創業100年!
有形文化財にも
登録されたパリー食堂は
今、存続の危機に
瀕している(前編)
撮影:金子怜史、文/稲 佐知子
埼玉県の西の端にあたる秩父市は、東京都、山梨県、群馬県、長野県と接する文化のクロスロード、シルクロードのような地だ。実際、秩父は絹織物で栄えた歴史がある。江戸時代から昭和初期まで、秩父の絹織物は全国に流通していた。大正時代から戦後の高度成長期にかけては、セメント産業でもおおいに賑わった。
この街で、それらの二大産業が高度経済成長期とともに伸び上がり、そして忘れ去られていった時代の流れを見続けてきた食堂がある。オムライスやカレーライス、ポークソテーなど、今ではレトロな洋食屋の雰囲気を醸し出すメニューの数々。昭和初期の山間の街では、憧れのハイカラ食堂だったことだろう。
「正確にはいつ始まったのかわからない」という『パリー食堂』。
御年81歳の3代目、川辺義友さんが、いまだキッチンでフライパンをふるい続けている。秩父の変貌を見続けながら、いつでも変わることなく飄々とお客様を迎え、オーダーされた料理を作って出してきた。
いつの間にか、「パリーじぃ」と呼ばれるようになった川辺さん。父親の傍らで料理を作り始めて60年以上が経つ。「パリーじぃ」は、パリー食堂の“ある挑戦”を応援する人々から発生した呼び名だ。
パリー食堂は今、存続の危機に瀕している。
竣工100年を迎えようとしている建物は経年劣化が激しく、このままでは営業を続けられないからだ。登録文化財に指定された建物を保存しながら改修するためには、4,000万円が必要だという。その費用をクラウドファウンディングで集めるという挑戦を行っている。
パソコンを使わず、スマホもごく一部の機能を使うのみの川辺さんだが、今や毎日のようにSNSに顔を出し、メッセージを発信している。
「なにがどうなっているのか、よくわからんね」と言う川辺さんのスマホには、パリーじぃとパリー食堂を応援する人々からのDMや閲覧通知がひっきりなしに届く。
さて、なにがどうなっているのか、順を追って聞いていこう。

高度成長期で賑わう街の食堂は
人々のお腹も心も満たしてきた
まずは、パリー食堂のお話を聞かせてください。今もたくさんの人に愛されていますが、昔は連日、2階までお客様でいっぱいだったそうですね。
川辺 2階の座敷部屋は宴会場として改装したんだけど、いつも満席。空きを待つお客さんの列が1階まで続いていた。昔の秩父は潤っていたから。
秩父セメントと絹織物という二大産業のおかげですね。今の秩父は散策が楽しい山間の田舎町という雰囲気ですが、昔は大賑わいだったのですね。
川辺 このあたりには芸者が100人くらいいてね、うちでも2階に呼んでいたんだ。夜は本当に盛況だった。このあたりには、織物問屋が立ち並ぶ「買継商通り」があって、買い付けや出荷の帰りに織物屋の旦那たちがよく寄ってくれたんだ。座敷の奥にも階段があってね。万が一、はち合わせになっちゃまずい相手が来たときは、奥の階段を降りて裏口から出ていったり。
お店はいつ始めたのか、正確にはわからないそうですね。
川辺 ここよりちょっと群馬県寄りの場所にあった、『寄居』っていう父親と姉さんの兄弟が始めた食堂が始まりだけど、それがいつだったのか……。火事で焼けてしまったんで、賑やかだった秩父に越してきて、この店を始めたって聞いてる。それが昭和2年。板前だった父が料理を作り、母がその手伝い、父親の姉さん……私のおばさんだね、それが帳場で勘定を仕切ってた。私はみんなが毎日忙しく働く背中を見て育ったよ。昭和28年に父が亡くなってからは、おばさんと母、私で店をやってきたんだ。


もともと、お店を継ごうと思っていらっしゃったのですか?
川辺 たまたまですよ。5人兄弟の末っ子なんだけど、上はみんな仕事に就いていくでしょ。残った私は高校卒業したら、なんとなく店を手伝ってた。そのまんまずっと。
料理はお父様に教わったのですか?
川辺 教わるっていうより、父親が作っているのを脇で手伝いながら覚えていった感じだよね。特にどうこう教わるっていうことはなかったような気がする。
昔からの人気メニューはなんですか?
川辺 やっぱりオムライスかな。でも、お客さんそれぞれ。カレーライスばっかり食べる人もいるし、ラーメンの人もいる。それとクリームソーダ。オムライスとクリームソーダのセットを作ったんだけど、特に土日はそれがすごく出る。昔はもっとたくさんメニューがあったんだけど、大変だから少し減らしたんだ。



メニューの中で、ご自身の好物はなんですか?
川辺 いやいや、自分じゃもう食べないよ。食べないでしょ、何十年も毎日作ってたら。自分はスーパーで好きなもの買ってきたり、そんな感じ。
お店には取材も来ているようですね。店内に掲載記事がたくさん飾ってあります。
川辺 なんだかね。でも、特別なことをしているつもりはないし、出している食事も普通。お客さんが喜んでくれるならそれでいいと思って、ずっと同じことをしてるだけ。
パリーじぃさんに会いにくるお客さんも多いでしょうね。
川辺 そんなことないよ。私はずっと厨房にいるんだし。常連さんとだって、そんなに話をするわけじゃないし。それでいいんだよ。お客さんが笑顔で食べてくれて、自分は健康で毎日店に立てるっていうことが幸せだよね。
ずっと厨房にいらっしゃるということですが、川辺さんの1日のスケジュールって、どんな感じなんですか?
川辺 うーん、だいたい6時くらいに起きて、散歩で芝桜公園に行ったり、御花畑駅(秩父鉄道)のあたりをぶらぶらして、友達や顔見知りに挨拶をしたりして。それでだいたい6000歩とか8000歩とか。8時半くらいに店に来て、あとはずっと店にいる。夜は7時までだけど、お客さんがいなければ少し早めに閉めちゃうこともあるかな。その後はちょっと晩酌でビール。毎日おんなじです。



- パリー食堂
「あなたのパリーのモツトーはアカルク自由で先ず一品」。
住所/埼玉県秩父市番場町19-8
電話/0494-22-0422
営業時間/11:30~19:00パリー食堂・クラウドファンディング
崩壊寸前の老舗食堂を救え! 〜100年の昭和遺産を未来へ。祖父と孫の挑戦〜
サイト/https://camp-fire.jp/projects/869933/view

- 『新装改訂版 看板建築 昭和の商店と暮らし』
パリー食堂をはじめ、現存する看板建築店舗へのインタビュー取材、失われた看板建築アーカイブなどを収録するビジュアルブック。
監修/萩野正和
定価/2,400円(本体2,200円+税)
仕様/A5/並製/208頁/オールカラー
ISBN/978-4-86791-069-6
発売日/2025年12月26日(金)
発行/株式会社トゥーヴァージンズ