2024.11.7.Thu
今日のおじさん語録
「人間は一人では生きることも死ぬこともできない哀れな動物、と私は思う。/高峰秀子」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

最短距離はつまらない!
勉強嫌いの〈山田五郎〉が
西洋美術と時計の
カリスマになった理由

スタイリスト/土屋大樹
写真・構成/山下英介

西洋美術の世界をディープに語り尽くすYouTubeチャンネルが、ぼくたちのまわりで話題になっている、美術評論家の山田五郎さん。機械式時計ファンにとっては時計評論家として、『アド街』好きにとっては街歩きの達人としても有名かもしれない。今日はそんな幅広い分野におけるマニア&博識ぶりでみんなを驚かせる山田さんに、もっと賢くなれる勉強の仕方を教えてもらおう! ・・・と意気込んで伺ったところ、話は意外な方向へ。勉強って? 趣味って? 無駄は本当に無駄なのか? 人生を楽しむことってなんだろう? 逆にどんどん疑問が湧いてきたけれど、それがなぜだか楽しくて!

出版社を志望した理由は
「朝起きられなかったから」!?

アンダーステイトメントなスーツスタイルのイメージが強い山田さん。エルメスのネクタイやカフリンクスもコレクションしているとか。
最近の若者にとっては、美術評論家を通り越して、もはやアート系YouTuberとして知られている山田さんですが、実はそのルーツは講談社の雑誌編集者だったんですよね? しかも1980年代に『POPEYE』と双璧を成した『Hot Dog PRESS』にいらっしゃったという。 

山田 もともと美術の本をつくりたくて入った会社だったので、情報誌に配属されて、ちょっと不本意ではありましたけどね。ただ、今の若者たちと違って、ぼくたちは仕事を自己表現の手段だとは思っていませんでしたから。

山田さんでも!

山田 「でも」も何も、入れるところに入って言われたことをやるのが仕事だと思っていました。編集者を志望したのだって、本が好きだからという以上に、朝起きられなくて普通の仕事は務まらないと思ったからですよ。ぼくは1982年入社ですが、当時の出版社は、そんなダメ人間が多かった。出版業界は入社試験が始まるのが大学4年の10月頃と遅かったので、ほかに受からなかったヤツらが集まってきていましたしね。ほかの仕事はできないとわかっていたからこそ、その分、一生懸命働いたのかもしれません。

大手マスコミが花形の職業になったのは、その後なんですね。

山田 で、入ったら入ったで、研修期間中からいきなり『Hot Dog PRESS』に配属され、忙しすぎて余計なことを考えているヒマもなかった。

強制的に雑誌の世界に没頭させられる感じですね。

山田 目の前の仕事をこなすだけで精一杯。当時はまだサンプルではなく商品を、スタイリストではなく編集者が借りに行くこともあったので、大変でした。徹夜で一点一点ピンやタグを外し、靴は底が傷まないようガムテを貼って、そのまま朝から撮影に行って、帰ったら徹夜でアイロンがけやピン打ちやタグ付けやガムテはがしをやって、翌朝から返却、みたいな感じで。やっと撮影が終わったと思ったら、今度はレイアウト入れやら送稿やらが続くので、いつまでたっても満足に寝られませんでした。

大手出版社の社員編集者というと、細かいことは外注スタッフに任せて優雅に仕事をしているイメージが強いので、意外ですね!

山田 当時の講談社には、まだ1920年創刊の女性誌『婦人倶楽部』(1988年休刊)があって、洋裁の専門学校を出たファッション専任の女性編集者がいらっしゃいましたが、彼女たちはもっと働いていましたよ。商品を借りたお店に毎回、手書きの礼状まで書いていましたから。ぼくは『SOPHIA』という女性誌の編集部にいた頃に、その最後の大ボスみたいな方に鍛えていただきました。ファッション編集者は型紙が引けないと一人前じゃないといわれ、曲線定規をいただいたんですが、いまだに使い方がわかりません(笑)。

型紙を引ける編集者! 1980年代前半は、そういう優雅な出版カルチャーの残滓が残っていたんですね。でも『Hot Dog PRESS』は月2回刊だったから、さぞかしお忙しかったでしょうね。

