2024.3.5.Tue
今日のおじさん語録
「人間は言葉でできていますから自分自身を言葉にしてみるととてもスッキリするのです。/伊丹十三」
名品巡礼
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連載/名品巡礼

「その仕事で
メシは食えるのか?」
お鷹ぽっぽとかご細工。
東北の民芸品が
ぼくたちの心をうつ理由

撮影・文/山下英介

先日「米富繊維」の取材で訪れた山形県でぼくが一目惚れしたのが、北海道における熊の置物のように、この地を代表する木彫りの民芸品「お鷹ぽっぽ」。とぼけた名前と素朴な表情に癒されるが、それでいて不思議とどこかモダンで、都会の部屋にも似合ってしまうところが、なかなか興味をそそられる存在なのだ。調べてみるとこちらは「笹野一刀彫」といって、米沢市の笹野という小さなエリア内だけでつくられている、とても貴重な民芸品なんだとか。そこで今回は、この「笹野一刀彫」を代表する達人、六代目戸田寒風さんに会うために雪深き米沢市へと向かった。実は戸田さんは、一刀彫だけではなく、「ぼくのおじさん」の編集人がこよなく愛する、かご細工の世界でも知られているという。これは楽しみ! このチャンスに、山のものづくりの文化を、たっぷり学ばせて頂こう。

「お鷹ぽっぽ」は
貧しい農村から生まれた

六代目戸田寒風さんは1949年生まれ。家業である農家をやめ、笹野一刀彫専門の職人としてその魅力を全国に伝えた人物だ。近年ではかご細工の分野でも活躍しており、今でも年間200日は全国のデパートをまわり、実演販売に精を出している。
ここは何年くらいやっているんですか?

六代目戸田寒風 オレが今74になっところだから・・・ハタチくらいかな? もともとここに工房ってなかったのよ。

ものづくりとしては昔からあった?

六代目 もう何百年も昔から。もともとは農家の副業で、一刀彫だけでメシを食ったのはオレが最初だね。

農家さんの副業だったんですね。

六代目 んだ。上杉鷹山公の前から。一刀彫はこのあたりの観音様(笹野観音堂)の、年に一度のお祭りのための仕事だったの。仏壇に飾る削り花。だからほとんどの人が花つくりだったね。昔のこのあたりは、本当に貧乏だったよ。田畑(でんぱた)が少ないから、農家でも最低のほう。山も急で、炭焼きなんかもできなかったし。冬は雪で仕事にならないから、むしろやワラジを編んだり、縄ないをするしかなかった。夏に使うものを冬につくるわけ。今はそれほどでもないけれど、ここらの冬は雪で屋根が低かったよ。

新幹線の米沢駅から、タクシーでだいたい20分くらいの場所にある、戸田寒風さんの工房兼ショップ「元祖 笹野一刀彫 鷹山」。運転手さんに「戸田寒風さんのお店」と伝えたところ、すぐに連れて行ってくれた。取材に伺ったのは1月後半だが、「今年は異常に雪が少ない」とのこと。
住所/山形県米沢市笹野本町6798
TEL/0238-38-3200
ここはかなりの豪雪地帯だから、冬は農作業もできないでしょうしね。戸田さんもやはり当時は貧しかった?

六代目 この辺はみんなそうだったから仕方ないけど、学校に行きゃ貧乏のほうだったね。うちの親父の弟なんかは、坊主になればメシの食いっぱぐれがないってんで、坊さんになってたし。電気やロウソク代ももったいないって、毎日寺に通ってたよ(笑)。そんな中でオレは小学校5年生くらいから、オヤジの手伝いでちいちゃな花をつくってた。手伝えばお袋とかおばあちゃんに褒めてもらって、食べ物とか買ってもらえたからね。

当時はまだ新幹線が通る前ですよね? どうやって売っていたんですか?

六代目 もちろん。ここまで来てくれる人なんていなかったし、宅急便もなかった。お袋たちは花を背負って町まで売りに行っていたよ。農業で食える人は、一刀彫はしなかったね。

う〜ん、たった60年前の話とは思えませんね! でも、これひとつでやっていこうというきっかけは何だったんですか?

