ。ナポリ帰りのテーラーに仕立て直してもらい、抜群のフィット感に仕上がったという。
もう若い人は知らないでしょうが、池田さんはもともと百貨店バイヤーを経て、1990年代後半には服飾評論家として〝クラシコイタリア〟ブームを牽引していたわけですよね。そんな方がなぜ現在ピッツァ職人として活躍されているのか、今日は改めて教えてください!

池田 実は早稲田大学に通っていた頃、アメ横にある洋服屋の「玉美」でアルバイトしていたんですよ。あそこにはいろんな国の服があるでしょう? そうするとボタンのかがり方ひとつとっても、アメリカとイタリアとイギリスでは全く違う、とか色々と考えさせられるわけですよ。こいつは面白い、と。

「玉美」かあ! だから異常にアメトラに詳しいんですね(笑)。そこから三越に入社されるわけですが、当時の就職先としては花形ですよね?

池田 1990年当時は、まだ百貨店というものが日本人の素敵なライフスタイル像をリードしていた時代でしたから。でも入ってみたら終わってましたね。

おっと、その話は後ほど(笑)。1990年といえばアルマーニの全盛期ですが、クラシコイタリアで名高い池田さんも着ていたんですか?

池田 それなりに着てはいましたけれど、やはりもともとトラッドが好きだったので、心から欲しいとは思わなかったですね。クラシコイタリアといえば、ちょうど私が入った年に特選品売り場が改装されて、キートンやルイジ・ボレッリといった大物ブランドが日本に上陸するわけです。

おお、池田さんの大好物が。

池田 でも、売れないどころか、〝一着も〟売れなかったです。

なんと一着も(笑)! 理解されなかったということですか?

池田 上司は「こんな古着、売れるわけねえだろう」と仕入先を怒ってました。ナポリ仕立て特有の構造や手縫いの風合いは、当時の日本人にとっては理解の範疇外だったんでしょうね。でも私は古着も大好きだったから、すぐに理解できました。なんというか、非常に理にかなっているんですよ。人間の体にも合うし、もちろんイタリアの気候風土にもマッチしている。

それがイタリアとの出会いだったんですね。

池田 1992年にローマに赴任してからは、フィールドワークの毎日です。ローマのサルトリアでもよくスーツを仕立てましたが、もうすでに凋落が始まっていて、日本人の体型に合わせられないんです。それに対してキートンやチェーザレ・アットリーニといったナポリ仕立ての既製スーツは、とても動きやすい。どうして自分の体に合わせてつくってもらった服よりも、ナポリの既製服のほうが着心地がいいんだろう?という疑問から、どんどんのめり込みました。

1990年代はまだユーロ導入前で、イタリアは〝買い物天国〟と呼ばれていた時代ですよね。

池田 セールの時期になると、スーツが1万円くらいで買えるんですよ。英国製のエドワード・グリーンの靴でもセールだと9000円くらいでした(笑)。もう先進国の物価じゃなかったですよ。ナポリのピッツァの名店「ダ・ミケーレ」も、1枚170円で食べられましたから(笑)。

天然酵母を使用した手捏ねの生地は、40時間発酵させ、1週間以上寝かせてから焼きに入る。
最高の環境じゃないですか! 

池田 まあ物価が安いとはいえ、私の給料は12万円でしたから、生活は苦しかったです。しかも当時はイタリアの光熱費って、前の年の使用量から算定されていたんです。で、私が住んでいた社宅の前の住人は4人家族だったので、光熱費を毎月7万円払っていたんです(笑)。借金して出張していましたよ。

そんなに華やかな感じでもなかったんですね。ともあれ一流企業は一流企業。なんで辞めちゃったんですか?

池田 うーん・・・。当時の経営者は、「これからの百貨店は〝超専門家〟を養成するべきだ」なんて言っていたのですが、それが口先だけだってわかっちゃったんですよね。この問題は、なぜ百貨店が現在に至るまで〝日本版マイスター制度〟の創設をリードしていないのか、ということに尽きるでしょう。この国のアドバンテージをなんら生かしていない。

クラシコイタリアの伝道師から
ピッツァ修行へ!