山田 死ぬほど忙しかった。月2回っていうのは、あらゆる刊行形態のなかで最も効率が悪いんですよ。だから自分が編集長になったとき、いの一番に変えたのは、隔週刊にすること。隔週と月2って、同じだと思われがちですが、実は全く違うんですよ。

月刊誌しかやったことがないので、ピンと来ないんですが・・・。

山田 月2回刊というのは発売日が日にちで決まり、『Hot Dog PRESS』は毎月10日と25日でした。でも、世間って曜日で動きますよね。月2回刊だと土日の挟まり方が毎回、変わってきますから、印刷所や取次とのやりとりを、その都度、調整しなければならないんですよ。その点、発売日が曜日で決まる隔週刊は、曜日で進行をフィックスできるから効率がいい。月2回刊は、発売日が15日ずれた月刊誌を常に同時進行している感じです。

出版社以外の人はさっぱりわからないと思いますが、ようやくその大変さが理解できました。はっきりいって地獄です(笑)!

〝『POPEYE』史観〟では語られない
80年代のメンズファッション

『Hot Dog PRESS』では、どんな仕事をされていたんですか?

山田 『Hot Dog PRESS』には、当時の言葉でいう「マニュアル雑誌」と「カタログ雑誌」の両面があって、ぼくはカタログ側のファッション班にいました。入った当初はマニュアル側の女の子特集やSEX特集しか売れず、ファッション班は廊下の真ん中を歩けないといわれたものですよ。

それは意外ですね。『Hot Dog PRESS』は第二次アイビーブームを牽引した雑誌なので、当時はもっとイケイケのファッション路線だったのかと思っていましたが。

山田 1979年の創刊時が第二次アイビーブームでしたが、そこでも『POPEYE』の後塵を拝していました。『Hot Dog PRESS』のファッション特集が売れ出したのは、80年代半ばのDCブームからですよ。その前に、80年代前半のイタカジブームってやつがありましたけどね。

ああ、いわゆるイタリアンカジュアル。

山田 80年代のファッションを語る際に、抜け落ちがちですよね。あれほど流行ったボール(BALL)やクローズド(CLOSED)のペダルプッシャー(先細りで丈が短い)ジーンズも、フィオルッチのニットもCPカンパニーのブルゾンも、みんなきれいさっぱり忘れてる。CPカンパニーを手がけたマッシモ・オスティが始めたストーンアイランドは今も健在ですが、それが80年代前半のストーンウォッシュ加工ブームを踏まえたブランド名だったことを覚えている人も少ないのではないでしょうか。

なるほど、ストーンウォッシュからストーンアイランド・・・。そういう潮流があったことは私もちょっとだけ知ってはいましたが、さざ波程度じゃなかったんですね。

山田 いや、2大潮流でしたよ。だって「アイビーVSイタリアン」って特集をつくりましたもん。

(笑)。アイビーと並び立つブームだったんですね!

山田 たしかアイビーを元VANのくろすとしゆきさん、イタリアンを菊池武夫さんに監修していただきました。

ものすごい並びですが、菊池さんがイタリアンだったんですか!?

山田 そう。あの頃のメンズビギは、ちょっとイタカジ入ってたんですよ。

ロンドンのイメージ強かったから、それは意外ですね。

山田 なぜイタカジブームがこれほどまでに忘れ去られているのか、ぼくも本当に不思議です。『POPEYE』があまり扱わなかったからかな。

なんとなく現代の若者ファッションって、音楽でいう「はっぴいえんど」史観のように、BEAMS〜『POPEYE』の黎明期を基点とする史観に染められている感じがしますから、現在存在しないものは傍流として見過ごされてしまうんですかね? 

山田 でも、その傍流であるイタカジからの流れでDCブームにいちはやく乗ったことが、『Hot Dog PRESS』がファッション特集号で『POPEYE』の部数と利益を追い抜くきっかけになったんですよ。あと、これもあまり歴史には残っていないのですが、ジーンズブームもありました。

ジーンズというと、ヴィンテージとか?