六代目 高校は農学校だったんだけど、オレたちが一生懸命学校に頼んで、アイヌの熊彫りの産地を見に行ったりしてたんだよね。わざわざ4人でタクシーに乗って現地まで買いに行ったけど、札幌のお土産物屋で買うのと値段は一緒なの。だからこれをつくるところを見せて市内の観光地よりも安く売れば、人は来るんじゃないかとは思っていた。その後、長野県に農業研修に行ったら、県の町田さんという方が、うちの村の農地の面積を見て、雪国の山形でこれじゃあ、メシ食えねえべ、って。で、一刀彫をお土産に持っていったら、「何でこれをやらないの?」って言われたよ。そこで町田さんの紹介で、善光寺のお土産屋さんで仕事させてもらったら、たった2日でうちの1年分くらいは儲けている。それを目の当たりにして、この仕事だけでメシ食おうって決めたの。それが始まりです。

戸田さんがご家族と一緒に働き、親戚や周辺の職人さんたちが出入りする、とてもアットホームな雰囲気の店舗兼工房。
まわりからの反応はどうでしたか?

六代目 当時はオヤジも反対していた。鷹山公以来、一刀彫でメシ食った奴はいねえ、と。

それをどうやって〝食える仕事〟にしたんですか?

六代目 米沢の大学の先生が一刀彫の歴史を調べていて、うちに泊まりに来たの。それで、組合をつくりなさいと。もともと一刀彫の工人さんは自由につくっていたんだけど、それにあたって基本のカタチと値段を統一したんです。で、5人や10人だと力がねえべってことで、工人を募集して40人くらいの組合にした。笹野以外の人たちは一代限り、というきまりもつくってね。この笹野のために頑張ってくれた師匠たちがいなかったら、今はなかったね。

なるほど、ここで今の一刀彫のスタンダードができたんですね!

六代目 組合をつくる前にも、笹野一刀彫をこけし屋やデパートに卸していた先輩のじいちゃんたちはいたんです。でも、そういう人たちって自分のやり方があるので、組合に入ったときに、今のカタチをつくれなかった。それで返品になっちゃうんです。それなのに高校一年生のオレみたいなのが彫った商品は買ってもらえるもんだから、先輩たちは怒っちゃった。そういうトラブルはありましたよ。

やはり新しいことを始めるときは、軋轢もあるんですね。

六代目 オレがこの店を開くときに一番困ったのは、道路です。当時は道路が狭かったのでバスも入らなくて、近くに停めたお客さんが駐車違反をくらったこともある。今じゃ考えられない話だけど、そのときはオレが米沢市長のところまで行って、違反を取り消してもらったこともありますよ(笑)。それから道路を広くするために、議員の先生方のところに陳情しに行ったり。普通の人は一刀彫のお店になんて興味はねえから、難しかったです。

今は新幹線の米沢駅からタクシーで20分程度で着く時代ですから、隔世の感がしますね。

六代目 ガリ版でチラシをつくったり、観光案内所で実演しながら案内したり、米沢織の工房にお願いしてお客さんを紹介してもらったり・・・。そんなことをやってきて、だんだんとここに人が集まるようになったんです。

「お鷹ぽっぽ」と
アイヌ文化の関係

よく乾燥させたコシアブラの木を材料に、まるで斧のように大きな刃物「サルキリ」を駆使して、細部まで仕上げていくのが笹野一刀彫の醍醐味。その手さばきは惚れ惚れするほどにスピーディだ。左が六代目が彫った「お鷹ぽっぽ」で、右は戸田さんの息子さんである七代目の作品。素朴にして優雅、野趣と気品を併せ持つ、ほかにはない民芸品だ。工人ごとの作風を見比べるのもなかなか面白い。
しかし、こうやってお話をしながらでも、呼吸をするようにお仕事をされていますね。昔からこんなに早かったんですか?