服飾評論家として活躍していた、1990年代の池田さん。上はプーリア、下はナポリで撮られた写真だ。リーバイスのジーンズ、ボタンダウンシャツ、M-65といったなんの変哲もないトラディショナルなワードローブが、なぜだかとても新鮮に見える。
なるほど。池田さんからその話は初めて聞きました。辞めてすぐにライターや服飾評論の道に行かれたんですか?

池田 しばらく暇していたんですが、1994年に服飾評論家の遠山周平さんから「ちょっと手伝ってよ」と言われて、『エスクァイア日本版』で書きはじめたんですよね。その後創刊したばかりだった『MEN’S EX』の仕事も頂いて。

うわあ、懐かしい。日本におけるクラシコイタリアブームの火付け役のひとつが、株式会社UPUやエスクァイアマガジン・ジャパン時代の『エスクァイア日本版』でしたからね! ビジュアルも素敵だったし、当時一世を風靡したプラダのスーツはアットリーニがつくっているとか、ファッションの新しい価値観を発信していました。

池田 メンズファッションにおける、うねりのような流れは感じていました。ただ、1980年代後半にはビームスFでイザイアのスーツを売っていて、「これはエトロのファクトリーなんですよ」みたいな売り方をしていたので、ブームになる前の素地はすでにあったんですよ。信濃屋やPISAといった高級洋品店や、サージェントバーやオイスターのようなセレクトショップも頑張っていたし、降って沸いたような話ではなかったです。

そうだったんですね。でもちょっと下世話な話ですが、服飾評論でご飯は食べられたんですか?

池田 今よりも雑誌仕事のページ単価は全然高かったですし、イタリアでネクタイを仕入れて売ったりもしていたので、まあまあでしたね。とはいえ私が仕入れてくるようなものって、フライやルイジ・ボレッリのような立派なものじゃなくて、街場のおじさんおばさんがつくるようなもので、鉛筆の跡がついていたりする(笑)。なので限界はあるんですけどね。

それがなぜピッツァの道へ?

池田 まだ百貨店に勤めていたときに、ナポリのテーラーのヌンツォ・ピロッツィでスーツを仕立てていたのですが、彼の親戚がピッツェリアを十軒以上経営している一族だったんですよ。で、ナポリのピッツァは最高だよね、と褒めたら、ピロッツィが「あんなの1週間でできるよ」と(笑)。

ピロッツィといえばナポリの大物テーラー。彼らにとってピッツァというのは、お好み焼きみたいな感覚なんですかね(笑)。

池田 まさにそんな感じです。当時はサラリーマンだったので、「いつか頼むわ」みたいな感じで流していたんですが、ずっと心に残っていて。それが1999年に、名門テーラーのマリアーノ・ルビナッチ絡みのタイアップ記事で、ナポリに長期間行けることになったんです。ここでピロッツィとの約束を果たせるぞ、と。

そんなすごい仕事があったんですか?

池田 現地に3〜4週間滞在してギャラは180万円という条件だったから、いい時代ですよね。そんなわけで、前後の仕事を整理して結局3ヶ月間ナポリに留まり、ピロッツィに紹介してもらったピッツェリアで修行しました。

ピッツァの親方から学んだ
〈イデア〉と〈テオリア〉

広告とはいえ、ひゃくはちじゅうまんえん!! 同業者の悲鳴が聞こえてきそうです(笑)。今なら十分の一ももらえないだろうな・・・。それで実際のところ、ピッツァは1週間で焼けたんですか?

池田 いや、全然無理でした(笑)。ピロッツィに紹介してもらったベッラフィリオーラというお店と、ルビナッチに紹介してもらったアルサラゴというお店、ふたつのお店で修行したのですが、当然難しかったですよ。ただアルサラゴで、マリオ・パケットーネさんという素晴らしい師匠に出会えたんです。

そうか、池田さんのピッツァ修行は有名サルトの紹介から始まったんですね。師匠はどんな方だったんですか? 

