2025.12.28.Sun
今日のおじさん語録
「人間、金があるからって決して幸せとは言えないよ。/車寅次郎」
味のマエストロ
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連載/味のマエストロ

創業100年!
有形文化財にも
登録されたパリー食堂は
今、存続の危機に
瀕している(後編)

撮影:金子怜史、文/稲 佐知子

埼玉県の西の端にあたる秩父市に、二大産業が高度経済成長期とともに伸び上がり、そして忘れ去られていった時代の流れを見続けてきた食堂『パリー食堂』。ここでは御年81歳の3代目、川辺義友さんが、いまだキッチンでフライパンをふるい続けている。
後編では、竣工100年を迎えようとしている建物と、『パリ―食堂』4代目を紹介しよう。

壊せば終わり、守ればつながる
世代を超えて
思い出が共有されていく

築98年を迎えたお店は国の登録有形文化財であり、味わい深い看板建築です。お店の前に立つだけで懐かしいような、独特な佇まいに引き込まれるような気持ちになります。

川辺 ここで生まれて暮らしてきて、自分にとっては当たり前の住まいであり、両親の働く店だったわけだから、今、こうしてたくさんの人に建物のことも気にかけてもらえるのは不思議な感じだけど、ありがたいことだね。確かにね、秩父の街は本当に変わったけど、うちの店は建てたときから変わってない。店内の改装やら修繕なんかはしてるけど、ずっとこの建物のまま。

昭和の街並みを形づくってきた建築様式のひとつである看板建築は、関東大震災の後、多くは個人の商店兼住宅として建てられた。防火性と店舗の装飾を兼ねて銅板やモルタル、タイルなどで建物の前面のみを装飾し、建物自体に店の看板の役割を担わせている。

こだわりの装飾やユニークな遊び心が表現された看板建築だが、多くが築100年を超え、商いも代替わりを迎える時の流れの中、どんどん姿を消しつつある。ノスタルジックな佇まいが愛され、大切に使われている建物がある一方、取り壊されてマンションや商業施設などに生まれ変わる建物が多い。

パリー食堂も、金色に輝くおおらかな書体の「パリー」の文字、西洋風な装飾が施された窓のシンメトリーな配置など、味わい深い見事な看板建築を大切に使い続け、それが有形文化財登録へとつながっている。

周辺には昔ながらの建物が何軒か残り、建築好きにも注目される秩父の街。中でもパリー食堂は存在感が際立っている
屋根裏の窓の上には濃いグレーのレリーフを設けている。こうした西洋風のデザインを個人の商店建築で取り入れることがハイカラで流行した
最上部のコーニスの下には卵鏃(らんぞく)と呼ばれる、卵とやじりが交互になった装飾の帯をまわしている
建物裏側には雷紋のような連続した模様がみられる
今、この建物を守るために、クラウドファウンディング(以下クラファン)に挑戦中です。「祖父と孫の挑戦」ということですが、この建物、そしてパリー食堂の継承と承継に関わるお話だと思います。お孫さんが跡を継ぐということは、ある程度前から予定していたことなのですか?

川辺 そんなことない。父、母ときて私が3代目。私の代で終わりだと思っていた。子どもにも孫にも跡を継いでほしいと言ったことはないし、思ってもいなかった。毎日食堂を開いてきて、それができなくなったら終わり。ただそれだけだと思っていたから。でもなんだかね、孫がやるって言うから。

ここからは孫の晃希さんにお話に加わっていただけるということで、よろしくお願いいたします。

晃希 よろしくお願いします。パリー食堂4代目の川辺晃希です。祖父には「継いでくれてよかった」と言われたこともないです(笑)。

川辺義友さんと、孫であり4代目の晃希さん
でも、川辺さんのお顔を見ると嬉しそうですよ。晃希さんはどのような思いで4代目になろうと決めたのですか?

