2024.4.15.Mon
今日のおじさん語録
「白は清浄あらゆる色を彩る。黒は厳粛あらゆる色を深める。/月光荘おじさん(高橋兵蔵)」
名品巡礼
連載/名品巡礼

誰かに喜ばれたくて。
フィレンツェ、
街場の靴職人物語

撮影・文/山下英介

最近、オーダーやビスポークという言葉が、すっかり富裕層の嗜みのような意味をもってしまった。確かにその技術は、ときの王侯貴族たちによって磨かれ、進化してきたものだし、その価格を考えると致し方ない側面もある。けれど、誰かのためにモノをつくるという優しい行為は、もっとみんなのために開かれているべきではないか?と心から思う。特に人間が生きていくのに欠かせない靴という分野においては、なおさらだ。目の肥えた富裕層向けのビスポークと、街場に根付いた庶民のビスポーク。どうしたって華やかな前者のほうに注目が集まりがちだけど、この両者には、本来優劣なんてないのだ。そこで「ぼくのおじさん」は、職人の街、フィレンツェで暮らす人々のために靴をつくり続ける日本人靴職人、松岡祥子さんにお話を伺った。誰かのためにものをつくるって、本当に尊い生き方だと思う。こんな職人さんがぼくたちの街にいてくれたら、日々の暮らしはどんなに豊かになるだろう?

名職人マンニーナから
私が教わったこと

フィレンツェを代表する観光地、ヴェッキオ橋の近くにある、松岡祥子さんの工房兼店舗「La Calzolaia」にて。
松岡さんが靴づくりを始めたのは、なにかきっかけがあったんですか?

松岡祥子 地元は名古屋だったんですが、もともと靴づくりがやってみたくて、中学の進路相談のときに、「どうやったら靴職人になれますか?」って先生に相談したんです。それで教えてもらった日伊協会に手紙を書いてみたら、こういう職人の道があるよって・・・。もう30年くらい前の話ですけど。

30年前となると、まだクラシコイタリアブームとかが勃発する前ですね。

松岡 そうでしたね。当時はまだなんの情報もなかったので、高校を卒業した後、とりあえずイタリアに行ってしまうんです。

それはすごい行動力ですね! でも当時はインターネットもないし、日本人の職人もほとんどいなかったでしょうから、イタリアで働くのはかなりハードルが高いですよね。

松岡 語学学校に通いながらマンニーナという工房で働き出したのですが、結局その頃は日本人相手の接客くらいしかできなくて、帰国したんです。その後兵庫県にある神戸医療福祉専門学校に通って、いちから医療用の整形靴づくりを学びました。

おお、日本でも有名だった靴職人で、数年前に亡くなったカロジェロ・マンニーナさん! 

松岡 専門学校で学びながらも、またイタリアで働きたいという気持ちはずっと持ち続けていました。そんなときにマンニーナが百貨店のイタリア展で来日して、「またうちにおいでよ」って誘ってくれたんです。もしかしたら冗談だったのかもしれないけれど、それをきっかけに再びイタリアに行って、本格的にマンニーナで働くことにしました。それが1999年のことです。

松岡さんが師事した親方、カロジェロ・マンニーナさん。嗜好品ではなく、実用品としての注文靴つくりを生涯貫いた彼は、松山猛さんの紹介によって1990年代から日本でも人気となった。2014年に亡くなるが、その工房は今も続いている。
マンニーナさんはどんな人でしたか?

松岡 家族とはよくケンカしてましたが(笑)、私たちには優しかったです。彼はシチリア出身で、子供の頃から靴づくりを始めて、20代にしてすでに自分の店を構えていたんです。

そういえばマンニーナさんといえば、「ぼくのおじさん」に参加してくださっている松山猛さんが、日本における火付け役だったんですよね。

松岡 松山さんは、マンニーナからはプロフェッソーリって呼ばれていました。松山さんはイタリア語が喋れないのに、ふたりはすごく通じ合っていて、マンニーナの故郷のシチリアに一緒に行こうってよく話してました。彼は2014年に79歳で亡くなってしまったんですが。

ステファノ・ベーメルさんやロベルト・ウゴリーニさんに代表されるように、90年代のフィレンツェというと、たくさんの腕利き靴職人さんが活躍して、覇を競っていた時代です。その中でいうとマンニーナさんはちょっと異質というか、本質的にいうと街の靴屋さんだったわけですよね。庶民が履ける実用品としての靴を頑なにつくり続けたという点で。

松岡 そうですね。安いサンダルもつくっていて、アメリカ人の学生に売れていたそうです。でも私は他の職人さんのことは何も知らなかったので、ただマンニーナのもとで修行していただけですが。

こちらはマンニーナで働いていた先輩職人のフィリッポさん。タバコを吸いながら靴を縫う姿が印象に残っているという。
ぼくの記憶だと、90年代後半くらいに、日本人がイタリアの工房で修行するムーブメントが勃発したように思っているんですが、当時はまだ職人仲間は少なかったですか?

