2024.4.28.Sun
今日のおじさん語録
「高いところへは、他人によって運ばれてはならない。/ニーチェ」
名品巡礼
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連載/名品巡礼

英国仕立てを
進化させたテーラー
平野史也が考える!
〝その先の職人〟
になる方法

撮影・文/山下英介

紳士服のルーツでありながらも、近頃の日本のファッションシーンでは、少々影が薄くなっている英国のものづくり。特にテーラリングに関しては、本当に英国らしい服に出会う機会はほとんどなくなってしまった。そんな現状で孤軍奮闘する若き職人が、今回紹介する平野史也さんだ。仕立て服の本場サヴィル・ロウで名を馳せ、近年は東京を舞台に活動する彼に、「ぼくのおじさん」は大注目している。本物の職人には、どうすればなれるんだろう? 本物の英国仕立てって、どんなものなんだろう? いいスーツがほしい人も、テーラーに興味のある方も、ぜひ読んでみてほしい!

〝その先の職人〟には
どうすればなれるんだろう?

最近、私が関わっているメディアの世界では、格段に表現することのハードルが下がっているんです。センスのいい素人さんならちょっとカッコいい動画を撮れれば、ある程度お金になるという時代ですし。編集者である私が写真を撮っていること自体が、まさにそんな時代の賜物なのかもしれませんが、幸いなことに私は、〝その先〟があることを知っている。「ぼくのおじさん」が伝えたいことって、まさに〝その先〟なんですが、平野さんのいるテーラーの世界にも、きっとそういうことってありますよね?
東京・西麻布の閑静な住宅街にある、平野さんのアトリエにて。
FUMIYA HIRANO BESPOKE
住所/東京都港区西麻布2-23-8 南雲ビル1F
TEL/03-6712-6625(完全予約制)

平野 ああ、ありますよ。ぼくたちビスポークの世界に入ってくる職人って、だいたい服飾の専門学校を卒業してくるんですが、見習い1、2年ではだいたい既製服以下のものしかつくれないんです。学生の作品っていうか。それが修行を積むごとに既製服っぽく見えてきて、次第にビスポークっぽく見えてくるという、クオリティの段階があるんですよ。そして、既製服と遜色のないくらいオーラのある服をつくるためには、誰かに叱られながら、根詰めて作業しなくてはいけない。それはカメラマンでもテーラーでも編集者でも同じだと思うんです。

はっきり言ってその通りですね(笑)。

平野 今の時代にはそぐわないかもしれないけれど、徹底的に下積みして泥水をすすりながら、なにくそと思ってやってきた職人がつくる服には、オーラがありますよね。ただ、最近はそういうことを若い職人に伝えても「なんでそんな高みを目指さなくちゃいけないんですか?」なんて逆に聞かれちゃうような時代なので、なかなか大変です(笑)。ちょっと時代が変わった気もしますね。

よく言えば軽やかというか(笑)。センスがよければある程度のところまではいけてしまう時代でもありますしね。

平野 でも、お寿司屋さんとか天ぷら屋さんとかで5年、10年修行されているような職人さんって、所作がとてもきれいですよね。そこには、付け焼き刃では追いつけないオーラが絶対にあると思うんです。

平野さんの仕事ぶりやその服にも、それはすごく感じます。まさにそういう泥水をすすってきたタイプの職人さんなんだろうなって。

平野 もちろん、無駄な修行をする必要はないと思うんです。むやみに怒るような親方についたって意味がないし。やっぱり上手い職人から習うと上手くなるし、下手な人から習うと下手になっちゃう。いい師匠に巡り合うことが、いい職人になる第一条件なのかもしれないですね。

こればっかりは運の世界でもありますね(笑)。そういった意味で、平野さんにとっての師匠って誰だったんですか? やっぱり英国でも随一の格式を誇るテーラー、ヘンリー・プールですか?

平野 ぼくはヘンリー・プールに行く前は、専門学校を経ていくつかの国内テーラーで修行していたんですが、縫製の感覚でいうと麒麟(現KIRINTAILORS)の上山善史さんから厳しく教えていただきました(笑)。ステッチひとつにも徹底的にこだわる方だったので、すごく実になりましたね。

縫製の現場修行っていうのはどういうものなんですか?

平野 端から端まで親方を真似しながら縫っていくことの繰り返しですね。いかに親方の縫い目を再現できるか?という勝負です。最初はボタンホールやまつり縫いから始まって、次はポケットが縫えるようになって・・・と、だんだん縫える場所が増えていく。その集大成が、一着のジャケットになるわけです。縫い方は自己流でもいいのですが、着地点が親方の求めているクオリティになることが必須条件。もちろんスピードも大切です。

当時から紳士服の本場であるサヴィル・ロウでの修行は視野に入れていたんですか?

