2022.10.4.Tue
今日のおじさん語録
「役者というのは、行をする者、自分というものをよく考え、見極める者のことやと思う。(藤山寛美)」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
4
連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

〈中村のん〉さんと
〝わたしたち〟の
原宿ガールズトーク
1973→2022

撮影/古江優生
構成/山下英介
撮影協力/モントーク

〝70’S原宿〟の青春模様を描いた本誌連載エッセイ『20th Century Girl』が大好評の、中村のんさんへのインタビュー。今回はちょっと趣向を変えて、1993年生まれのインフルエンサー、SAKURAさんにも参加してもらった。片や70年代カルチャーの熱気をリアルタイムで浴び、女性としての視点で語れる数少ない存在。片やあの頃のカルチャーに惹かれ、それを追体験する〝わたしたち〟の代表。2022年3月をもって閉店したカフェ「モントーク」で行われたふたりのガールズトークからは、「どうして今〝わたしたち〟があの時代に惹かれるのか?」という問いへの、ひとつの答えが秘められている。

中村のんさんはなぜ
〝70’S原宿〟の語り部となったのか?

スタイリストの中村のんさん(左)、会社員にしてインフルエンサーのSAKURAさん(右)。奇しくもお揃いのドット柄のワンピースを着ているが、のんさんは今季のドレステリアで、SAKURAさんは古着というのが興味深い。 

中村 偶然にもSAKURAさんとわたし、ワンピースがそっくりですね(笑)。これはギャルソンかどこかですか?

SAKURA いえ、古着です。なぜか古いものが大好きで。

中村さんは〝70’S原宿〟をテーマにさまざまな活動をされていますが、クラシックカルチャーへの憧憬が詰まったInstagramで話題のSAKURAさんも、この街についてはとても思い入れが深いのだとか。

SAKURA わたしの両親は60年代半ばの生まれで、まさに80年代の原宿が遊び場だったんです。その後故郷の宮城県に戻り結婚してわたしが産まれたのですが、小さい時に東京に遊びに行くというと、やっぱり連れていかれるのは原宿。父が大学時代にアルバイトしていた「文化屋雑貨店」や、母が好きだった「ナイス」で、その時代を追体験していったというか。

中村 わたし、「文化屋雑貨店」はオープンの日に行ったんですよ。桑沢デザインに入学した年だから、忘れもしない1974年。毎日友達と一緒に、放課後や昼休みに通いました。2015年にクローズする日も行って、たくさん買っています。

SAKURA そうなんですね! わたしは両親やインターネットなどから当時の原宿のカルチャーや活気を教えられた世代なのですが、中村さんはまさに渦中におられた方ですよね。そして今、写真展や著作などを通して、その魅力を現代の若者に伝えている。そのエネルギーの原動力って、なんなのでしょう?

中村 若い人を啓蒙したいなんていう気持ちはまったくなくて、あくまでもパーソナルな思いからでした。2011年の震災以降、わたしのいるファッション業界に蔓延した閉塞感に、耐えきれなくなってしまった。そしてあの頃の原宿の空気をもう一度吸ってみたい、タイムスリップしてみたいと心から思ったんです。

なんとなく、コロナ禍にある今の世の中に通じる話ですね。その空気とはいったいなんですか?

中村 自由で希望があって、頑張れば夢が叶うということを、誰もが信じられたという時代感です。企画書を提出して、コンプライアンスをクリアして・・・とかじゃなくて、この人と仕事をしたいと思ったら、その衝動のままにすぐにやる、という。だってわたし、スタイリストとして独立した22〜3歳で、いきなり資生堂のカレンダーの仕事をもらえたんですよ。もちろんプロフィールなんて提出していません。スタッフのひとりが、のんちゃん面白いんじゃない?と宣伝部に言ってくれたら、それですぐに決まってしまう。たまたま道端でクリエイターに会えば「のんちゃん、こういう仕事やらない?」「やる、やる!」みたいな感じで、原宿の街で決まった仕事がたくさんありますよ。