六代目 みんなが1本つくるうちにオレは2本つくっているから。みんなケガが怖いから遅いんですよ。

いや、ケガは誰でも怖いですよ(笑)。これで指落としちゃうような人も?

六代目 いますね。

そりゃいますよね(笑)。この「サルキリ」という道具は、これを彫るためだけのものなんですか?
両端に取っ手のある「セン」や、小刀のような「チジレ」という道具でコシアブラの木の皮を剥き、「サルキリ」で細工を施し、切り落として完成。

六代目 そうです。自分のやりやすい形で、鍛冶屋さんにつくってもらいます。一刀彫という商品は日本のいろんなところにあるけれど、本当にひとつの刃物だけを使っているのは、今のところオレたちのところだけだね。

本当に細かいところも大きなところも、サルキリ1本で彫るんですね・・・。だいたい、1日に何本くらい彫れるんですか?

六代目 大きさによるけど、大きいと1本、2本しか彫れないものもある。ただ力がいっから、ぶっ続けでやると腱鞘炎になっとじゃんね。

使っている木材はコシアブラというんですね。これじゃないとダメなんですか?

六代目 何十種類と試してきたけれど、コシアブラじゃないと、この色や羽根の弾力性が出ないんですよ。

繊維が密でありながらも柔らかく加工しやすい特性をもつ、コシアブラの木。地元の人は「アブラコ」とも呼ぶ。
そういえば、何かで見たんですが、「お鷹ぽっぽ」の「ぽっぽ」とは、もともとアイヌ語だったとか。もともとこの地域とアイヌは交流があったんですか?

六代目 この村でも、誰も「お鷹ぽっぽ」の意味がわかんねかったの。で、オレが北海道で調べたら「ぽっぽ」とはアイヌ語でおもちゃという意味だった。この近くの山の上に西向沼っていう小さな沼があるんだけど、そこにアイヌの方が住んでいたみたいなんですよ。追われて北海道に行ったんだ、という話もいろいろあるんだけど。ただ、サルキリの由来は調べてもわからなかった。

千数百年前から笹野地方に伝わる〝信仰玩具〟笹野一刀彫。江戸時代中期に米沢地方を治めた上杉鷹山公がこの民芸品を冬の副業として推奨した際、自身の名前と重なる鷹を珍重したことによって、「お鷹ぽっぽ」は魔除けの玩具として広まった。これらはなんと250年ほど前につくられた「お鷹ぽっぽ」。囲炉裏で燻されるとこのような色になるという。
昔の東北地方では、アイヌとの交流があったんですかね?

六代目 わかんねえけど、アイヌの人にここに来てもらって、花の原型みたいなものがある、という話もした。まあ、オレらの先祖や先輩方は、そういうことを調べるという頭はなかったよね。長年その日その日の売り上げがあればいいと思ってやってきたわけだから。

そういえば、六代目は昔山伏をやっていたとか?

六代目 あ、そうです。

あっさりと(笑)。そういうのって、ここ山形では普通のことだったんですか?

戸田 いや、普通っていうか、ここの観音様で1月17日に行われるお祭り(笹野観音十七堂祭り)で、護摩炊きをするための山伏なの。6人くらいで行って、お経を習って、火渡り行をやって。今でもやってるけど、要するに臨時山伏だな。で、そのときにもらった山伏の名前が「寒風」。

臨時の山伏なんているんですね(笑)。山形の文化はますます興味深いなあ。
戸田さんの工房のすぐ近所にある「笹野観音」は、810年に坂上田村麻呂が建立した、由緒あるお寺。現在は改修中だが、19世紀に再建された本殿は見事な建物だ。1月17日の笹野観音十七堂祭りでは、一刀彫の市が立ち大いに賑わうそう。なんと、お鷹ぽっぽの銅像まである!

かごバッグは
材料の確保が命!

そういえば、この工房ではかごバッグもつくっているんですよね?

六代目 そう。このあたりではオレが始めた。

え〜っ、そうなんですか?

