2024.10.4.Fri
今日のおじさん語録
「雑草という植物はない。/昭和天皇」
名品巡礼
3
連載/名品巡礼

クラフツマンシップと
“夢”の融合が生んだ、
常識破りの
「手縫いダッフルコート」

撮影・文/小曽根広光

ぼくたちを粋な大人にしてくれる名品はどうやって生まれるのか?を探るこの連載。久しぶりの更新となる第3回目は、フリーのファッションエディターとして大活躍する小曽根広光さんが登場。クラシックファッションの分野に精通し、しかも業界では数少ない〝実践派〟である彼がもたらす情報は、SNSでは決して手に入らないディープなもの。今の雑誌では出せないような、とっておきのネタを教えてくれるとのことだ。そういえばぼくたちは昔、ファッション雑誌に載っている憧れの靴やバッグをスクラップしたり、雑誌を枕元に置いて寝たりしていたような気がする。今は手が届かなくても、いつかは触れてみたい。自分のものにしてみたい。そんな名品との出合い方があってもいいじゃないか。

 

ファッション空白時代に出会った、
脳髄を揺さぶられるコート

 初めまして、フリーランスで編集者をしております小曽根と申します。「ぼくのおじさん」編集人の山下さんとは「メンズ・イーエックス」「メンズプレシャス」というふたつの編集部で、それぞれ短期間ながら同じ釜の飯を食べ、今は自宅が一駅違いという奇縁で結ばれた(?)間柄。雑誌出版が斜陽産業と囁かれはじめた2000年代後半から苦楽を共にし、近年は時おり会うにつけ、閉塞感漂う業界の現状にボヤキの応酬・・・いや談論風発しております。

 そんな中でしばしば話題にのぼるのが、ファッションの空疎化。とくにドレスクロージングとよばれる界隈は均質化の果てに没個性の極みともいえる状況に達していて、それを補うためにやたらコンセプチュアルなイメージビジュアルと美辞麗句で装飾されています。“人生に寄り添う、物語のあるミニマルウェア”みたいな感じでしょうか。で、そのビジュアルやコピーを考案するクリエーターは、その服に手を触れたことすらなかったり。しかしそんなコンビニの上げ底弁当化した今のファッションシーンでも、まれに脳髄を揺さぶられるような衝撃的名品に出会うことがあります。前置きが長くなりましたが、今回ご紹介する「サルトリア ヤマッチ」の手縫いダッフルコートがまさにそんなアイテムでした。

本当にいい服は、バサリと置くだけでオーラがにじむ。写真で伝えきれないのが実にもったいない!

 このダッフルコート、デザイン上でとくに変わったところはありませんが、実は“ありえない”がぎっしり凝縮された一着です。

 まず、“サルトリア”でつくられていること。サルトリアとはイタリア語でビスポークテーラーを意味し、クラシック・テーラリングの頂点といえる世界です。そこでつくられるアウターといえば、チェスターフィールドやアルスターといったドレスコートが普通。ナポリのサルトリアでダッフルコートなんてリクエストしようものなら、塩まいて追い出されるでしょう。

 そして、驚くことに総手縫い、つまりすべてのステッチがハンドで施されています。既製服のなかには一部に手縫いを採用した洋服がありますが、それらと総手縫いは別物。陳腐な表現で恐縮なのですが、なんというか迫力が全然違います。これはもう、実際目にすればすぐおわかりいただけることでしょう。すべての糸目が均一になるミシン縫いに対して、手縫いはつくり手のさじ加減で1針1針異なったニュアンスを表現できます。端正に仕上げたいところはきっちり厳粛に、ふんわりと柔らかく見せたい部分はあえて甘めに…といった具合に、場所に応じて最適な力加減で縫い上げていく。この積み重ねが、圧倒的なオーラとして結実するわけです。

目を凝らしてみると、すべてのステッチが手で施されていることがわかるはず。一着縫い上げるのに、どれほどの手間がかけられているのだろう?

