2024.4.20.Sat
今日のおじさん語録
「モノがあるとモノに追いかけられます。/樹木希林」
特集/ぼくのおじさん物語 『伊丹十三』 2

〝ぼくのお父さん〟
伊丹十三って
どんな人?

談/池内万平

親から押し付けられた価値観に風穴を開けて、新しい世界の扉を開けてくれる、なんだか嬉しい存在……。それが、伊丹十三さんの考えるところの『ぼくのおじさん』。じゃあ、そんな伊丹さんが育てた息子さんは、いったいどんな人なんだろう? そして〝お父さん〟としての伊丹さんは、いったいどんな人だったんだろう? そんな疑問に伊丹さんの次男、池内万平さんが答えてくれた。

写真提供/伊丹プロダクション

怒鳴らずダメ出し、が伊丹さんの流儀

池内万平さんが幼少期を過ごした、神奈川県湯河原町の自宅にて。あたりに散らばっているミニカーは、どれもトラックミニカーを得意としたアメリカのメーカー、トンカ社のもの。さすがの本格志向!(写真提供/文藝春秋)
池内さんにとって、お父様はどんな存在だったんですか?

池内万平(以下池内) よく聞かれるのですが、自分にとっては比較対象がいないので……どうなんでしょう(笑)? 父親っていうのはああいうものだろう、くらいのもので。厳格ということもないのですが、わりと怖い人だったとは思います。神経質というか。

以前宮本信子さんにインタビューした際、やはり自身のスタイルを確立した方だから、一緒に暮らすのはなかなか大変だったと伺ったのですが。

池内 ですから宮本さんは大変だったでしょうね(笑)。でも、私は直接的にうるさく言われた気はあまりしないんですよ。自分で思ったようにやりなさい、という方針もあって、ああしろ、こうしろ、というのは、世間一般の家庭より少なかったと思います。ただ何かしくじると、あ〜怒ってるな、と(笑)。直接雷を落とされたことはあまり記憶にないんです。

伊丹映画の関係者のインタビューを読んでも、あまり怒鳴ったりはしない方だったようですね。

池内 そうですね。極力現場の雰囲気を悪くしないように。でもにこやかにダメ出しはいっぱいする、みたいな。

池内さんの子供時代は、伊丹さんは雑誌の編集長や執筆活動をされたり、とても忙しかった頃ですよね?

池内 小さい頃は、なんの仕事をしているのかよくわからなかったですね。週に何回か、「父ちゃん講演に行ってくるわ」と言っていなくなるのですが、私は公園のことだと思っていました(笑)。よく公園に行く人だなあ、なんて。

当時の伊丹さんは子育て論のようなエッセイをよく書かれていましたが、のちのち池内さんも読まれたりしたんですか?

池内 伊丹さんの本は子供の頃から本当によく読んでいました。『ヨーロッパ退屈日記』などは読みやすいのですが、『自分たちよ!』あたりになると、子供の手には余るもので(笑)、何が書いてあるのか、よくわからなかったですね。でも、本に書かれていた子育て論を読んで「うちの家庭の実状とは違うじゃないか」みたいなことは考えたことはありません。多分自分ごととしては捉えていなかったような気がします。

遊ぶ側より、つくる側のほうが楽しい!

周囲からの見られ方はどうでしたか?

池内 その問題は小学校に入ったくらいから発生して、高校生くらいまでは嫌でしたね。でも難しいところで、とても目立つ人なので、一緒にホテルのロビーを歩いていたりするときに、周りがハッとした目を向けるわけですが、そういうのはちょっと誇らしいわけです(笑)。

もう当然あの格好なわけですよね?

池内 はい、十三丸出しで(笑)。チャイナジャケットに刺し子を羽織って、黒いパンツに中折れ帽。あれが普段着ですから、目立ちますよね。チャイナジャケットやパンツは池田屋さんというテーラーさんに仕立ててもらっていましたが、同じようなものがたくさんあって、どう着まわしていたのか、よくわからなかったですね。

伊丹さんといえば、食へのこだわりでも知られていますが。

池内 家では、スパゲッティやオムレツのようなシンプルな料理は、伊丹さんの領域でしたね。東京に越してきてからは、鴨ネギみたいな蕎麦屋さんのメニューを家で再現することに凝っていました。『スーパーの女』をつくっていたときは、お惣菜づくりが面白いといって、ずっとお煮しめと唐揚げが出てくるんです(笑)。で、しばらくすると満足したのか、つくらなくなってしまう。

雑誌『文藝春秋』で、フランス料理をつくりながら学問や哲学について識者と語り合うという連載を持っていた、1980年代半ばころの伊丹十三。(写真提供/文藝春秋)
凝り性なんですね。

池内 そうですね。集中的に何かを調べだしたりする時期があって、その性格がのちのち映画を撮るときに活かされたんじゃないですかね。周りの人は付き合わされるから大変ですが(笑)、映画監督には向いていたんでしょうね。

そういう性質は、池内さんにも引き継がれているんですか?