池田 代々ピッツァ職人の家柄で、中学しか出ていないのですが、凄まじい学識と人格で、今でも語り草になっている職人です。毎朝お店に出勤するときはすべての全国紙を抱えてきて、ものすごいスピードで読む。本当に頭がよくて、勉強が好きな方でした。

それはすごいですね。

池田 当時のピッツァ職人といえば、ナポリでもある意味低く見られがちな職業だったのですが、彼は8歳の頃から培った職人としての経験と、勉強によって身につけた知識を駆使して、ピッツァを通して世界を観る術を会得していました。私のような日本人にも決して差別することなく、「この世界は年齢も人種も全く関係ない。お客の前に出すピッツァがすべてだ」というモットーで接してくれたんです。

池田さんがお好きな靴やスーツの職人たちに通じる要素もあったんですか?

池田 中世のイタリアではそれぞれの職業別にギルドという組合が存在して、その中から選ばれた代表者が政治に参加していたわけですが、パケットーネさんはそういう存在に近い人望や視野、そして志を持っていました。私が大学を出ていると知ったら、彼は「じゃあ、イデアとテオリアくらい知ってるよな?」と言うんです。

ナポリのピッツェリア、アルサラゴで修行中の池田さん。Tシャツを着た方が池田さんの恩師、マリオ・パケットーネさんだ。
ぜんぜんわからないです(笑)。

池田 ですよね。多分日本では東大や京大を出ている人だって、すぐに説明できないですよ。だってわざと難しく書いているんだもん。でも彼が言うことはとてもわかりやすい。昔は機械も何もないから、なんで水と油が分離するのか?とか、なんでコーヒーがお湯に溶けるのか?といったことは、黙って観察〈テオリア〉するしかない。そうやってどういう現象が起きているかを想像することが〈イデア〉なわけです。要は職人とは、観察して、想像して、実験して、試すことの繰り返しだと。すでに古代ギリシャ時代に、問題解決に至る普遍的なアプローチが定義されていたわけですから、すごいですよね。

とても深いですね。

池田 私たち日本人は、修行のとき逐一メモをとるじゃないですか。でも彼はそういう考え方はやめたほうがいいと。水1ℓに塩50gとか数値で覚えてしまうと、それに縛られて応用ができなくなってしまう。だからお前は俺の下について、〈イデア〉と〈テオリア〉を学ぶんだよ、と言ってくれたんです。彼の元で修行したのはたった1ヶ月半ですが、それで人生が変わりました。

ぼくも一応大学は出ていますが、そんなためになることは、ただの一度も教わらなかったなあ。

池田 美術史をあまり教えないのは致命的ですよね。ヨーロッパでは鍛冶屋から錬金術師が出てきて、そこから貨幣経済が始まるとともに、科学者が生まれてくる。そういうことを私たちは知らないじゃないですか。その点イタリアのインテリは、ありとあらゆる知識が有機的に繋がってるんですよ。

なるほど、確かにぼくたちは経済学と美術史を繋げるような学び方はしてこなかったです。ちなみにアルサラゴは今もあるんですか?

池田 いや、チンクワンタカロっていう、別のピッツェリアになっています。

下町で実践する
ナポリのピッツァ哲学

帰国後すぐにこの森下で「ベッラ・ナポリ」を開業されるんですか?

池田 いや、最初はある意味〝手札〟のひとつくらいに思っていたんですよ。でも、ここはもともと妻の実家で肉屋だったんですが、閉めるか人に貸すか、みたいな状況になったときに、それなら自分でやってみようかな、という流れで。それで「ベッラ・ナポリ」を2001年にオープンさせました。腹黒い話、最初は評論家の片手間でできるかな?とも思っていたんですが、まあそりゃこっちがメインになりますよね(笑)。

修行したといっても、実際にやるとなるとまた話は違いますよね?

池田 まあそこは〈イデア〉と〈テオリア〉ですよ。ひたすらマリオ・パケットーネさんの教えの実践です。

お店の内装はイタリア人建築家によるもの。素材もすべて現地からコンテナで送られたものを使い、トイレに至るまで現地のピッツェリアそのものだ。
もうオープンから20周年か。長いですね。その頃と味は変えているんですか?

池田 ウチはあまり変えていませんね。初めてイタリアに行った1992年に食べたものや、パケットーネさんが〝ピッツァの絶頂期〟と言っていた、1970年代末〜1980年代前半くらいの味を目指しています。

ピッツァの世界にも絶頂期なんてものがあったんですか!