六代目 30年くらい前にデパートの東北展で実演販売をやったとき、隣に青森のかご屋さんがいたの。お客さんの数はうちのほうがずっと多いのに、1日の売り上げはオレの4、5日ぶんでしょ? で、ずっとその仕事を観察して、オレにもできるなってすぐにわかった。それで帰ってきてから習い始めた。当時すでに青森では材料となる山ぶどうの蔓が少なくなってるという話だったけど、オレは材料取りはお手のもんでしょ?(笑)。まだ米沢にはかご屋さんがいないから、たくさんあるし。それで権利を買って。だからうちは山ぶどうの材料は、日本で一番確保しているつもりだよ。

編みの緻密さ、丁寧さで知られる戸田さんのかご細工は、英国でいうホームスパンのように、家内制手工業的な制作方法がとられている。この日働いていた職人さんは、「うちのかごバッグは小さなもので2〜3週間、大きなもので2ヶ月くらいはかかります。お客さんに喜んでもらえるように、緊張しながらやっています」と語ってくれた。
なるほど、材料の確保が大切なんですね。

六代目 一番大事ですね。万が一火事が出ても困らないように、バラバラに保管している。

6月に採取した山ぶどうのツルは、カビが生えないようカラカラに乾かしてから保存させるが、編む前にまた水にさらし、柔らかくしてから編んでいく。編んでいると手が痛くなるそう。
そうなんですか。ぼくは山に入って、そこらへんから勝手に取っていくものだと思っていました(笑)。

六代目 ないない(笑)。権利を買わなくちゃいけない。6月の2週間しか採れないんだけど、だいたい3月に申請して、営林士さんから林野庁を経て、それで許可をもらって、ようやく採りに行ける。だから信用が大切なんです。採っちゃダメなところで採っているところを見つかったら、その場で終わり。次の年からも許可は出なくなる。10人くらいで行くし、みんなオレの顔知ってるから、勝手なことはできません。

うわあ、大変なんですね。

六代目 それが当たり前です。だって山ぶどうだけは太らないから、一回切ったら、同じ場所からは30年は採れないよ。山ぶどうは自分の代で終わり。だから下手なカゴ見ると、つい「材料がかわいそうですね」って言っちゃうもんね(笑)。

一代限り! とても貴重な素材なんですね。しかも山ぶどうはかなり険しいところに生えていて、採るのも大変だとか。

六代目 オレにとっては庭みてえなもんだけど、それでも去年専属の弟子がひとり遭難しちゃった。100人くらいで捜索したけど、結局見つからなかったな。

・・・そうですか。危険と隣合わせなんですね。ちなみに山ぶどうの採集は、機械でガーッとやっちゃうんですか?

六代目 いや、機械で刈ると山をめちゃくちゃにして、それからいい木が生えてこなくなる。ツルは5〜6人で引っ張っても下りてこないほど大きいけど、全部手作業だよ。

山ぶどう、太っ! もっと牧歌的な採取風景をイメージしていましたが、これはかなりハードなお仕事なんですね。採取する方々は皆さんプロなんですか?

六代目 違う違う。一般の農家の人とか、何もしていない人。うちはここに朝7時半までに来てもらって、ちょっとお茶飲んでから出かけて、3時から4時くらいには山を降りて、5時くらいに終わるような計算でやってるの。5時まで山にいると、ここに帰るのが6時すぎ。そういうふうに無理させちゃうと、手伝ってくれる人がいなくなるでしょ?

山の仕事っていうのは、いろんな人との関わりで成り立っているんですね。

六代目 そう。自分だけ儲けようとしたら、人がついてこなくなっちゃう。うちの工房は何時に来て何時に帰ろうが自由だから、今日はみんな材料持って帰って、ウチで編んでるよ。

ああ、内職が盛んなんですね。まるで英国のハリスツイードみたい。

六代目 そう。その代わりなるべく安く働いてもらうの。

というと?