平野 そうですね。最初からイギリスには行きたかったので、修行時代から貯金はしていました。でも当然修行時代のお給料なんて微々たるものなので、いっときは週5で居酒屋の夜勤をやっていました。居酒屋で夜10時から朝5時まで働いて、朝10時にテーラーに出勤するみたいな毎日だったので、さすがにしんどかったです(笑)。それでなんとか200万円くらい貯金して、2012年の10月に渡英したんですよ。

紳士服の聖地サヴィル・ロウで
30歳で独立できた理由

そういうのって、日本で面接を受けて就職先を決めてから行くんですか?

平野 いや、まずはイギリスに行っちゃいました。行けばどこか入れるかなと思って(笑)、2年間働けるワーキングホリデーのビザを取って、ネットで部屋を探して、語学学校に入ったんです。当時はまだ為替が安かったですけど、それでも日本を出る前に150万円を切っちゃったので、すごく不安でしたね。

若者とはいえ、物価の高いイギリスでは心もとない金額ですね。すごい勇気だなあ。

平野 クレープアイスの屋台でアルバイトしましたけど、最初はぜんぜん英語も聞き取れませんでした。日本でも勉強してはいたんですけどね(笑)。ただ、履歴書と自分の作品をヘンリープールに持っていったら、入れてもらえたんです。

日本で必死に覚えた縫製の力が認められたわけですね。

平野 最初はいわゆる見習いというかインターンの立場で、地下にあるワークルームで働いていたんですが、こちらも6年やってるので、普通にできちゃうんです(笑)。なのですぐにあれもこれも縫って、みたいな感じになりましたね。そんなときにカッターに空きが出て、またカッター見習いとしてやらせてもらうことになるんです。これもすぐにできちゃって、正式なカッターになるんですが。

インターンというのは海外ではよく聞く言葉ですが、無給なんですか?

平野 海外のアパレル業界はインターンから始まることが多いですよね。アレキサンダー・マックイーンみたいなブランドなら、タダでも働きたいという人は多いですし。今は法律的にアウトですが、ぼくの時代は無給でした。でもさすがに数ヶ月無給では生きていけないので、交渉してフルタイムの扱いにしてもらったんです。これは正社員に近い扱いですね。それで、ワーキングホリデーが終わった段階で、晴れて正社員になれたというわけです。

仕事をしていくなかで、差別を感じたことはありましたか?

平野 あからさまなものはありませんが、明確な区別はありましたよ。例えばサヴィル・ロウの名門テーラーには、貴族がセレモニーのときに着るような軍服や燕尾服なんかを仕立てる、リベリーというセクションがあるんですが、ここにいるのはジンジャーヘアのブルーアイみたいな職人だけ。やはり憧れもあったし、一度はやってみたかったのですが、「ネイティブブリティッシュにしかやらせない」と断言されました。テーラーにおける秘伝のタレみたいなものを、ぼくみたいなアジア人に教えられるかという話でもあるし、皇室の仮縫いに行ったらおかしいだろうっていう感覚はわからなくもないですが。

今やサヴィル・ロウのテーラーもほぼ中東や中国資本ですし、時代はずいぶん変わっているような気もしていましたが、やっぱり閉鎖的な部分も残っているんですね。平野さんは、2015年にはそんな名門テーラーから独立して、ロンドンで自身のテーラーをひらくわけですが、それってもう最初から決めていたんですか?

平野 そうですね。30歳で独立するつもりでした。そのためにはいつまでに何ができないといけないのかを逆算して修行していましたね。

英国のビスポークスーツって
実際はどんなもの?

ちょうど10年の下積みを経て、ということですね。ヘンリープールというと、日本でもなじみの深いサヴィル・ロウの象徴みたいな存在です。よくソフトなイタリア仕立てに対する構築的な英国仕立て、みたいに言われますが、そもそも平野さんが学んだヘンリープール流というか、英国流のビスポークスーツって、どんなものなんですか?