山田 いや、エドウィン、ビッグジョン、ボブソンといったナショナルブランドが、1980年代に爆発的に売れたんですよ。当時の『Hot Dog PRESS』でぼくらがつくるファッション号には、この3社だけで毎回4〜50ページもの純広告が入ってた。しかも正価で。お陰で原価率はマイナス、つまり一部も売れなくても黒字で、しかも実売率は毎回90%以上でしたから、部数だけではなく利益でも『POPEYE』を超えていたと思います。

出版界でいうところの〝お金を刷ってる〟状態ですね(笑)。確かにあの頃のジーンズブランドはすごかった。どんなに小さな街にでもジーンズショップが一軒はあって、各ブランドの全品番を揃えていましたし。『Hot Dog PRESS』はメジャー志向というか、地方にも届くようなブームをつくっていたから、親和性が高かったんでしょうね。

山田 でも、入社したばかりの頃はメジャー志向な割に部数はマイナーだったから、大変でした。お店に電話して「『Hot Dog PRESS』です」と名乗ると、いつも「ハァ? ホップホップさん?」とか聞き返されて。最終的に「『POPEYE』みたいな雑誌なんですが」といって、ようやくわかってもらえる(笑)。「『POPEYE』には貸せるけどお宅には貸せない」って断られることもよくありました。

切ないあるあるですね(笑)。それってやっぱり、裸を載せるから・・・。

山田 それも必ずいわれました。新人の頃は、それが悔しくてね。で、ファッション班の先輩たちがL.A.特集で出張していた間に、同じ悔しさを抱えていたスタイリストやカメラマンさんたちと結託して、めちゃくちゃお洒落なページをつくったの。俺らだってやればできますよ、普段はあえてやってないだけですよ、ってところを見せつけてやりたくて。そうしたら当時の編集長に4〜5時間ぶっ通しで怒られました(笑)。

機械式時計評論家としても有名な山田さんがこの日に着けていたのは、ドイツのA.ランゲ・ゾーネが誇る名作『ランゲ1』。ネイビースーツと見事にマッチしていた。今後ぜひとも、時計のYouTubeも始めてほしい!
ファッションエディターとしては、そのお気持ちは痛いほどわかります(笑)。そういえば山田さんといえば機械式時計評論家の顔もお持ちですが、当時から時計は集められていたんですか?

山田 当時のほうが集めてましたよ。社会人になって収入ができた上に、1980年代はクオーツ式の全盛期で機械式時計が投げ売り状態でしたから。街頭スナップの連載で地方に行くたびに、時計屋さんや質屋さんを回っていました。そういえば、当時からいいお店には必ずといっていいほど松山猛さんの足跡が残っていましたね(笑)。

さすがは我らが〝ぼくのおじさん〟(笑)。早かったんだなあ。

「山田五郎」は大阪の
中華料理屋のオヤジだった!?

と、ここまではいわば若手ファッションエディターの苦労話なわけですが、1990年代前半から編集者の武田正彦さんは、「山田五郎」という名前でTVや雑誌に登場し始めます。私にとっては、1993年に初めて出演された『タモリ倶楽部』での〝お尻評論家〟という斬新な肩書きが印象的なのですが(笑)、あれが山田五郎のデビューということになるんですか?

山田 いや、違うんですよ。あれには事情があって。1990年頃にコラムニストのえのきどいちろうさんが某誌で連載していたコラムが単行本化されることになったんですが、その出版社の社長がつけたタイトルが今ひとつだということで、どうすれば角を立てずに断ることができるかを、みんなでワイワイ相談していたんです。で、すでに同じタイトルがあったことにすればいいんじゃないかとなって、当時編集部にいたいとうせいこうが担当する読者ページの中に同題の連載を急遽つくり、ぼくが文章を書いてナンシー関が挿絵の版画を彫ることになったの。山田五郎というのは、その頃にぼくが拾ったシャープペンシルに入っていた名前からつけた架空の著者名。タイトルかぶりに文句をつけてきそうな頑固オヤジにしようと、大阪で中華料理屋をやってる華僑のおじいさんという設定まで考えました。

異常に手の込んだでっち上げですね(笑)!