六代目 うちの職人さんたちは、みんな退職している人ばかりだから。ここで編んでいる彼も、もともと病院の理事長さんなの。うちでゴロゴロしても仕方ないでしょ? そういうやり方だから、うちのカゴはほかよりも安く売れるんです。

そうか、そういうシステムで成り立っているんですね。そういえば、最近はかごバッグも中国製が増えているとか。

六代目 今日本で売っている8割のカゴが中国産です。中には国産と偽って売っているようなものもあるし、素材も実は山ぶどうじゃなかったりする。編みもきれいだから一見わからないけど、山ぶどうじゃないから使い込んでも黒くならないんだよ。

気をつけないといけないですね!

六代目 デパートの催事用に、4〜5日で最後まで編んだカゴを売る職人もいるけれど、それが一番悪いカゴ。ぜんぜん締まってないから。カゴを編むには最低でも8日、細かい編みのものは2ヶ月くらいはかかるから、オレはデパートでは小物や修理品しか編まないんです。

高いだけに一生モノを買いたいですよね。

六代目 手に入れたときのお客さんの喜びの顔がいいんだよね。そして古くなったモノを子供さんたちがほしがったりして。別に批判するわけじゃないけど、そこらのブランドのバッグよりも、山ぶどうってすごいんだよ。

確かに。噂によると、イタリアの超有名ブランドのレザーを編み込んだバッグは、もともとかごバッグから着想を得たらしいですし、世界に通じる名品ですよね!

オレたち職人に
限界はない!

笹野一刀彫には「お鷹ぽっぽ」のほか、ふくろうやにわとり、孔雀、山鳥など様々なモチーフが存在する。
最近は「お鷹ぽっぽ」が『Casa  BRUTUS』の表紙になったり、すごい追い風が吹いているみたいですね!

六代目 でもメシ食えないのよ。

え、そうなんですか?

六代目 食べものは1週間に何回だって買うけど、民芸品を週に2回買う人はいないもんね。

とても手の込んだものづくりだし、もっと高くしてもいいんじゃないですか?

六代目 それはよく言われるけど、高くすると最初はよくても、そのうち売れなくなる。だから難しいの。

なるほど〜。それでは「お鷹ぽっぽ」の未来はどうなるんでしょうか?

六代目 オレの経験上、伝統こけしでもなんでも、売れなくなるとふるいにかけられて、そこから落ちなければメシが食えます。それにはやっぱり技術を覚えないとダメだ。ただ、祝い事には一刀彫という時代は終わって、これからは邪魔なモノは片付けようっていう時代でしょ? だからこれからの人は、メシが食えるような商品を考えたり、伝統を見直したり、そういうのが必要です。

若い弟子入り志願者とか、来ないですか?

六代目 少ないのよ。職人って、サラリーマンと違って明日からメシが食えるわけじゃないから。

先が見えない社会だけに、手に職をつけるのはいいと思いますけどね。

六代目 伝統がなくなるなんてもったいない!なんて人がいると、オレは言うんです。「奥さん、もったいないって思うんだったら、オレが教えっから、息子さんをここの職人にさせてみっか?」って。そう言うと「ええ〜っ」ってなるんだよね(笑)。

お母さん世代だと、今職人をやるという発想は、逆に理解しにくいかもしれないですね(笑)。でも、民芸品は世に数あれど、ここまで魅力的なモノって珍しいですよ。

六代目 こういうのって、頑張ってつくらないとメシが食えないからできた商品だと思うんですよ。オレたちの先輩たちは、雪国でなにもない場所だったから、頑張ってきた。オレも色々なことを言われましたよ。寒風の仕事なんて、10年も続かねえ、なんてね。だから筋(すじ)プラスがんばりと意地がないとダメだよね。よく、自分のつくったものを「これでいいかな」って聞きにくる職人がいるんですけど、オレにそう聞くってことは自信がないってことだから、つくり直せって。職人は、自分がほしくなるようなものをつくらないといけない。簡単なことです。

筋プラスがんばりと意地! 山の民芸品って、職人さんたちの心意気の結晶なんですね。最後に質問ですが、戸田さんを支えた意地って、やっぱり「オレが一番うまい」というプライドなんですか?