平野 イタリアや日本のテーラーよりは、型紙の〝原型〟を大切にする傾向が強いと思います。チェストのボリューム感というか、縦のゆとりを強調するその原型というのが、英国スーツにおける最大の美徳である、いわゆるイングリッシュドレープにつながるのですが、それって前肩(肩が前方向に向いている)で猫背気味な日本人には、そもそも合わせづらいんですよ。上手いカッターであれば仮縫いをしながらそのバランスが取れるんですが、下手なカッターだと型紙にただ寸法を当てはめていくだけなので、パターンオーダーに近いものになっちゃうんですよね。ビスポーク的パターンオーダーというか(笑)。

サヴィル・ロウ流のアームホールの構造を説明してくれた平野さん。英国スーツの持ち味であるチェストのドレープは、本来は鳩胸の英国人に合わせた型紙から生まれるものだが、それを前肩気味の日本人が着ると、肩が引っかかって着心地の悪いスーツになってしまう。とはいえ前肩気味の日本人体型に合わせて型紙を引くと、英国スーツの持ち味であるドレープを殺してしまうことになる。そこで中心線のバランスを取るなどして、ドレープと着心地を両立させたのが平野さんのスーツなのだ。
実は私も英国でスーツを仕立てたことがあるのですが、その傾向は強く感じました。肩が引っかかるし背中が小さくて、正直言って着心地は微妙でした(笑)。

平野 ただサイズを合わせるだけだと、絶対にそうなっちゃいます。なので寸法の割り出し方というか、分量の配分が大切です。ぼくも独立当初はヘンリー・プールで習ったとおりに型紙を引いていたのですが、どうしても日本人のお客さまにとっては動きにくい、腕が上がりにくいスーツができてしまうのです。そこで試行錯誤を経て、英国的でありながら着やすいスーツができるようになったんです。きれいなイングリッシュドレープを優先すると腕が上げにくくなるし、イタリア的な動きやすさを優先すると英国の雰囲気が削がれてしまうし、とても気を遣うところなんですが。

生地のクセ取り、柄合わせ、地の目通し・・・。その繊細な仕立ての技術は、本場サヴィル・ロウを凌駕している。
美しく着心地もよいスーツは、型紙と芯地の組み合わせによって産み出される。平野さんの場合は、日本人の体型や気候に合わせて、サヴィル・ロウより少し薄手の芯地を使うことが多いという。これに切り込みを入れたりテープで吊ったりしつつ複雑に構成することによって、ジャケットの立体的な表情が演出されるのだ。ちなみに芯地をはじめとする副資材は、すべて英国から取り寄せている。
なるほど、平野さんのやり方は、世界的に見てもかなり独特なんですね。

平野 そうですね。日本と英国の融合ではあるんですが、ちゃんと英国の匂いを強く感じさせるものになっていると思います。なので私のお客様はもちろん英国好きな方が多いのですが、国籍は問わずサヴィル・ロウでのビスポークを体験されたうえで、満足されなかった方がとても多いんですよ。残念ながらタグの力というかブランド力はまだまだですが(笑)、ちゃんと較べてもらえたら、型紙にしても縫製にしても、絶対に勝てる自信はありますから。

こちらが平野さんのビスポークスーツ。絞り位置を高めに設定し、抑揚を効かせたエレガントなシルエットとともに、肩から首にかけて美しく吸い付きながら登っていくラインに注目してほしい。サヴィル・ロウのスーツの場合〝登らせない〟ものが多いのだが、平野さんは審美性と着心地を高めるために、あえて登らせている。背中の分量も多めに取られているので、動きやすさは抜群だ。オーダー価格は55万円〜(税抜)。2回の仮縫いを経て、だいたい1年半〜2年ほどで納品される。
縫製の美しさにかけては、世界トップクラスと言っても差し支えのないレベル。英国的なシルエットと、英国では絶対に望めない繊細なディテールとの融合によって生まれる、切れ味鋭い美意識こそが、平野さんのスーツの真骨頂だ。現在は世界中からオーダーが殺到しており、かなり待つことにはなるが、それだけの価値はある。
現在、ビスポークの価格はおいくらなんですか?

平野 スーツで55万円スタートです。まあ、高いですよね(笑)。現在は西麻布にあるサロンを中心に、香港、北京、韓国、N.Y.でトランクショーをやっていますが、30〜40代の若いお客様に支えられています。

世界的に見ると一流のテーラーでスーツを仕立てると1着100万円の世界ですし、ジョンロブの既製シューズが25万円する時代なので、決して高すぎるとは思いませんが、まあ高いのは高いですね(笑)。でも、それで成立するなら素晴らしいじゃないですか。

平野 ただ、私自身はもう少し規模を大きくしていきたいな、と思っているんですよ。もちろん自分の目の届く範囲内ではありますが・・・。山下さん、ロンドンの「ボードンハウス」ってご存知ですか?