現代では考えられない話ですね。最近の広告仕事なんて、撮影前に「カンプ」と称されるビジュアルの見本まで提出させられて、それ通りに撮影することを求められる。もはやわざわざ撮影する必要はあるのか?という世界で。

中村 直感と衝動で仕事ができる時代だったんですよね。もちろんタイムスリップなんてできませんから、そこからは取り憑かれたように知り合いのカメラマンに電話して、写真展を企画して、トークショーを開催して・・・。それでもあの時代の空気感を大切にしたかったから、ギタリストのcharをはじめ、協力してもらったアーティストやクリエイターには企画書なんて送っていないし、ギャラだって1円たりともお支払いしていません。菊池武夫さん、丸山敬太さん、箭内道彦さん・・・電話1本でつながれて、わかってくれる人だけ。だからこそ同じ気持ちを共有する仲間が集まって、結果として若い人たちにも広まったんだと思います。

原宿カルチャーの象徴
「文化屋雑貨店」

SAKURA のんさんが出版された写真集『70’HARAJUKU』(小学館)や『70s原宿原風景』(DU BOOKS)を読んだのですが、当時の写真を見て、原宿にこういう風景があったんだって感動しました。「はっぴいえんど」のメンバーをはじめ、ここに登場する皆さんは、すごく自然に何かを楽しんでいる感じがするんですよ。また父の話で恐縮なんですが・・・。

1980年代半ば、ファイヤー通りにお店を構えていた頃の「文化屋雑貨店」。写真中央で座っているのが、さくらさんのお父上だ!

中村 ぜひ聞かせて。

SAKURA 父がアルバイトしていた80 年代の「文化屋雑貨店」には、〝文化屋ルール〟という独特の決まりがあって、社員やアルバイトの垣根なく、つくりたいものは何でもつくれたらしいんです。倉庫には売れ残りや不良品がたくさん詰まっていて、ものすごく安く買えたようで、父からは、いろんなものをもらいました。わたしたちはそういう自由な時代を経験したことがないから、すごく羨ましくて。 

中村 「文化屋雑貨店」に関していうと、今では当たり前になった〝ファッション以外の用途でつくられたものをファッションとして楽しむ〟という概念の先駆けだったんですよね。ナースシューズとか、バスの車掌さんのがま口型バッグとか、農家さんが使っているカゴとか・・・。当時そんなことを考えている人なんてどこにもいなかったから、本当に目から鱗が落ちるようなお店でした。今でいうとD&DEPARTMENTなどが同じような視点の商品を扱っていますが、それを見て感じる〝かわいい〟と、わたしたちが当時感じた〝かわいい〟は、まったくの別物でしょう? だからSAKURAさんのお父さまが受けたカルチャーショックというのは、わたしが受けたものと一緒なんでしょうね。今まで見たこともないようなセンスに出会えたという。

SAKURAさんがお父上から受け継いだ、「文化屋雑貨店」のグッズ。「きいちのぬりえ」など様々なブームを産み出した「文化屋雑貨店」だが、その経営スタンスは人気が出ると販売をやめるという独自のもの。モノではなく、文化の発信地だったのだ。

SAKURA 別に高級なものではありませんが、やっぱり捨てられないらしいんですよ。思い出が蘇ってくるというか。

中村 ご両親からの影響が強いんですね。

SAKURA 父と母はいわゆるバブル世代で、当時はすごく遊んだらしいです(笑)。わたしたちの世代は大変だから、安定を見据えたほうがいいよ、とは言われるんですが、同時に東京でのひとり暮らしをすすめてくれました。東京にはいろんな意味で変な人がたくさんいて、宮城にいるだけじゃわからないことがたくさんあるから、失敗してもいいから楽しんできなさいって。だから上京したばかりの頃は、古着屋の「シカゴ」や、昔あった雑貨屋の「ナイス」といった、両親が通ったお店に行って、ふたりの思い出を探るような過ごし方をしていました。でも、わたしの弟はまったく影響を受けていないし、特に教え込まれたというわけでもないんです。わたしが勝手に好きになっただけというか。中村さんはご自身のお子さんに、昔の話をしたりするんですか?