山田 さらに、実在の人物だと思わせるため、えのきどさんとナンシーがやっていたラジオ番組に、そのキャラを装って出演した。それが山田五郎の最初のデビューで、当初は老人設定だったんですよ。その日の放送に電話出演してくださったゴンチチのチチ松村さんは、しばらくの間、山田五郎は大阪の中華料理屋のオヤジだと信じていたそうです(笑)。

それは知らなかったです! そういう悪ふざけが高じて『タモリ倶楽部』にまで発展しちゃうんですね!

山田 『タモリ倶楽部』の放送作家を務めていた高橋洋二さんと町山広美さんが、『Hot Dog PRESS』でも書いていた縁で。あのお尻評論のコーナーは、もともと赤井英和さんがやってらっしゃったんですよ。その代役が見つからないと相談されて、何人か紹介したんですが、なにしろ急な話だったので誰も都合がつかず、だったら山田五郎で出てくれと。現場で老人風のメイクもしてみたんですがコントにしかならないので素のままでいこうとなって、ここで山田五郎が急に若返った(笑)。

浪速のロッキーがキーパーソンになるとは、なんという運命の悪戯(笑)。それで会社に許可をとったと。

山田 いや、とってないですよ。そんなに大事になると思っていませんでしたから。

いやいや、若者にとってはあのインパクトは大事ですよ(笑)。近所でも噂にならなかったですか?

山田 それはなかったけど、子供が生まれるときに病院に行ったら、そこの先生と間違われたことはありますね(笑)。TVでお尻の話をしているからには産婦人科の先生だろうと。

山田さんのスタイルや語り口が、絶妙な説得力というかリアリティを与えたんでしょうね(笑)。でも、会社に怒られたりしなかったですか?

山田 表立って問題にはなりませんでしたが、陰ではいろいろいわれていたと思いますよ。講談社は、編集者は黒子だから表には出るなという社風でしたから。でも、ぼくは編集者として表に出ていたわけではないので、上司にやめろといわれない限りはOKなのかなと思っていました。

確かに編集者じゃなくてお尻評論家だからノープロブレムです(笑)。でも山田さんといい、いとうせいこうさんといい、『Hot Dog PRESS』もすごく特殊な人材を輩出しましたね。

山田 いとうせいこうもぼくも、別に特殊じゃないですよ。特殊な人材は、むしろマガジンハウスさんのほうが輩出してるんじゃないかな。

本物に触れる
〝遊学〟のススメ

山田さんの事務所に飾られている肖像画は、ディオールとのコラボレーションも手がけているアーティスト、亀井徹さんによるもの。円形の額縁を探すのに苦労して、アンティークの鏡のフレームを代用したのだとか。
それにしても、多忙な編集者としての毎日のなかで、どうやってこれほどまでに広範囲な知識を身につけられたのかが、非常に気になるんですが。

山田 いや、みなさん、そうおっしゃってくださいますが、全くもって広範囲ではありませんよ。時計、美術、音楽に、あとはせいぜいファッションくらい。いずれも仕事で得た知識ですよ。仕事が忙しい「のに」ではなく、忙しかった「からこそ」身についたんです。

いやいや、漫画だって詳しいじゃないですか。

山田 それも普通に読んできただけ。50年以上も読んでれば、誰だって少しは詳しくなりますよ。そもそも、政治経済とか芸能とかアニメとか、普通の人が知っていることを知りませんし。いい年して保険や税金や年金のことも全くわかっていませんからね。

そんな謙遜しないでくださいよ(笑)。長年『出没! アド街ック天国』(テレビ東京)に出演されているし、街歩きのカリスマじゃないですか!

山田 それもよくいわれて困るんですが(笑)。単に雑誌編集という、あちこち行っていろいろ調べる仕事をしていたお陰です。

またまた(笑)。でもそういう知識に関しては、〝勉強〟という感覚で身に付けるんですか?

山田 その感覚は全くありませんね。子供の頃から勉強嫌いでしたから。ちなみに学校も嫌いで、通知表にはいつも「集団行動ができない」と書かれていました。

オタクとか神童とかそういう類の子供だったんですか?