池内 私はどちらかというと宮本さんに似たのか、粘着質にひとつのことをやり続けるタイプでしょうか。

遊んでもらったりした記憶は?

池内 だいぶ記憶も薄れてきているのですが、ゴムデッポウとかをよくつくってもらったり、おもちゃを買ってきてもらったりはありました。

ファミコンとかは?

池内 よくしていましたね。特に注意されたりはなかったですが、「買って遊ぶ側よりつくる側にまわったほうが面白いぞ」みたいなことは言われました。

伊丹さんらしいですね(笑)。

池内 なにかのエッセイでも例えていましたが、新幹線に乗っているだけだと単なる2時間の移動だけれど、新幹線をつくった人となると、次から次へと見所がやってくるだろう、と。伊丹さんも映画をつくる側にまわった人ですからね。でも私は、そっちに行ったら純粋にゲームを楽しめないだろうな、と思いました(笑)。

思春期になってから、反抗期のようなものはありましたか?

池内 口を聞かない、的なものはうちにはなかったかな。服装にしても髪型にしても、しつけがましいことを言わない人だったので、反抗のしようがなかったのかもしれませんね。よく考えると、何かを言われるから反抗するわけで。ただ宮本さんのほうが〝正義の人〟だったので、高校生時代はしょっちゅう言い合っていました。途中で伊丹さんが、「今日は万平の勝ち」みたいな(笑)。

万平さんにとっての〝ぼくのおじさん〟とは?

写真は伊丹十三の長男であり、大河ドラマ『青天を衝け』にも登場した俳優、池内万作さん。万作さんは池内さんとは対照的に、高校卒業後ロンドンに渡り、演技と脚本を学んでいる。(写真提供/KODANSHA/アフロ)
池内さんには、伊丹さんが定義するところの〝ぼくのおじさん〟的存在はいたんですか?

池内 ああ、つまり外部からやってきて、親と違う価値観を提示してくれる、という。親しい方はたくさんいましたが、どうだろう……。高校生くらいのときに解体業のバイトをしていたときに、家の中の価値観とは全く違うものが心に放り込まれたので、その経験は大きかったかもしれません。その後私は大学に進学しないことを決めたのですが、陶芸家の岡本さんに1時間くらい根気強く説得されたことは覚えています。

そういうとき、伊丹さんは口を出さないんですか?

池内 放牧されている感じでしたから(笑)。「初の大学入学者が池内家から出るかと思ったんだが」と言われた程度ですね。とはいえ全くのノープランだったので、今にして思えば、自分はどうするつもりだったんだろう、とは思いますが。あの頃は大学にも行かないで解体のバイトをやって、家で飲んで、という毎日でした。

せっかくだったら映画を手伝えよ、とかは?

池内 ないです、ないです(笑)。

徹底した放任主義ですね。伊丹さんといえばレタリングやイラストも天才的な腕前ですが、そういった習いごとに通わされたこともなかった?

池内 ありませんでしたね。伊丹さんは、明朝体を書かせたら日本一、と言われたくらい達筆な人だったんですが、最終的に子供の字がいちばん味わい深くていい、という結論に達したらしいんです。屈託がなくて伸び伸びしているから、君の字はそのままでいい、という理屈で子供たちの字を全く矯正しなかったんですが、結果的に私はただの字が汚い大人になっちゃったんですよ(笑)。それって基礎があって、一周まわっての話じゃないですか! だから私に子供ができたとしたら、習字だけは習わせます(笑)。

それは災難でしたね(笑)。

池内 ああ、そういえば、これからは国際化の時代だから、ということで小学5年生から英語だけは習わされました。それで6年生のときに、子供だけでアメリカに行って、伊丹さんの友人だったマイケル・チャウさんの家にホームステイしたんです。

伊丹さんと共演した俳優であり、アメリカに高級中華料理屋を広めた実業家であり、アンディ・ウォーホルとも交流をもつ世界的なセレブリティとしても名を馳せた、伝説の紳士ですね! 伊丹さんのエッセイにも登場しています。

池内 確かビバリーヒルズだったかな。体育館みたいに巨大な平屋造りの豪邸でした。そんなこともあって伊丹さんには留学も勧められたんですが、当時は「してやるもんか」ってなったんでしょうね。

息子の目から見た、伊丹作品の魅力

池内さんは現在はプロダクションのお仕事もされていますから、伊丹さんが遺した作品にすべて目を通されていると思いますが、今本を読んだり、映画を観て、改めて気づくことって、あるんですか?