中村 娘はほぼ興味ないし、デザイナーをやっている息子ふたりも、それほど興味はないんじゃないかな。でも、娘は東京にいた頃の松本隆さんにすごく可愛がってもらったし、息子たちもわたしが何かやるたびに手伝いに駆り出しているから、そういうことを通じてあの頃の空気感は浴びているんでしょうね。まあ仲間って感じかな。

SAKURA わたしの両親は宮城県にいるので、そういう関係性はとても素敵だし、羨ましいです。でも中村さんって、17歳のときに高橋靖子さんと出逢われたときの話を読んでも、周囲を巻き込むパワーというか、ポジティブさがありますよね。その源ってなんですか?

中村 本当はそんなにポジティブでもないけれど(笑)、ただシンプルに会いたい人には会いたいっていう気持ち。そして、それを言い続ければ、行くべき方向に行けるのかなって。まさにヤッコさんがそういう人だったので、タマゴが割れた時に世の中を見たときの成功体験が、それだったのかなあ(笑)。

〝街〟が文化をつくった時代は
滅びたのか?

今でも〝あの頃〟の空気感を残している場所って、原宿にありますか?

中村 それはもう、「ゴローズ」ですね。建物も含めて、ほとんど変わっていない。実はわたし、別れたダンナが「ゴローズ」だったんですよ。だからゴローさんとは馬に乗りに行ったりすごくよく遊んだし、結婚指輪もつくってもらった。今日だってネックレスを身に着けています。最近は人気が出すぎてよく「高く買いますよ」って言われるんですけど(笑)。あとは「MILK」くらいかな。SAKURAさんは?

SAKURA 「パス ザ バトン」の取り組みは面白かったのですが、表参道店は閉まっちゃったんですよね。最近は古着屋の「シカゴ」本店など、父から教わった場所もどんどんなくなってしまって、わたしのなかでは「コープオリンピア」くらいでしょうか。

中村 でもあそこも時間の問題なんですよ。「南国酒家」が出ちゃったらもう終わりなんじゃないかな。

今、東急プラザがある場所が、中村さんのエッセイによく出てくる「セントラルアパート」なんですよね? 伝説の喫茶店「レオン」があったという。

中村 そう。あの頃は当たり前のように毎日通っていました。いつもお店の前にはハーレーが並んでいて、ドアを開けると「クールス」の舘ひろしさんや岩城滉一さんが黒いレザーの上下を着て、モデルさんを膝の上に乗せているの。そんな風景に驚きもしないでお茶を飲んでいたことが、今考えても不思議なんですよね。

SAKURA 普通の人が入れないような場所だったんですか?

中村 別にお洒落なお店でもないので、入れるんだけれど、入りにくいというか。きちんとしすぎていたり、お洒落しすぎても逆に恥ずかしいみたいな感覚がありました。そういう微妙な落としどころをわかった、こなれたセンスの人じゃないと、入りにくかったかもしれませんね。

SAKURAさんのまわりには、そういうサロンというか〝溜まり場〟みたいな場所ってあるんですか?

SAKURA いや、ないと思います。〝あそこに行けばああいう人がいる〟みたいな感覚はないので、やはりSNSを中心に繋がっていくことが多いですね。両親世代のいうところの「ピテカントロプス」みたいな遊び場がないのが、すごく残念ですが(笑)。

中村 そうなると、お友達もSNSを通じてつくっているんですか?