 さらなる“ありえない”は、袖を通したときに訪れます。とにかく、圧倒的に軽い! まるでローブを羽織っているかのような着心地です。なんでこんなに軽いんだろう? 疑問に思ったぼくは、つくり手であるヤマッチこと小山 毅さんに秘訣を訪ねてみました。

 「まず、素材選びが挙げられますね。普通ダッフルコートというのは、ウールなどを圧縮したメルトンや、地厚のヘリンボーンウールなどでつくられます。しかしこのダッフルに採用しているのはテーラードコート用の生地。よりしなやかでウェイトも軽いため、着心地がずいぶん変わってくるのです。それから、サルトの技術で仕立てていることも要因のひとつですね。普段われわれがつくるジャケットやコートというのは、着る方の体型に合わせて型紙や縫い方を細かく調整し、またアイロンで生地を曲げながら縫い上げることで、三次元的に体へフィットさせます。そうすると服の重量が分散されて、重さを感じにくくなるのです。たとえば肩や袖の部分を見てください。人間の肩は前方向にカーブしているので、それに合わせて肩もカーブさせています。袖も横から見ると、弓なりに曲がっていますよね。これはテーラードコートの典型的なつくり。僕の感覚からすれば、これは“ダッフルの形をしたテーラードコート”なんですよね。ちなみに肩と袖のつなぎ目部分も見てください。ギャザーを寄せているのがわかるでしょうか? ナポリの仕立て服に見られる “雨ふらし袖”に仕立てているんです。上からストームパッチを当てるので、隠れてあまり見えないんですけどね(笑)」

肩付近の袖部分に、ギャザーが寄っている! テーラードウェアに詳しい人なら驚天ものの仕立てだ。

常識破りのコートを生んだ、
“真逆のふたり”の邂逅

 ちなみに小山さん、決して飛び道具好きなキワモノ系テーラーというわけではありません。オーセンティックなナポリ仕立てを長年愛好し、今もそれを自身の核としています。エンジニアから服好きが高じてビームスに転職し、ナポリサルトの帝王と称されるアントニオ パニコに傾倒。その後はパニコの日本直営店でショップマネージャーを務め、さらにルビナッチやタイ ユア タイを渡り歩いてキャリアを積み、ついには自らサルトになってしまったという生粋のクラシック愛好家なのです。

サルトを開いて今年で12年め。いまでも「服を仕立てるのが楽しくて仕方ない!」そう。
青山にある「サルトリア ヤマッチ」の内観。カスタマイズしたデ・ローザのロードバイク、壁に飾られたシルクスカーフ、写っていないがグレッチやフェンダーのエレキギターが並ぶ、ちょっとカオスな空間が魅力的だ。
こちらがヤマッチ本業のスーツ。まるでナポリの老職人が仕立てたかのような味わいが魅力的だ。

 では、そんな正統派サルトである小山さんが、なぜ前代未聞といえる手縫いダッフルコートをつくることになったのか? よくよく話を聞くと、そこにはもう一人のキーパーソンが存在していました。ヤマッチ近隣に構える“プライベートセラー”「Wolf & Wolff」の店主・石崎孝之さんです。

 青山学院大学西門のほど近くにある、決して大きくはないビル。エントランスの階段を登り大きなガラス戸を開けると、無機質な白壁&コンクリートで覆われた内装が姿を現し、そこにはいくつかのショップが軒を連ねています。その一角、表札がわりのガムテープが貼られたアルミ色のドアのなかに、「Wolf & Wolff」というショップ、いや“プライベートセラー”があります。

 もとは「アテリエ ヒストリック インストゥルメンツ」という店名で営業していた、知る人ぞ知るショップ。2021年に近隣からここへ場所を移し、“いいモノが入ったときにだけ門扉を開く”という不定期営業システムへ移行。よりパーソナルな“プライベートセラー”としてお店を営んでいます。

潔すぎる品揃え。手前がタイガ タカハシのジャケットで、奥がジェニファー・ロックリンのアート(非売品)
ジャン・プルーヴェの1950年代製デイベッドやジョージ・ナカシマの’60〜’70年代製チェアがしつらえられた店内。

 ジョージ・ナカシマやジャン・プルーヴェのヴィンテージ家具、沖 潤子やジェニファー・ロックリンのアート作品が並ぶ店内で、この日売り物として置かれていたのは「タイガ タカハシ」のジャケット2着だけ。異色すぎるこのお店を取り仕切る石崎さんは、デザイナーズブランドの世界で長いキャリアをもつ人物です。そして彼こそ、ヤマッチに手縫いダッフルコート製作をもちかけた発案者だったのでした。

「Wolf & Wolff」代表の石崎孝之さん。現在はアメリカのファッション/カルチャーシーンに注目しているそうで、頻繁に同地を訪れて買い付けやリサーチを行なっている。