晃希 私が育った家は祖父母の営むパリー食堂のすぐ近くで、この店を自分の居場所として育ちました。店をうろちょろして常連さんにもかわいがってもらいました。高校卒業後は上京し、料理人を目指したんです。赤坂の老舗中華料理店に就職して、仕事は大変でもいろいろな勉強ができて楽しかったです。店を継ぐことは考えていませんでしたが、歳を重ねていく祖父のことも気になり、少しずつ自分でできる範囲の手伝いを始めました。

自分の仕事と両立しながらパリー食堂の手伝いをしていたのですか。

晃希 片道2時間かけて秩父に通っていました。祖父の手伝いをしているうちに、この店がたくさんの人から、いろいろな形でとても愛されているのだということが伝わってきました。積み重ねてきた歴史であったり、つくり手である祖父の想い、足を運んでくれるお客さんの気持ちや笑顔……言葉で説明できないものがこの店を支えてきて今があるのだということ。そういった尊いものは、店がなくなったからといって消えてしまうわけではないかもしれない。でも、やっぱり店が続いていくことで、さらに積み重なっていくんじゃないかと思いました。

晃希さんも、パリー食堂の深みにはまっていったのですね。跡を継ぐと決めてから、何か変化はありましたか?

晃希 昨年、パリー食堂を株式会社にしました。それ以前から自分なりに来店傾向やオーダーのデータを取ったり、SNSの発信も進めていました。メニュー数を多少絞ったり、逆にセットメニューや、秩父の地域性とリンクした新メニューを開発したり、祖父と相談しながら少しずつ変えています。

SNSがバズったこともあるそうですね。

晃希 祖父のスマホに通知がひっきりなしに届いて、祖父は何が起きたかと慌てていました(笑)。

川辺 通知の切り方っていうの? それもわからないし、なんだろう、どうしようって焦ったよ。SNSなんかもね、私は全然わからないからまかせっぱなし。

晃希 できることはどんどん挑戦してきたいなと思っていて。ただし、昔ながらのメニューのレシピは絶対変えない。これだけは決めています。長年愛してくれるお客さんが、いつ来ても「そうそう、この味」と納得してくれる。それがパリー食堂なので。

クラファンも晃希さんのアイデアですか?

晃希 変わらぬ姿で愛されてきた店です。けれどこれから先は、遺す努力をしなければ、まず形が失われてしまう。築100年を迎える建物は傾いてきて、ビー玉を置けば転がるし、キッチンに立っていても傾きを感じます。壁にもあちこちヒビが入っています。耐震工事を含む建て替えの見積もりをとったところ4,000万円という数字が出て絶望的な気持ちになりましたが、2社お願いしてほぼ一致した数字だったので、やはりこれくらいかかるのかと。

取り壊して新しい建物をつくるのであれば、もっと安くできますね。

晃希 そうすればいいという意見も聞きます。でも新しく違う店を建てたら、それはもうパリー食堂ではなくなってしまう。ただこの場所で食堂を営みたいというわけではないし、ただ建物の形を維持したいだけでもない。世代を超えてたくさんの人に愛していただいている、この居心地を守りたい、遺したいというのが願いです。

クラファンの案内文では、「世代を超えて記憶をつなぐ”地域の記憶装置”」と表現されています。

晃希 文化財だから遺す使命もありますが、何よりもたくさんの人々が集い「想いを重ねてきた場所」を次代につないでいきたいという気持ちです。

クラファンの反響はいかがですか?

晃希 おかげさまで目標額4,000万円のところ、12月12日時点で900万円を超えました。たくさんの応援、あたたかなメッセージをいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。クラファンは12月30日まで続いています。どこまでいけるかわかりませんが、この場を借りてお願いできるなら、覗くだけでもサイトを訪れていただければ幸いです。

もの静かな義友さんと、しっかり語る晃希さん。クラファンは間もなく終了するが、祖父と孫の営みはずっと続いていく。この街に、パリーが灯り続けるために。

パリー食堂

「あなたのパリーのモツトーはアカルク自由で先ず一品」。
住所/埼玉県秩父市番場町19-8
電話/0494-22-0422
営業時間/11:30~19:00

パリー食堂・クラウドファンディング
崩壊寸前の老舗食堂を救え! 〜100年の昭和遺産を未来へ。祖父と孫の挑戦〜
サイト/https://camp-fire.jp/projects/869933/view

『新装改訂版 看板建築 昭和の商店と暮らし』

パリー食堂をはじめ、現存する看板建築店舗へのインタビュー取材、失われた看板建築アーカイブなどを収録するビジュアルブック。
監修/萩野正和
定価/2,400円(本体2,200円+税)
仕様/A5/並製/208頁/オールカラー
ISBN/978-4-86791-069-6
発売日/2025年12月26日(金)
発行/株式会社トゥーヴァージンズ

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