SAKURA そうですね。今日わたしがこの場にいるのも、ここで撮影をしてくれている古江優生くんが声をかけてくれたのがきっかけです。彼がSNSを通じてイベントに招待してくれて、その友達とわたしがまた繋がったり、そういう感覚で緩やかなコミュニティが広がっています。

それは面白いですね。昔は原宿を代表とする〝街〟からコミュニティが生まれていたけれど、今はそれが具体的な場所ではなくなっている。

中村 わたしが今20代だったら、たぶんInstagramもアップしまくりだろうし、YouTuberになって、めちゃくちゃやってるだろうな(笑)。「今の若い人たちは・・・」なんて全然思わない。

今の原宿はどうなんでしょうね?

中村 90年代の裏原宿では、70年代と同じようなことが起こっていましたよね。70年代だったら「レオン」に集まったクリエイター、90年代だったら藤原ヒロシさんを中心に、ひとつの大きな成長物語が紡がれてきました。

藤原ヒロシさんはまさに、70年代カルチャーの中心人物たちに見出されて世の中に出てきた方で、そういう人が90年代以降、自ら若い才能を世の中に広めていく、という構図が面白かったですよね。

中村 それと較べると今は面白い人たちはいても、その先にひとつのストーリーが生まれるような動きはないのかなって。

SAKURA 原宿にはないのかもしれませんね。わたしは上京して初めて住んだのが西荻窪なんですが、とてもあったかい街で、人との繋がりを感じることができる街でした。吉祥寺の隣なんですが、大きな商業施設がなくて、昔ながらの商店街もあって。

中村 いい街ですよね。

SAKURA 実はわたしが上京する直前に東日本大震災があったのですが、そのトラウマで大学に行けず、引きこもってしまった時期があったんです。精神的なリハビリのために街を歩くようにしていたんですが、いつも商店街の皆さんは優しく話しかけてくれました。アルバイトをしていた「きんせい」という定食屋さんのマスターはお弁当を作ってくれて、肌荒れがひどくなってしまった時は、マスターの奥さんが自家製の紫蘇ジュースを持たせてくれたりもしました。残念ながら「きんせい」さんはもう閉店してしまいましたが、街は今行っても全然変わっていなくて、東京にもこんな場所があるんだなって。思い出すと涙が出てきちゃう(笑)。

中村 下北沢も地元の皆さんが頑張って、再開発後もその良さを残していますし、そういう場所からは何かが生まれるかもしれませんね。昔のようにみんなが原宿に集まる時代ではなくて、カフェ文化的なものが好きな人は西荻窪や阿佐ヶ谷に行ったり、古着が好きな人は高円寺に行ったり、趣味に合わせてあちこちに散っていく。最近の蔵前に代表されるように、東京における〝街〟の範囲はすごく広がっているしね。変わっていくことは、もうしょうがない。

今日対談をしてもらっている「モントーク」も、かつてはいわゆる業界人の溜まり場であり、2000年代の原宿・表参道カルチャーを牽引してきた場所でしたが、3月末で閉店とのことです。ひとつの時代が終わったということなんでしょうね。

中村 ここは「モントーク」の前は、同じジュングループが経営していた日本初のオープンカフェ「カフェ・ド・ロペ」(1972年オープン)だったんです。そうか、この景色も見納めなんですね。せっかくだから写真撮っておこう(笑)。

この対談が行われた「モントーク」は、2002年のオープン。1990年代後半から続いたカフェブームの仕掛け人である山本宇一さんがプロデュースを手がけたこのカフェは、2000年代はファッション業界人の溜まり場として知られていた。いい意味で敷居が高くてちょっと入りにくい、まさに文化の拠点だった。

古いものに惹かれることと、
レトロ趣味の違い

さくらさんは60年代の音楽が好きなんですよね?

SAKURA 一番好きなのは「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」です。ジャンルを超えた存在ですよね。

中村 わたしもすごく好き。ヤッコさんの家でいつもかかっていたから、あれを聞くと彼女の部屋と、その空間を思い出すんです。音楽って、そういう効果がありますよね。

SAKURA 中村さんは、高橋靖子さんのもとに何年いたんですか?