 それにしても、サルトとデザイナーズ、真逆のバックグラウンドをもつ二人がなぜ、このような共作を実現するに至ったのでしょうか? 石崎さんいわく…

 「小山さんもぼくもヴィンテージウォッチが好きでして、同じく時計好きな共通の知り合いを通して、たまたま食事をご一緒する機会があったんです。で、聞けばフルハンドのビスポークウェアをつくっていらっしゃるとのこと。正直、ぼくのジャンルとは真逆の洋服だったのですが、“手縫いの服”という点には興味を惹かれました。で、しばらく時間をおいてから個人的にトラウザーズをつくっていただいて、そのあとカシミアのトレンチコートとウールのステンカラーコートもオーダーしたんです。でも、最初のうちはかなりご迷惑をかけてしまったかもしれないですね。そもそもフィッティングに対する考えかたが全然違いましたから」

 仮縫いとよばれる製作途中のフィッティング時、小山さんが仕上げてきたジャストフィットのスーツに対して、「あと肩幅を10センチ大きくできますかね?」なんてリクエストをして当惑させたこともあるそう。とはいえ、やりとりを重ねるうちにお互いの感性に対して理解が深まっていき、ちょうどいい着地点を見つけることができたとのこと。

 

 「そうこうしているうちに、じゃあウチの商品もつくってくださいという流れになって、まずシャツを企画しました。もちろん手縫いのシャツなんですが、ジャケット用の生地を使って、フィッティングもオーバーサイズにしているので、クラシックなドレス系シャツとは別物ですね。これがお客様にとても好評だったんです」

ちなみにこちらがヤマッチの手縫いシャツ。ジャケット生地でつくられているため、アウター感覚で着られるのが新しい。

 「で、あるとき手縫いのダッフルコートを作ってもらえないかなと思って小山さんにもちかけてみたのですが、最初は“そんなのできないよ”と断られてしまいました。でもしばらくして“やっぱりやってみましょうか”とご連絡いただいて。すごくワクワクしましたね。語弊があるかもしれないですけれど、小説家に4コマ漫画を描いてもらうような感覚というか…とにかく、ものすごくいいものができる予感がしました」

 ちなみに、小山さんは一連のやりとりをどのように感じていたのか?本人に訊いてみました。

 「確かに最初はちょっと困惑もしましたけれど、ぼくとしては当時主流だったピタピタのスーツに嫌気が差していたこともあり、石崎さんがいうようなオーバーサイズも“これはこれでアリかな”と次第に思えるようになりました。何より、お互いの視点が交差するのが面白かった。石崎さんはデザイナーズ的な観点からクラシックなものづくりを面白いと感じてくれて、クラシックを全く知らない方々にその魅力を伝えてくれるし、ぼくはクラシック好きな方々に固定観念をくつがえすような服をご提案できる。そこにやりがいを感じたんです」

手縫いの服は“着られる夢”

 ちなみにわたくし小曽根は、クラシック側の視点からそんなクロスオーバーの虜になってしまったひとり。では石崎さん側から見ると、“手縫いの服”はどのあたりが魅力的に写ったのだろう?

 「クラシック方面に知識のないぼくが見ても、やはりただならぬオーラを宿していることがわかります。それに、“いまどき服をぜんぶ手縫いでつくってるの?”というところに夢やロマンを感じるんですよね。最近のプロダクトって、なんでもストーリー重視になってきていて、モノをいかに魅力的に語るか、というところに力点が置かれているように感じます。だからこそ、予備知識なくモノを見た瞬間に“すごい!”“欲しい!”ってなる服を提案したい。だからお客様にも、“これ手縫いなんです。最強です!”くらいしか説明しないと思いますね。そして価格もすごく高い。でも、どうせなら突き抜けたクオリティのものに触れたほうが夢を感じるじゃないですか。だから、この金額は夢の値段だと思ってください(笑)」

 “クラフツマンシップ”と“夢”のクロスオーバーが生んだ、これまでにない名品。このダッフルコートのファースト受注会が、9/3〜9/10にWolf & Wolffで行われる。オーダー品のため納期は約4ヶ月〜(受注状況によって変動あり)、価格は85万8000円〜。生地や着丈、サイズ感などはもちろん好みにオーダー可能だ。
Wolf & Wolff

営業は不定期につき、オープン情報などはホームページインスタグラムを要参照。商品などに関するお問い合わせは下記メールにて。

住所/東京都渋谷区渋谷2-2-3 青山Oビル2F

E-maiil/dream@wolfandwolff.com

小曽根広光

1984年生まれ。新卒で雑誌「Men’s Ex」編集部に配属され、約11年間同編集部に在籍。2018年よりフリーランス。最近の趣味はドライブ。

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