2024.4.27.Sat
今日のおじさん語録
「モノがあるとモノに追いかけられます。/樹木希林」
筆者が初めて買ったパパスのメトロハット。小津安二郎テイストを無造作に崩したような味わいがたまらなくて。
お洒落考現学
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連載/お洒落考現学

パパスの特集①
「ぼくのおじさん」と
パパスが出会った!

文/山下英介

「お洒落考現学」久しぶりの更新記事のテーマは、なんとファッションブランドのパパス! しかも一気に4本も記事をつくってしまったが、面白すぎるから仕方ない。画一化されすぎたブランドや、ロマンのないファッションに不満を持っている人は、ぜひ読んでほしい。ぼくたちにはまだパパスがあるじゃないか!

っていうか「パパス」ってなに?

パパスの店舗スタッフが長年着込んだ定番のポロシャツ。これがフレンチラコステばりに着心地がよくて、カラーバリエーションが豊富なんだ。

皆さんは「パパス」をご存知だろうか。ドラッグストアの「ぱぱす」じゃないよ。ほら、百貨店とか雑誌の広告でたまに見かける、ちょっと年齢層高めのブランド。もしかしたらお父さんかおじいちゃんのクローゼットに入っているかもしれないから、探してみては?

東京・丸の内の新東京ビルにあるパパスのお店。こちらは改めて別の記事で紹介するけれど、今や世界でも類のないものすごいお店だ! 見学だけでも行ったほうがいいよ。

いずれにせよ、ほとんどの読者の皆さんは、このブランドについてノーマークだと思われる。実をいうと20年以上ファッションエディターをやっている「ぼくのおじさん」の編集人も同じようなもので、ほんの少し前までは個人的に気に留めたことはなかったし、なんと仕事においてもまったく付き合いがなかった。ウワサによるとこのブランドは、意識的にいわゆるファッション雑誌やその界隈との交流を絶ってきたらしい。いわばファッション業界における永世中立国・・・いや独立国家? とにかくちょっと特殊な立ち位置にあるブランドなのだ。

しかし筆者は今、パパスというブランドに興味津々である。

どうして今、パパスに惹かれるのか?

ひとつめの理由は、ここがつくる洋服の魅力がようやくわかったから。

パパスの服はデザインこそトラディショナルなカジュアルだけれど、ラルフやブルックスのような、いわゆるアイビー系のそれとはだいぶ違う。どれもゆったりしたシルエットに、洗い晒したような素材感と優しい配色をまとっており、袖を通すといい感じに力が抜けた雰囲気になる。そして手に取ってみると、ものすごく上等な生地を使っているから、また驚かされる。ちなみにその生地は、糸から染め、柄、プリントにいたるまでほとんどオリジナルだという。いかにもお洒落なんて興味ないですよ、という顔をしていながら、モノ自体は最高峰。ぼくはメゾンブランドからビスポークスーツまで、世の中の素晴らしい洋服を長年見続けてきたけれど、こんなに上質な服だったとは気付かなかったよ、パパス! まだまだ修行が足りないな。

こちらはパパスのアーカイブ商品。パパスの広告に長年出演し、公私ともにこよなく愛した俳優の三國連太郎さんが、これと同じコーディネートで授賞式に出席したことがあるという。しかしカシミアのタキシードジャケットにハリスツイードのベストって、とんでもないコーディネートだな!

ふたつ目の理由は、パパスが本当の意味でのブランドだから。

この20年くらい、いろんなブランドの栄枯盛衰を見てきたけれど、最近はがっかりすることばかりだ。創業時のアイデンティティを簡単に捨ててロゴだけに頼った商売をするブランドや、コラボ頼みのブランド、煽るだけ煽って、たった数年でディレクターの首をすげ替えて今までのことを知らんぷりするブランド、ぼくたちにはわからないと思ってこっそり品質を下げるブランド・・・。そんなのをブランドと呼んでいいんだろうか? その点パパスは創設以来30年以上にわたって、何も変わらなかった。タイトな服が流行ろうが、ビッグシルエットが流行ろうが、ただひたすらにパパスのスタイルを貫いて、それに共感するお客さんたちに、真摯に向き合ってきたんだ。ひとつの私見として言わせてもらうと、ポロシャツや靴下みたいな定番品のカラーバリエーションをしっかりそろえていたり、夏でもセーターが買える洋服屋さんは信用できると思っているのだが、パパスはまさにそれに当てはまる。ヘミングウェイの邸宅をイメージしたショップ空間や、彼がパリで通っていたかのようなカフェの内装ひとつとっても、このブランドの本物志向は一目瞭然。ちなみにパパスの本社は広尾にあるのだが、そのビルの目印は原寸大のダビデ像である! 実に気になるなあ。

