2022.10.4.Tue
今日のおじさん語録
「役者というのは、行をする者、自分というものをよく考え、見極める者のことやと思う。(藤山寛美)」
特集/ぼくのおじさん物語 『月光荘おじさん』 8

月光荘おじさんが残した
美しい言葉たち

文/山下英介

月光荘おじさんは、詩人でもあった。そして絵は描かないけれど、画家でもあった。彼の真心から生まれた本物の言葉はひとりでに踊り出して、あるときは詩になり、またあるときは絵になった。そして手紙やカタログ、ちょっと甲高い声を通して、彼を知る多くの人々に気づきを与えてきたのだ。そんな月光荘おじさんの名言を、彼のすべてが詰まった書籍『人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ』から少々抜粋。残念だけれどiPhoneの画面だけでは伝わらないから、心のなかで呟いてみよう。声に出して読んでみよう。便箋に写してみよう。その響きはぼくたちの心の奥に、きっと熱いものを残してくれるはずだから。

「働くこと」について

人は働くために生きていると思っています。働かないとマンマ(ご飯)がうまくない。働くのは健康のもと、収入のもと、喜びのもと。

 毎日はじけるほどはたらいています。元気でやってね。

明治27年に、富山の農家の長男として生まれた橋本兵蔵さん。しかし広い世界に憧れた彼は、家業を継ぐことをよしとせず、上京。さまざまな仕事に従事した末、ひょんなことから憧れの歌人・与謝野晶子夫妻のサロンに出入りすることになる。そして与謝野夫妻やそのまわりの芸術家たちの薫陶を受けて、月光荘を開店するに至った。いまだ封建制度の名残を強く残していた明治期において、実家を捨てることは社会的タブー。以来自身の名前を捨てたことからも、その覚悟は並大抵のものではなかったことがわかる。月光荘おじさんにとって、働くことは食べることであり、自己実現の手段でもあった。しかしそれは自分のためのものではない。彼にとって仕事とは、お天道さまから授けられた崇高な使命だったのだ。

「物を大切にすること」について

文字でマンマ食べる人はとても紙を大切にしましね。フートも自家製で楽しい仲間に感じます。百五銀行の頭取のフートはいつも裏返しの物ばかりです。どんな物でも大切にしる人が好きなんです。人の手のかかった物は粗末にできません。私の生涯はムダにせんと言ふ事だけです。

※原文ママ

明治生まれの月光荘おじさんは、物を大切にする。月光荘には商品を包む包装紙も、ブランドロゴ入りのショッパーもなかった。おじさんはスーパーのチラシの裏を便箋に使ったりもした。もっとも包装紙についてはずっと後になってプレゼント用のものを別売りでつくったし、ショッパーに関しては有志のお客さんが持ち寄った紙袋で代用しているのだが、サステナブルなんて言葉が生まれる前から、月光荘は持続可能なビジネスを続けているのだ。

「色」について

白は清浄あらゆる色を彩る。

黒は厳粛あらゆる色を深める。

それが色の哲学です、真理です。

雪国育ちの月光荘おじさんにとって、山々を埋め尽くす雪の白さこそが色の原風景。お茶がうまいのが水のおかげであるように、色の基調となるのは白であり、なぜみんな白にこだわらないのかと嘆いている。黒については、行きつけのテーラーに「黒と真っ黒の違い」を問われ、真っ黒の生地には目に見えないほど細かい純白の毛が織り込まれ、その補色が黒をより引き立てていることに驚愕している。物が溢れ、インスタントな色が氾濫している現代、ひとつの物事を一生懸命観察することを、ぼくたちは忘れているのかもしれない。

「人間の価値」について

人間のえらさは、カネを貯めた分量で、はかれるもんじゃない。人を喜ばせた分量で決められるもんだよな。

猪熊弦一郎、花森安治、薩摩次郎八、バーナード・リーチ、レオナール・フジタ・・・。様々な芸術家たちと交流を重ねた月光荘おじさんだが、決して有名人をえこひいきするようなことはなかった。童話作家の立原えりかさん曰く「文化勲章をもらうようなえらい芸術家も、絵の具が買えずに色鉛筆を買ってゆくニコヨン画家も、おじさんには同じ友だちだ」と。ときには優しく、ときには厳しく、どんな人とでも本気で心と心の付き合いをする。それが月光荘おじさんという人間だ。