山田 オタクでも神童でもなく、単に勉強と集団行動が苦手な子供。なんなら今も苦手です。

それは意外だなあ・・・。でも上智大学のときは、西洋美術の本場であるオーストリアのザルツブルグ大学に留学するんですよね?

山田 いや、あれは〝遊学〟ですから。他人に強制されず自分から興味があることを学ぶのは苦にならない。苦にならなくて楽しいことは、勉強ではなく遊びですよね。あっ、そうだ! もしぼくがいろんなことを知っていそうに見えるのだとしたら、それは自分が好きな分野の話だけしているからですよ。無理やり勉強させられたことはすぐに忘れてしまいますが、遊びながら学んだことは覚えていますでしょ? オーストリアでも、大学の先生に「美術史でいちばん大切なのは作品の現物に触れることだから、日本でもできる座学をやるより現地でしか見られない本物を見て回ったほうがいい」といわれ、旅行ばかりしてました。今思えば、体よく教室から追い払われただけかもしれませんが(笑)、現物を見ることが何よりの勉強になったのは本当で、あの先生には今でも感謝しています。

お金がない人こそ
趣味道の境地に行き着ける

鉱物やドクロのコレクターとしても知られ、仏像にも造詣が深い山田さん。そのあたりのお話も、今度改めて聞いてみたい!
確かに、本物を見るというのは大事ですね。そうやって肥やした目が機械式時計やギターといった趣味の世界にも通じているのだと思いますし。でも最近は、趣味の世界が希少性というか投資価値だけで語られるようになってしまっていることに、私はとても危機感を覚えるのですが。

山田 モノの価値を値段でしか計れない成金は、昔からいましたよ。美術品や時計が投資の対象やマネーロンダリングの道具に使われるのも、今に始まったことじゃない。ただ、趣味の世界は、お金ではありません。単に貴重な品を持っている人が偉いとなれば、お金を持っている人の勝ちですが、趣味の世界ではそれだけでは尊敬されない。かえって豚に真珠と笑われるだけです。

でも、山田さんの時計やギターのコレクションって、ものすごいじゃないですか。お金持ちも尊敬するような世界を築いている。どうやってそういう境地に辿り着いたのか知りたいところですが。

山田 いや、全然すごくないですよ。上には上がありますから。お金だって、皆さんが思うほどかかっていませんし、売ってもたいした額にはならないでしょう。でも、ぼく自身はそれでも充分、楽しいわけで。お金があればあるなりに、なければないなりに楽しむことができるのが、趣味のよさではないでしょうか。たぶん、どの分野でも、いちばんすごいコレクターって、いちばんお金がある人ではないと思いますよ。何でもお金で解決できてしまうと、苦労して集める楽しみがなくなって、モチベーションが下がるから。趣味に限らず人生の楽しみの本質は過程にあるのであって、そこでいかに苦労したかが結果にも反映してくるんじゃないでしょうか。

一般庶民としては、それはちょっと勇気づけられますね。

山田 フランス文学者の鹿島茂さんなんて、ご自身のエッセイでも明かしていらっしゃいますが、古い挿絵本を集めるために、駅前のサラ金でお金を借りたことまであるそうですよ(笑)。大学教授としてのお立場も顧みず、一期一会の機会を逃さない。だからコレクションにも凄みがでるわけです。

山田さんがYouTubeで公開されていたドクロのコレクションにもそういう業というか、凄みを感じましたよ。

山田 あれもコレクションあるあるで、モノには集めようとしても集まらないものと、集めようとしなくても集まってくるものがあるんです。で、いったん集まりだすと流れができて、モノも情報もどんどん入ってくる。ぼくにとってはドクロがその典型。そこまで好きでもなかったんだけど、ある時期から勝手に集まりだした。水晶製のドクロに入った時計も、オークション会社の社長さんが「出たぞ」ってわざわざ連絡してきてくれたんですよ。そうなると、入札しないわけにはいかないじゃないですか(笑)。手持ちの貯金全額に、当時いた編集部の仲間数人に組合の共済金を又貸ししてもらった分を加えても、まだ足りないくらいだったんですが、これがどういうわけか落札できた。教えてくれた社長さんも驚いて、「やっぱりドクロはお前の所に行くようにできている」とFAXを送ってきたくらい。まあ、こういう苦労や偶然が楽しいのであって、単に業者が持ってきたモノを買うだけでは面白くも何ともありませんよね。

組合の共済金に手を付けるとは、まさに修羅の道ですね(笑)。もうこれ以上は危ないからやめておこう、ということもあるんですか?