メイフェア地区にある、ダンヒルの旗艦店ですよね。

平野 そうです。1階にシガーが吸えるバーやバーバー(床屋)、既製服を扱うショップがあって、2階にビスポークルームを構えて、英国紳士のライフスタイルをカバーするという。たとえ小さくても、そんな英国スタイルの殿堂のような空間を、この東京につくれたら最高じゃないですか。だからその土台を築くために今は頑張っているんです。

英国ビスポークの真髄を
気軽に楽しんでもらうために

日本でのファクトリー探しから始まり、試行錯誤を経て、平野さんが納得して世に出せるレベルにまで到達した、MTM(メイド・トゥ・メジャー)のスーツ。端正な縫製、高い位置に設定したウエストシェイプ、肩からネックにかけてのなだらかな隆起・・・。いわゆるパターンオーダースーツとは一線を画す完成度だ。こちらは仮縫いなし。オーダー価格は28万円〜(税抜)で、納期は3〜4か月ほど。
そんな壮大なプロジェクトの第一歩として始めたのが、既製品のトラウザースや、ファクトリー生産のいわゆるMTM(メイド・トゥ・メジャー)というわけですね! どちらも拝見しましたが、素晴らしいクオリティに驚きました。ジャケットもトラウザースも、パターンオーダーとは思えないオーラです。ウエスト位置の高さとか、ベントの深さとか、平野さんのテイストをかなり忠実に再現されているのでは?

平野 以前手縫いの既製服をつくっていたときの型紙と経験が、ここで活かせました。ビスポークとパターンオーダーの生産工程は全く違うので、かなりファクトリーを困らせてしまいましたが・・・(笑)。トラウザースに関しては生地はもちろん、金具や芯地といった付属品もほぼ英国製です。実はとても高いから既製服で使われることは稀なんですが、そこは自分が培ったネットワークを使って(笑)。工場生産ではありますが、どれも最終的に私自身がアイロンをかけてから納品しますし、かなりお買い得だと思いますよ。

完成度の高い型紙はもちろんのこと、生地、金具、ボタン、芯地、裏地の貼り方に至るまでサヴィル・ロウのクラシックな仕立てを忠実に再現した、レディメイド(既製品)のトラウザース「FUMIYA HIRANO THE TROUSERS」。こちらは3つのモデルを用意している。最近はトラウザース専業ブランドが増えているが、ここまで英国的かつディテールに凝ったものは世界的に見ても稀・・・というか存在しない。クラシックな装いのみならず、Tシャツをタックインして着ると実に格好いい。価格は生地やモデルによって異なるが、4万2900円〜7万5900円(税込)。
裏地の貼り方ひとつまで英国的だし、これは雰囲気ありますよ。すでに百貨店やセレクトショップで大人気というのも納得です! これはタイドアップしたいわゆるジェントルマンスタイルだけじゃなくて、カジュアルにも楽しめそうですね。そもそも平野さんご自身も、スーツにTシャツを合わせてるし(笑)。

平野 本当にそうなんです。実はサヴィル・ロウのテーラーで働いている若い子たちって、自分が縫っているようなクラシックな服を、とても上手に、しかもカジュアルに着こなしているんですよ。本来ならスリーピースで着るようなハイバックのトラウザースを、古着のTシャツや開襟シャツに合わせたりして。英国だからって堅苦しく臨む必要はない。私がつくる服も、そんなふうに気軽に楽しんでもらえたら嬉しいです。

平野史也さんが「ぼくのおじさん」のアトリエに来る!

2023年9月9日〜10日にかけて、「ぼくのおじさん」の活動拠点である「Atelier Mon Oncle」に、平野史也さんが来訪! MTMスーツのオーダーや、既製トラウザースを扱うポップアップストアを開催します。イベントで扱う商品などの詳細は、改めてお伝えします。英国のテーラリングにご興味のある方は、ぜひ気軽にお越しください!

●期間/9月9日(土曜日)、10日(日曜日)12時〜19時

●場所/Atelier Mon Oncle(東京都新宿区水道町1-9)

●予約優先(オーダーをご希望の方はなるべくご予約をください)

●お問い合わせ先
info@mononcle.jp

 

 

平野史也

1985年名古屋市生まれ。セレクトショップのショップスタッフを経て、国内のテーラーでの修行ののち、2012年に渡英。2013年1月にヘンリー・プールに入社する。2015年に独立し、ロンドンで自身のテーラー「FUMIYA HIRANO BESPOKE」を開店するも、コロナ禍真っ只中の2020年に帰国。西麻布にアトリエをオープンさせる。

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