池内 家に置いてある字の本の中では一番読みやすかったので(笑)、小さいころからずっと読んでいるから、改めて、ということもないんですよ。お風呂に行くついでに読む、みたいな感覚なので。もちろん子供の頃と今では感じ方は全然違ってくるわけですが、繰り返し読むのに耐えられる文章だなあ、とは思います。

確かにそう思います。やはり「うちのお父さんは天才だなあ」とか、感じたことはあるんですか?

池内 天才かどうかはわかりませんが、多才ですよね。エッセイに関しては、具体的な情報は古くなったとしても、骨子がしっかりしているから普遍的なんです。ただ、一時期は盲目的に信じ込んでいることもあって、あれはよくなかった……。ずっと昔に書かれたエッセイを読んで、東京の道路はいまだに穴ぼこだらけだと思い込んでいたり、エッセイの中で伊丹さんが死んでしまったのを読んで、混乱したり(笑)。

映画作品では何がお好きですか?

池内 やはりデビュー作の『お葬式』でしょうか。あとは『タンポポ』もちょっと変でいいですよね。どちらも、他の作品とは全く違いますし。でも、どちらも私が出ちゃってるんだよな(笑)。

1984年に公開された、伊丹十三のデビュー作『お葬式』。タイトルから感じる暗いイメージとは裏腹のコミカルな内容で大ヒットを遂げるともに、過激なセックスシーンで青少年たちを釘付けにした作品。撮影は伊丹家がかつて住んでいた、湯河原の別荘で行われている。宮本信子さんの次男役で出ている、万平さんにも注目! 
『お葬式 Blu-ray』Blu-ray発売中/¥5,170/発売・販売元:東宝/©1984 伊丹プロダクション
1985年に公開された、伊丹映画の第二作目『タンポポ』。タンクローリー運転手が寂れたラーメン店を立て直すという大筋に、西部劇を彷彿させる設定を絡ませ、アメリカでもヒットした作品。食にまつわる圧倒的な見識をもとにした薀蓄や、官能的なエピソードも話題を集めた。
 『タンポポ Blu-ray』Blu-ray発売中/¥5,170/発売・販売元:東宝/©1985 伊丹プロダクション

ちなみに池内さんは、伊丹作品以外では、どんな作品がお好きなんですか?

池内 エッセイで言えば、南伸坊さんや糸井重里さん、東海林さだおさんといった方々でしょうか。子供の頃に観た映画でいうとフェリーニ作品は好きでしたが、もともと伊丹さんに観させられたんですよ。

あ、強制的に(笑)。

池内 伊丹さんが映画監督を始める頃ですが、晩御飯を食べ終えた後、みんなで映画を1本観るという習慣がありまして。フェリーニとゴダールはわからなさすぎて、逆に印象に残っています。あとは『2001年宇宙の旅』や、『悪魔の発明』なんかも観たなあ。『スウィートホーム』をつくる前はホラー映画をたくさん観させられて、キツかったです(笑)。

それは英才教育ですね!

池内 小学生の頃から、世田谷にあった京王下高井戸東映(現下高井戸シネマ)で『死刑台のエレベーター』とか、『道』を観させられていましたからね(笑)。伊丹さんはほかの人の作品もどんどん観て勉強するタイプの監督でしたし、私たち子供にも感想を尋ねてくるんです。

それって正直な感想を言えるんですか?

池内 はい。自分の作品についても、脚本の第一稿が上がってきたんだけど読んでみて、みたいなことを頼まれたり。『スーパーの女』のときは、「花子が最初から強すぎない?」と正直に言っちゃいました(笑)。

それ、根幹に関わるところですね(笑)。やっぱりひとりの人間として尊重されていたんだなあ。

池内 身内が言うのもなんですが、伊丹作品は面白いですよね。時代風潮的に『あげまん』あたりは怒られそうですが(笑)。今生きていたら90歳近いので、映画を撮れているかはわかりませんが、地震や原発、コロナに関してはきっと描くんでしょうね。

それは絶対に観たかったですね!
池内万平

1975年生まれ。子役として『お葬式』『タンポポ』に出演。現在は伊丹プロダクションの社長とともに、公益財団ITM伊丹記念財団評議員を務める。2018年に岩波書店から出版された『伊丹十三選集』では、編者と解説を担当する。

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