「道具」について

道具に一流品を求めるのは、どう使うかを考える魂が作品に表れているからです。

 いい物を作っている職人に安物を作らせるのも無理。頼まれたって手抜きできないのが職人魂。安物は作ろうたって作れないのです。

 上物と安物は火と水。根っから違う。ものは人なり。

 作品は技術と良心の合作です。

「芸術家は必ずしも天才に非ず。本気で仕事すれば、誰もがその『道』の芸術家になれるのです」と、月光荘おじさん。額に汗して働く職人たちも、きっとおじさんにとっては立派な芸術家だったのだろう。彼はそんな芸術家たちに道具を提供するという、自らの仕事に誇りを持って、一流の画材を生み出し続けた。そして、感性の豊かな子供にこそ一流品を買い与えよと、親たちを叱咤していたのだ。

「商売」について

月光荘では、世界一の製品でなくては売らない。さらには、世界一安い品物でなくては売らない。それだけの自信をもってやれば、商店がいばって商売して悪いことはない。

月光荘おじさんを導いた与謝野晶子は、彼に芸術家だけではなく、たくさんの経営者を紹介した。なかでも富士銀行を創設した安田善次郎は、おじさんと同郷だったこともあり、彼をことのほかかわいがった。そして「カネもうけを考えても、お前にできるはずかない。それよりも、お前のできる範囲でムダをするな。それともう一つ。商人とはお客を喜ばせて、もうけるものだ」というアドバイスを贈っている。そんな教えをもとに編み出したのが月光荘ビジネス。わかる人なら誰でもほしくなるクオリティの高い商品を開発したうえで、セールをしない。配達はしない。貸し売りはしない。包装はしない。支店をつくらない・・・といったポリシーを貫徹。本質だけを追求したのだ。その姿勢は、GHQのマッカーサー大佐に呼ばれたときにでも、曲げることはなかった。そしてマッカーサーは退任時に、自身の後任者に月光荘のことを紹介していったという。

「老いること」について

耳がとほくなってくると相手の目の色に気がつくようになってきました。

目がかすんでも、手のにぎり具合と温かさで

心にしみる度合いが違ってきます。

男と女であったら、

ローソクか稲妻かすぐわかりましよね。

90代になっても毎日銀座のお店に通い、お客さんの相手をし続けた月光荘おじさん。どんなに肉体が老いても、働くこと、学ぶことへの意欲が衰えることはなかったという。曰く「90になって初めてサトリを開くのです」と。上記の言葉は歳の離れた友人、水野スウさんに贈ったもの。涙が出るほど瑞々しく艶かしい感性が伝わってくる!

「平和」について

 平和なとき、波風のないとき、人の本心は中々見えません。
 非常時になって初めて分かる。人の親切も真心も。人間に国境はありません。人の足元を見るような商売だけはしたくないのです。

 奥さんが戦時中の長野に買い出しに出かけたところ、日本人より朝鮮人のリンゴ農家に親切にしてもらったことに感激した、月光荘おじさんの言葉。自身がつくった絵の具が戦争画に使われたことで、ずいぶん非難されたこともあったが、おじさんは芸術こそが平和のもとだと固く信じていた。

暮らしの年輪

『食卓』

食堂にどっしりと腰をすえたテーブルは我が家のおふくろさん。
テーブルについた傷やらシミは暮らしの年輪。手あかは家族とおふくろとの対話です。
木には木の心 木の霊がやどります。
雪と風に耐え抜いたしっかり者の赤松を きごころしりぬいた気のいい男がやわ肌愛(め)でながら創りあげた牧歌的作品。
家具は人をもつくります。
その人なつっこさとおちつきと。掌をのせれば木がこたえましょう。やさしいぬくもりも伝わりましょう。節(ふし)からこぼれる可愛いエクボ。
おふくろの掌のような二個の引出し 木目に脈うつ木のいのち。
このテーブルのある食堂からは 笑い声がたえません。「いただきます。」「ごちそうさま。」感謝の心が消えません。
一家の団らんは暮らしに咲く花。
おふくろのテーブルはその花芯です。

最後に、月光荘おじさんが遺した原稿用紙にまとめられていた、『食卓』という文章を紹介したい。扇情的な文章やキャッチコピーがあふれる世の中にあって、素朴だけれどひときわ輝く月光荘おじさんの言葉。なんでこの人は、こんなにも誠実で素敵な言葉を生み出せるんだろう? 不思議でならないけれど、驚いてばかりはいられない。『ぼくのおじさん』も、もっともっと素敵な記事を、そして誠実な言葉を皆さんに届けられるように、精進したいと思います。

『人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ』/『エノグ屋の言葉集』

月光荘が創業100年を迎えた2017年に出版された書籍『人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ』は、月光荘おじさんを愛する人々による証言から、その生涯、友人たちとの交流、絵の具の開発秘話に至るまで、様々な視点からその素敵さを紐解いている。¥1,540(産業編集センター) 『エノグ屋の言葉集』は、月光荘から生まれた素敵な言葉たちをまとめた一冊。¥1,760(産業編集センター)

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