広尾周辺ではなじみの光景になっている、パパス本社のダビデ像。これを見ただけでも、パパスが普通のブランドでないことは一目瞭然だ。

そしてみっつ目の理由は、単なる洋服屋さんではなく、その背景に文化があるから。

もともとパパスは、「パパ」とあだ名された作家のアーネスト・ヘミングウェイをテーマにして生まれたブランドなのだが、そのフィロソフィーを伝えるための雑誌『PAPAS BOOK』を不定期で刊行し続けている。普通ブランドがつくる印刷物とはズバリ言って販促のためのツールなのだが、この雑誌はすごい。パパスの商品がほとんど載っていない上、たまに載っていてもほとんどモノクロ。パパスという世界観やその周辺にある文化を伝えるための、正しい意味での雑誌なのだ。そして登場するキャラクターも、俳優の三國連太郎さんをはじめとする極めてパパス的な個性派ばかり。フォトグラファーの立木義浩さんがモデルとして登場していたりもするが、これが痺れるくらいに格好いい。個性的なアートディレクションも相まって異常なほどテンションとクオリティの高いこの雑誌は、今や古書店では高値で取引されており、実をいうとぼくがパパスに興味をもつきっかけにもなったのだ。

パパスが創設時からつくっている雑誌『PAPAS BOOK』。一時期は書店でも販売されていた。しばらくお休みしていたが、最近になって復活。今季は第38号が店舗で配布されているから、ぜひチェックしてみよう。こちらのアートディレクションを担当しているデザイン事務所、ビービーの塚野さんという方もとっても面白いので、別の記事で紹介。絶対に読んでほしい!
とてつもなく格好いい、1980年代の立木義浩さん。この方もパパスというブランドにとっては欠かせない存在のひとりだ。ちなみにパパスのカタログや広告は、立木さんの弟の立木三郎さんが長年撮影している。実は今回、立木義浩さんに〝今のパパス〟の姿を撮ってもらっているので、これも絶対にチェックしてほしい!

というわけで前置きが長くなってしまったが、そんな理由で「ぼくのおじさん」はパパス特集を制作することにした。まずは手始めに、謎に包まれたパパスというブランドの歴史と概要についてヒアリングして、まとめてみた。ブランドのホームページやWikipediaにも載っていないから、ぜひ読んでみて!

60年に及ぶ「パパス」と
荒牧太郎さんの物語

同世代のデザイナーたちとは違い、自分が表に出ることをよしとしなかった、珍しいデザイナーの荒牧太郎さん。そのポートレートはかなり貴重だ。

パパスの創業デザイナーをつとめたのは、荒牧太郎さんという方だ。1939年に生まれ、58年に文化服装学院に入学した彼の同期は、KENZOの高田賢三さんやコシノジュンコさん、ピンクハウスの金子功さん、ニコルの松田光弘さんといった、錚々たる面々。〝花の9期生〟と呼ばれた彼らは共に切磋琢磨し、海外旅行が自由化された1964年にパリに留学。そこで荒牧さんは、パリと原宿のセントラルアパートで、今も続くブランド「マドモアゼルノンノン」を創設する。オーダーメイドから始まりウィメンズを中心に、ユニセックスものも交えたそのコレクションは1960〜70年代当時のハイセンスな若者たちにとっては憧れそのもので、商品は取り合い状態だったとか。世界一スタイリッシュなおじさんとして知られるミュージシャンの高橋幸宏さんも、学生時代にこちらのコーデュロイパンツを集めていたと、インタビューで語っている。ちなみに当時のマドモアゼルノンノンの服は今とは全くテイストが違い、かなりタイトなシルエットだったらしい。50年以上前に、荒牧太郎さんに「あなたが着る服はこの店にはないよ」と言われたお客さんが、今もお店に通っているという。