池田 1970年代って、ヨーロッパが戦争から立ち直って、誰もが新しいことにチャレンジしたり、それを許容するエネルギーに満ちた時代だったんですよね。イヴ・サンローランやジョルジオ・アルマーニといったデザイナーはもちろん、ランボルギーニやカウンタックのような自動車も出てくる。そういうエネルギーが、食の分野にも波及していたんだと思います。

ある意味すっかり地位を確率された今でも、〝学び〟のようなものはあるんですか? よそのピッツァを偵察したり。でもTVでは辛口評論で有名ですから、お店の方が緊張するだろうな(笑)。

池田 昔はよく行きましたが、最近は驚くようなことがなくて、ちょっと怠っちゃってますね。薪の置き方を見ただけで美味しくないピッツァはわかっちゃうので、食べずに帰ったりして(笑)。なので今はよその店を食べ歩くよりも、大学の熱工学の教授に、薪窯について調べてもらったりしています。知っていますか? ピッツァに使われている薪窯の効果って、まだ化学的に解明されていないことが多いんですよ。

遠赤外線、みたいなやつですか?

池田 実はその言葉って、論文上はなんら物理的効果なしって言われているんですよ。ただ結果としてはしっかり顕れているわけで、その理由を尋ねると、電磁波だとか言われちゃうんです。でも私にはそうとは思えない。これ、解明されたらノーベル賞ものですよ。

「ベッラ・ナポリ」の味が自宅で再現できちゃうかもしれませんね。

池田 冷凍ピッツァは今研究していますが、よっぽど困った時の手札としてキープしています(笑)。だから温故知新とはよく言ったもので、昔の職人はまだ技術が発展していない時代に、〈イデア〉と〈テオリア〉を駆使してそれらを産み出したわけですから、本当にすごいですよ。うちの薪窯もナポリの伝説的な名人につくってもらったものなのですが、今はそういう人々の知見に触れられる機会が減ってきているので、ちょっと怖いですよね。

でも、ピッツァはイタリアでも日本でもここまで定着した文化ですから、さすがにもう安心なのでは?

池田 そうですね。ただ職人というより化学の世界になりつつあるので、それがいいか悪いかは難しいところなんですが。最近のイタリアでは、大学で化学や物理を学んだような超高学歴の若者がピッツァの道を選んだりしていて、ひとつのムーブメントになっていますよ。

すべての〝学び〟は
ひとつにつながっている!

そろそろ薪窯からいい香りがしてきました。こうやって話しているうちにも、薪をくべたり、生地が入ったケースを絶え間なく移動させたり、けっこう忙しそうですね。

池田 発酵させた生地からは目が離せませんから。暖房を入れたり、扉を開いたりして、温度や湿度が変わるたびに置く場所を変えないといけないんですよ。山下さん、1枚食べて行きますか?

ぜひとも。というか最初からそのつもりで伺いました(笑)。
(数分後)

池田 はい、焼けました。撮ってないですぐに食べてください(笑)!

わわ、たった数十秒で。撮影の暇がないくらいすごいスピードですね! では早速・・・。おお、食べ慣れてはいますが、やはり美味しい。モツァレラやトマトの美味しさは言うまでもありませんが、生地の香ばしさと甘みが圧倒的ですね。

池田 〝焦げ〟だと思われがちですが、これは完璧なメイラード反応が起きている部分だから、甘さにつながっているんですよ。これを勘違いしてはいけない。それにしても今の窯の状態は完璧です。山下さん、ついてますよ(笑)。

そうか、ラーメンのスープのように、窯にも仕上がり具合があるわけですね。てことは、営業時間中の中でもいい時間があるってことですか?

池田 ここだけの話、ピッツェリアに行くなら休日明けとオープン直後は避けたほうがいいかもしれません(笑)。

ナポリを代表する名職人の兄弟を呼び寄せ、つくらせたピッツァ窯。現在は日本でもつくれるようになったが、やはり本場のものには敵わないという。
これはいいことを聞けました(笑)! しかし本当にマニュアルではできない仕事なんだなあ。

池田 そうですね。とりあえずレシピだけ教えてくれという人もいるんですが、それって最短のようで最短じゃない。遠回りどころか、アプローチへの道筋を永遠に失うことになってしまうんです。