六代目 職人は誰でも一番になりたいと思うけど、一番になっちゃうとその先がない。2番ならその先があるから、それでいいと思っているよ。オレたち職人には、限界はねえんだ。

七代目戸田寒風に聞く、
民芸品の未来

七代目戸田寒風こと、戸田賢太郎さん。
六代目がお昼寝タイムに入ったので(笑)、ここでご子息である〝七代目戸田寒風〟こと賢太郎さんにもお話を伺いたいと思います。賢太郎さんは現在40歳とのことですが、どういう経緯でこの仕事を始めたんですか?

七代目戸田寒風 いや、しれっと始めたというか(笑)。もともと会社勤めをしていたんですが、二十代半ばで辞めて、そのまま親の手伝いを始めたんです。

だいたい商品がつくれるまで、どのくらい練習したんですか?

七代目 子供の頃から家が忙しいときは手伝いもしていたので要領はわかっていたんですが、それでも売れるものをつくれるまでには、2年くらいはやり込みましたね。特に花は難しかったです。でも、お客さんと直接顔を合わせながら商売できるって、いいですよね。会社員時代はなかなかそれができなかったので。

笹野一刀彫のルーツといわれる削り花。七代目がチジレを使いコシアブラを撫でるように削ると、ひとりでに美しい花弁が生まれてくる。
40代の賢太郎さんから見て、この仕事はどうですか? 可能性は感じますか?

七代目 最近は『Casa  BRUTUS』をはじめ、いろんなところで紹介してもらう機会が増えて、若い世代の方が訪ねてきてくださるので、ひと昔前とは状況が変わってきてるのかな、とは思います。

私から見ても、とても魅力的な商品だと思います。山形の文化そのものも最近はよく雑誌などで紹介されているし、魅力的ですよね。

七代目 よく食べ物が美味しいとか言われるんですが、そういうのは中にいると気付かないんですよね。

ジビエや山菜など、山の食材ってとても豊かで、とても興味をそそられます。この工房にも大量の毛皮がありますが、やはりよく出るんですか?

七代目 まあこの辺は、猪、熊、猿あたりには事欠かないですね。特に山ぶどうの採取のときにはしょっちゅう。子熊に囲まれるなんて毎日ですよ。たまに熊の親子連れに出くわしたり(笑)。

それはぞっとしますね。皆さんの食卓にのぼることも?

七代目 当たり前のように。お鷹ぽっぽの材料となるコシアブラの新芽もとても美味しくて、山菜の女王と呼ばれているんですよ。

うわあ、贅沢だなあ。

七代目 でもぼく、実はジビエは苦手なんです(笑)。

それはもったいない(笑)。しかし山形とひと口に言っても、地域ごとに文化が違うところが面白いですね。

七代目 一刀彫も、山形や米沢全体ということではなくて、この笹野地区だけで培われた、かなり限定的な文化だったんですよ。ぼくらのばあちゃんの世代は、冬場になるとこれを木箱に詰めて、汽車に乗って山形市のほうまで行商していた。一刀彫は決して高いものじゃないけれど、そこまでしないと食べていけなかったんです。ほかのエリアからここに嫁いできた人たちは大変だったと思いますよ。家ごとに行商のテリトリーがあるから、後輩はより遠くまで行かないといけなかったですし(笑)。今は皆さん、ここまで買いに来てくれるので、とても恵まれていますよね。

お鷹ぽっぽの絵付けを担当するのは、六代目の奥様、恵子さん。「ここに嫁いできて、初めてこの仕事を知った」という。
まさに六代目のがんばりの結果ですね。

七代目 ぼくたちの世代までは、学校で絵付けを習ったりするような授業もあって、この文化に誰でも触れる機会があったんですが、今ではそれもなくなり、一刀彫との出会いが希薄になりつつあります。だからなんとかして、地元の若い人たちに見てもらいたいなって思います。

若い子の弟子入り志願者が来たら?

七代目 ぜひ来てほしいですね!

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