荒牧さんと、同世代のデザイナーであるヨシエ・イナバの稲葉賀江さん。稲葉さんは菊池武夫さんや大楠裕二さんとともにビギを設立した方。キャラクターこそ違えど、この世代のデザイナーたちは面白い人たちばかりだ。

ちなみに荒牧さんは、20代前半の頃は森英恵さんのアトリエで働いていた。そこで机上のデザインではなく、街に出て美味しいものや美しいものに触れ、感性を高めるように教えられたことが、暮らしのワンシーンになじむパパスの服づくりに役立ったそうだ。

そんなマドモアゼルノンノンは、1984年に「MEN’S BIGI」で知られるビギグループに参入、全国展開を始める。そして1986年にビギグループから5つのメンズブランドが誕生するタイミングで、パパスもデビューした。「アーネスト・ヘミングウェイが生きていたら着そうな服」が、そのテーマだった。

尖ったデザインのDCブランドが人気を集めるこの時代において、パパスが掲げたのは〝お父さんのための服〟。同時期に創刊された雑誌『ターザン』とタッグを組んで、全国で活躍する職人さんたちにフォーカスした連載を5年にわたって続けるなど、いわゆるファッション誌に頼らない、独自のメディア展開を進める。「俺の服は普通でいいんだよね。毎日働いている人がこれを着ていたら疲れが取れたとか、奥さんや娘さんに褒められたとか、そういう日常に寄り添う服でいいんだよ」とは、当時の荒牧さんの言葉。

パパスの本社に飾られた、三國連太郎さんが出演した広告写真。ぼくたちもこんな格好いいおじさんになりたいよね?

〝普通の服〟とはいうものの、そのこだわりぶりは尋常ではなかった。荒牧さんはどんなにコストがかかっても、周囲に反対されても、最高級の素材と日本の工場によるものづくりを貫き、時間があれば足繁く現場に赴き、職人たちを指導、激励した。そして巨大な会場で催される展示会では、300ものコーディネートをひとりで組み、靴の紐の結び方ひとつ、商品の置き方ひとつとっても、隅々まで目を配らせた。荒牧さんの頑固ぶりはときに周囲を恐れさせたというが、その徹底ぶりこそが36年にわたって揺るがない、パパスの世界観を築き上げたのだろう。カチカチに固いお煎餅のCMモデルの候補に上がったほどに、彼は揺るぎない男だった! 

パパスの世界観は、洋服だけにとどまらなかった。1990年にはデザイナーズカフェの先駆けともいえる「パパスカフェ」を広尾でオープン。フランスから取り寄せたユーズドのタイルや、大理石の粉に色素を混ぜてつくったピンク色の天井、一度塗装した後でナイフで削って表現した、マホガニーの質感・・・。フランス風のカフェなんて今や珍しくもないけれど、急ごしらえのそれらとは何かが違う、心と体になじむその空間。製品洗いで仕上がるパパスの服と同じような美意識が、そこには息づいているのである。

パパスの本社の隣にあるパパスカフェ。奥にあるのは、パパスが経営するビービースタジオだ。

実をいうと、パパスの創業者である荒牧太郎さんは、2020年1月に惜しくもこの世を旅立たれている。亡くなる少し前には体調の悪化をおして、長年付き合いのあったいくつもの工場を巡り、今までの感謝の思いを伝えたという。そんな強烈なパーソナリティとセンス、そして過剰な愛情から生み出されたオーラは決して霧消することなく、洋服はもちろん広告やショップ空間、カフェに至るまで、今も貫かれている。

こちらも珍しい、荒牧さんのポートレートが掲載された小冊子。とことん働いて休日はトライアスロンやクレー射撃を楽しむ、パワフルな人柄が伺える。「妥協しない、最高がなかったら次のランクの素材で我慢するということをしない。いま世間で人気がある、そんなこともまったく気にしない」のがポリシーだった。

・・・という感じだけれど、どうだろう。老舗のメゾンブランドと同じくらい、パパスには〝物語〟があるでしょう? ぼくは今までたくさんのブランドを見てきたから、その存在が永遠でないことは知っている。これからのことなどわからないが、ひとつだけ言えるのは、今のパパスは世界でも数少なくなった本当の意味でのブランドであり、とても魅力的だということ! というわけで、そんなパパスの魅力を紐解いたいくつかの記事を公開していくので、ご存じの方もそうでない方も、ぜひご覧ください。つくっているぼく自身が楽しみだ!

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