ただ、最近は「寿司屋なんてわざわざ職人のもとで修行しなくても、寿司アカデミーに入れば3ヶ月で覚えられる」みたいな価値観も跋扈しているじゃないですか。

池田 山下さんもそうだと思いますが、私もそういう無知無学無関心と戦っているつもりなんです。たとえば一流のテーラーって、ものすごい重量のアイロンをかけますよね。熱だけじゃなくて重量そのものが大切だって、それこそ5kgの重しをつけたりして。

ああ、ミラノの名門カラチェニなんて、絶対に滑らせないで圧力をかけていますよね。

池田 クルマのボディを組み立てる上でもこの考え方が活かせないか、今調べてもらっているんですよ。要するにただ溶接するんじゃなくて、生地のクセ取りをするように、鉄板もクセ取りができるんじゃないかと。そうすれば各パーツのバランスが取れて、マンホールや轍を乗り超えたときの共振がうまく収まるでしょうから。

おお〜。仕立て服からクルマの研究に行き着くわけですか。

池田 いや、結局ヨーロッパでは全部繋がっているんですよ。リベラルアーツとして。天文学も美術史も数学も同じです。

リベラルアーツ! その概念はぼくたち日本人には存在しませんね。全ての学問が分断しているというか、完全にジャンル分けされてしまっている。

池田 でも職人って、そういうことを学ばざるを得ないんですよ。

ぼくがもっと若かったら、ぜひ弟子にしてもらいたいです(笑)。池田さんは有名だし、そういう職人志願者も多いのでは?

池田 うーん。僕は7〜8年前までは、自信を持ってピッツァ職人を若者にすすめられたんです。ほかの飲食店に比べると参入障壁が低いですし、たとえ学歴がなくても、この仕事なら立身出世ができるよ、頑張れば報われるよ、と。でも最近はややボトルネック気味で、難しい環境です。家賃が高騰して物件が見つかりにくいこともありますが、慢性的な人手不足で、お店を開けたとしても働く人が集まらない。しかも今のグルメサイトなんてレベルが低すぎるのに、そういう情報ばかりがもてはやされてしまう。山下さん、蔵前にあるあるとんかつ屋の「すぎ田」って、ご存知ですか?

もちろん。美味しいですよね。

池田 あそこの千切りキャベツって、丹念に研いだ包丁で、極限まで細く切っているじゃないですか。あれ、多分仕込みに毎日2時間以上かけてますよ。もはやひとつの文化ですよね。でも、あくまで脇役だからそのすごさに気が付く人はほとんどいない。そうなるといつか、こんなのは手間がかかるだけだから機械化しよう、という話になっちゃうわけですよ。私たちは、そういう技術の尊さにもっと関心を持たせないといけないんじゃないかな。

それは食だけではなく、ファッションやメディア業界にも言える話ですね。

池田 世の中には計り知れない価値があるということに、もっと気づいてもらいたい。私はピーター・ジャクソン監督が撮った『ザ・ビートルズ:Get Back』というドキュメンタリー映画が大好きなんですが、この作品には数百年、数千年と語り継がれるであろう『Let it be』という名曲がつくられた瞬間が収められているんです。それはもう、奇跡の出会いなんですよ。私と師匠との出会いもそうだし、私と山下さんが向き合って出てきた言葉だってそう。きっとピーター・ジャクソン監督は、そういう価値観が蔑ろにされつつある時代へのアンチテーゼとして、この映画を撮ったんじゃないかな、と思っています。

根気よく伝え続けることが大事ですね。

池田 私なんて要領よく時代の流れに乗ってきただけの職人ですが(笑)、やはり次の世代になにかを残したいという思いは強く持っています。山下さんもメディアやファッションの世界で頑張りましょう!

ベッラ・ナポリ

江東区・森下における隠れたグルメタウン、高橋商店街で2001年に開業した、ナポリピッツァの名店。そのレベルは、本場のピッツァを知るセレクトショップのバイヤーたちがこぞって〝日本No.1〟と絶賛するほど。徹底的にナポリのピッツェリアを再現した気取らない空間で、本物の1枚を頂ける。まずはマルゲリータを食べてみて。

住所/東京都江東区高橋9-3
TEL/03-5600-8986
休日/月曜日、夏季、年末年始等
※営業時間は店舗へお問い合わせください。

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