中村 だいたい4年くらい。朝のコーヒーから夕飯までべったり。いつも泊まっていたし。

SAKURA 校内放送で高橋靖子さんから呼び出されたという話に、すごく驚きました(笑)。

中村 いくら有名なスタイリストだからって、学校の事務に電話がかかってきて、今すぐに手伝いに来てって呼び出されるなんて、ありえないよね。今じゃ大学生が小学生のように管理されている時代だから。まあ、よくも悪くも緩い時代でしたね。

高橋靖子さんの住所や電話番号が、普通に雑誌に載っていたわけですからね。
懐かしいけれど新鮮な、SAKURAさんがつくったミックステープ。中身はもちろん、ジャケットまで自作だ! SAKURAさんのInstagramより。

SAKURA (笑)。実はわたし、趣味で昔の曲を編集したミックステープをつくっているんですよ。自分で設定したテーマをもとにプレイリストをつくって、ジャケットもデザインして、ひとつの作品にしちゃう。

中村 面白い! 昔はみんなやってたことだけど。

SAKURA 当たり前のことですよね。また「文化屋雑貨店」の話になってしまうのですが、当時お店の中でミックステープをプレゼントし合うのが流行っていたらしくて、うちにはキヨシくんっていう友達がつくったレゲエやスカのテープがたくさん残っていたんです。彼はもう亡くなったらしいのですが、わたしはそれを知らずにずっと聴いていて。

中村 すごくいいじゃないですか。

SAKURA カセットテープって、形として残ることがすごく面白いですよね。それで最近、Instagramを通じてミックステープのオーダーを募ったら、40組くらい応募が集まりました。つくっている最中はカセットデッキから離れられないので大変なんですが(笑)、それがすごく楽しくて。

中村 本当に好きなんですね。

SAKURA 自分でも不思議なんですが、その時代の文化に惹かれてしまうんですよ。

中村 わたしが青春時代を過ごした70年代にも、大正ロマンに惹かれて当時の着物を買うのが流行っていました。でもそれは単なるレトロとか懐古趣味じゃなくて、あの時代の着物のデザインや、自由なムードが新鮮でかわいかったから。だからわたしは、今の若い子が70年代に興味を持つのは、とても自然なことのように思いますね。

SAKURA 単純に面白いな、かわいいな、と思ったものが、たまたま昔のものだったという感覚です。

中村 何年か前に、まさにこの場所で藤原ヒロシさんとお茶したとき、「今の若いミュージシャンは大変だ」って言っていました。だって彼らにとっては、「ザ・ローリング・ストーンズ」や「ザ・ビートルズ」だってライバルだし、その中から選ばれるのは容易なことじゃない。

YouTubeに代表されるように、今は古いものと新しいものが、選択肢として並立している時代ですよね。

中村 そう。しかも音楽に関しても洋服に関しても新しい要素は出尽くしてしまって、あとはテクノロジーでしかないじゃないですか。だから若いクリエイターにとっては大変な時代ですが(笑)、大正ロマンも70年代も、わたしたちにとってはレトロじゃない。そういうことじゃないかな。

中村のん
1956年生まれ。桑沢デザイン研究所在学中に、日本におけるスタイリストの先駆け、高橋靖子さんと出会い、師事。22歳にして独立し、広告やCMの世界を舞台にフリーのスタイリストとして活躍。近年では70年代原宿のエネルギーを次世代につなぐ活動に着手。写真集『70’HARAJUKU』(小学館)や、書籍『70s原宿 原風景』の制作のほか、イベントのプロデュースなども手がける。
https://www.instagram.com/nonnakamura/
SAKURA

1993年宮城県生まれ。平日は会社員として働きながらも、偏愛するレコードやミッドセンチュリー期のヴィンテージインテリアに囲まれたライフスタイルをインスタグラムで発信し、同世代から支持を集める。アニエス・ヴァルダから寺山修司、小沢健二や岡崎京子まで、その関心の範囲は実に広い。
https://www.instagram.com/09___adieu/

  • SHARE
テキストのコピーはできません。