松岡 私の感覚だと、日本人がたくさん来るのはもう少し後で、2000年すぎくらいのことだと思います。私が最初に働き始めた頃は、まだ日本人の職人さんは少なかったですね。ロベルト・ウゴリーニでは、深谷秀隆さんと鈴木幸次さんが働いていましたが。

まだ少なかった日本人職人同士、横の繋がりで相談しあったりしていたんですか?

松岡 どうだったかな。あまりなかったかもしれません(笑)。

意外と日本人はそういう傾向があるらしいですね(笑)。ちなみに〝弟子〟というのは、社員とかアルバイトとは違って、完全に〝弟子〟なんですか?

松岡 私たちが来た頃はそうでしたね。最初は無給で、だいたいみんな、語学学校に通ってアルバイトしながら修行するんです。生活は大変でしたけど、私はとても親切な家族にお世話になっていたので、なんとかやっていけました。

それこそマンニーナさんが育ってきたイタリアの職人の世界って、完全な徒弟制度だったわけですもんね。

松岡 現在は見習い期間が半年あって、その後雇うか雇わないかを決めるような制度になっているみたいです。昔のようなやり方は、今は厳しいでしょうね。

街場の注文靴職人として
生きていくということ

観光地のど真ん中ながらも、なぜか人通りも少なく静かな通りにある松岡さんの工房。近くにはマンニーナさんの工房が。
結局マンニーナでは、どのくらい働かれたんですか?

松岡 11年です。2011年に独立しました。

めちゃくちゃ長いですね! それは自分の意志で在籍したということですか?

松岡 そうです。ずっと雇ってもらって。マンニーナでは、採寸と型紙、木型は彼がつくるので、私は吊り込みから仕上げまでを担当していました。

それはすごい。マンニーナの靴って、素朴でいいですよね。安くてうまい町中華みたいな感じが好きだったなあ。

松岡 私がいたときは700ユーロからでした。

現代のビスポークシューズとしては破格ですね(笑)。

松岡 彼はトランクショーもほとんどせずに、お店に来てくれるお客さんたちを相手にしていましたから。まあ、すでに高齢だったという理由もあるんだと思いますけど。

独立されたのも自分の意志ですか?

松岡 いや、私ひとりでは独立してやっていけるような自信はありませんでした。でも、この場所に貸し出しの張り紙がしてあったのをマンニーナが見つけて、大家さんに電話してくれたんです。自分が元気でいるうちに挑戦してみろって言われて・・・。そうか、気づいたらもう10年以上経っているんだなあ。

松岡さんがつくる靴は、基本的にマンニーナさんから受け継いだ技術がベースになっているんですか?

松岡 そうですね。それと専門学校で学んだ整形靴です。甲が高すぎたり、外反母趾で履ける靴がないという悩みを抱えた地元のおばあちゃんにも、合わせられるので。

整形靴を学んでいた彼女が得意とするのは、外反母趾や足に悩みを抱えている人に向けた靴づくり。イタリアならではのスタイリッシュなデザインに落とし込むのはお手のもの。
フィレンツェの街って石畳だし、バリアフリーとは無縁の環境なので、高齢の方にはなかなか厳しいですよね。それでも元気にハイヒールを履いているおばあちゃんも多くて感心しちゃいます。

松岡 ヨーロッパの場合は普段はスニーカーでよくても、やっぱりちょっとしたパーティもあるから、ある程度フォーマルな靴が必要になるんです。でも、みんな修理をしながらボロボロになるまで履いていますよ。うちも普段は修理ばかりで、本当はもっと靴をつくりたいんですけど、地元の人たちと繋がれることが、何よりも嬉しいです。

この日は紳士靴を修理していた松岡さん。その腕は有名で、駐伊アメリカ大使もこちらに靴を持ち込むそう。
トランクショーにも行かない地元密着型の靴屋さんだと、そうそう毎日注文が入るわけもないですからね。

松岡 でも修理って、いろんな靴が見られるからとても勉強になるんです。「ガット」のように、今はない工房でつくられた靴の中身を見れる機会なんて、そうはないですから。婦人の靴なんて、どうやってつくられたかわからないような技術がたくさん使われていますよ。

修理品のジョッパーブーツは、ベネチアの工房でつくられた年代もの。見事な底づけ技術に、「どうやってつくっているのかわからない!」と松岡さんも感心していた。
確かにそれは楽しそう! お客さんは地元の方が多いんですか?

松岡 そうですね。こっちに住んでいる外国人も多いですけど。以前は旅行で来られる日本人のお客さんも多かったですが、コロナ禍がありましたから。また戻っていらしたら嬉しいですね。

普通の人がつくれる
注文靴屋であるために

ちなみにお値段はいくらからつくれるんですか?

松岡 いわゆるダービータイプの、マッケイ製法でつくる紐靴なら、初回は木型代込みで980ユーロからです。2回目からは780ユーロから。グッドイヤーの場合は、初回木型代込みで1580ユーロからになります。

師匠マンニーナと同じく、マッケイでの靴づくりを得意とする松岡さん。できるだけ多くの人に注文靴をつくってもらいたい、という良心のこもった価格設定だ。
今どきの相場からすると、圧倒的に安いですね。そこもマンニーナ仕込みなんだなあ・・・。この価格は松岡さんのこだわりなんですか?

松岡 それはありますね。自分が買いたいと思う値段というか。ただ、これでもイタリアの普通の人たちに言うと、「なんでこんなに高いの?」って聞かれちゃうんですよ。

こればっかりは仕方ないんですけどね(笑)。最近は革はもちろんパーツもどんどん高くなっているので、結構きついんじゃないですか?

松岡 ここは家賃も安いですし、ひとりでやっているので、今のところこの価格で済んではいます。うちは高級な靴屋さんの外注仕事を請けたりもするんですが、仕入れている革や靴づくりの工程は、そういう工房と全く同じなんですけどね。

かといって、自分がそういう価格にしようとは思わない?

松岡 えっ・・・怖いです、そんな価格。

怖いんだ(笑)。

松岡 ・・・イタリアの普通のおじさんが、退職記念に1足つくってくださったりして、そういうほうが自分には合ってるなって。 

リラの時代のイタリアみたいな話ですね。素敵だなあ。ちなみに松岡さんの自信作というか、好きな靴ってどんなものなんですか?
バケッタ革を使い、堅牢なノルベジェーゼ製法でつくられたUチップは、いかにもフィレンツェ的な佇まい。

松岡 うーん、これかなあ。これはマンニーナがアッパーをつくってくれて、私が仕上げた靴なんです。アッパーはワンピースで、革はイル・ビゾンテが使っているようなバケッタレザー。これはマンニーナが好きだった革なんです。

師匠との合作ですか! 一見素朴な雰囲気ですが、トウのモカ縫いは繊細さだし、実に格好いいですね。 

松岡 こっちの黒いUチップもデザインは一緒なんですが、ステッチダウン製法なので軽いしカジュアルな印象ですよね。

アッパーの革を外側に広げてソールと縫い合わせる、ステッチダウン製法。デザートブーツなど、カジュアルな靴によく使われる製法だ。
最近チャレンジしているサンダルづくり。「いわゆるグルカサンダルですね?」「そういう名前は知りません」。
やっぱり、靴をつくる作業が一番楽しいですか?

松岡 作業自体も好きですが、うまく足に合った靴をつくれたときが一番嬉しいですね。ビスポークってどうしても1足目で完璧にフィットさせるのって難しいんですが、修正を重ねてお客さんに喜んでもらえることに、やりがいを感じます。

得意な作業とかはあるんですか?

松岡 ・・・グッドイヤーかなあ。マッケイを手で縫うのは大変なのであまり好きじゃないです。

設備としてはマッケイとグッドイヤーの機械があるんですか?

松岡 いや、機械はマッケイだけです。

え、ってことはグッドイヤーというのはいわゆるハンドソーンウェルトで、ステッチダウンも手縫いということですか! それでこの価格は考えられない(笑)。本当に利益を削っているんだなあ。

松岡 計算ができないんです(笑)。

松岡さんは、日本でトランクショーをやりたいとかいう希望はないんですか?

松岡 ・・・いや、そんな自信はないです。この工房でお客さんの足を測らないと、私はつくれません。

じゃあ、これからもこの街で靴を直したり、つくっていくと

松岡 そうですね。この工房がある建物はおそらく200年くらい前に建てられたものだと思うんですが、フィレンツェはそういう古いものが、当たり前のように残っているところがいいですよね。日本だと自分が生まれた年くらいの建物ですら、どんどん建て替えられてしまっているのに。ちょっと街から離れたら、豊かな自然が楽しめるところも気に入っています。・・・でも、私は日曜日もほとんどこの工房にいるので、あんまり詳しくはないんですが。

イタリアになじんでも、働き方は極めて日本人的なんですね(笑)。

松岡 あっ、でもそろそろ日本に帰らなくちゃいけないんだった。

おっ、それはどうして?

松岡 パスポートがそろそろ失効しちゃうんです。10年間一度も日本に帰っていなかったもので。

松岡さんは、もはやこの街の一部になっているんですね。今日はありがとうございました!
愛猫とともに暮らす松岡さん。彼女の取材風景をずっと見守っていた。
La calzolaia di Shoko Matsuoka

住所/Via de’Ramaglianti 6r 50125 Firenze

電話番号/+39 3388208650

メールアドレス/shokomazuok@me.com

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