山田 危ない橋を渡るのがまた面白かったりもするわけで(笑)。ただ、波はありますね。たとえばギターは、下手なくせにいい楽器を持っていても逆に恥ずかしいだけっていうのもあって、集めるのをやめたことが何度もあります。今もやめてる最中ですが、何かのきっかけで突然ぶり返すこともよくあるので、油断はできません(笑)。

学生の頃から飽きたりハマったりを繰り返しているのがギター。事務所にはギブソンのレスポールやL-1など、貴重なモデルが多数! YouTubeではちょくちょく弾き語りを披露している。
それでどんどん深くなり続けるという。

山田 そこが問題で、横に広がるばっかりで深く行けないんですよね。もっと対象を絞り込んで掘り下げないとだめだとは思うんだけど、なにしろ我慢や努力が苦手なもんで。

山田さんの中で、この人には敵わないという人もいるんですか?

山田 敵わない人だらけですよ。松山猛さんなんて、時計でもお茶でもファッションでもまるっきり敵いません。

今集めているものは?

山田 今は集めるよりも、むしろ減らすことを考えています。さっきもいったように、広げるより深めていきたいから。

ほしいものは?

山田 そりゃ、いくらでもありますよ。時計なんて特に。ただ、これからはちゃんと分野を絞り込んで、今まで集めた中から分野外のものを10個売って、その分野のいいもの1個と替えていく、みたいな集め方をしたいと思っています。

人生の喜びは
寄り道にこそある

山田さんが多忙な編集者生活の合間を縫って膨大な知識を獲得できたのは、時間の使い方がうまいからではないか?とも推察していたのですが、いかがでしょうか? 

山田 いや、時間の使い方は恐ろしく下手ですよ。いつまでも夜型の生活習慣を変えられない時点で、全然だめ。夜のほうが邪魔が入らず集中できるというのは幻想で、朝型の方が絶対に効率がいいと、わかってはいるんですけどね。

山田さんの周りにいるサブカル界隈の皆さんはどうですか?

山田 みうらじゅんさんなんて、今は毎朝6時に起きてますよ。お陰で仕事がはかどりすぎて時間を持て余し、めちゃめちゃ映画を観に行ってる。安斎肇さんもすっかり早起きになっちゃったし。今どき夜型なのは、ぼくくらいかもしれません。

早朝6時起床のみうらじゅんさん・・・。やっぱり時代は変わりつつあるんだな(笑)。でも『アド街』もあるから、効率よく時間を見つけて街歩きをしているんじゃないですか?

山田 それもよくいわれるんですが、人間、わざわざ時間を作ってまで用もない街を歩いたりしませんよ。「街歩きのコツを教えてください」ともよく聞かれるんですが、ただ歩けばいいだけで、コツも何もないでしょう(笑)。

どうやってタイミングよくいいお店と出会えるんだろう、というのは気になるところだとは思います(笑)。

山田 聞かれていちばん困るのが、「街歩きのコツ」と「絵の見方」。好きに歩いて、好きに見ればいいとしか答えられませんよ。

すみません、どちらも後で聞こうと思っていました(笑)。食べログとかはチェックされるんですか?

山田 知らない土地で飯を食う店を探したり、会合の場所を確認したりするときに使うくらい。お店の情報に限らず、いわゆる「アンテナを張る」ことはしませんね。必要のない情報を集めても、すぐに忘れてしまうだけですから。

来客の誰もが驚かされる、様々なコレクションが集結した山田さんの事務所。腕時計のみならず、置き時計や懐中時計のコレクションにも目を見張らされた。
じゃあ、書斎に篭って勉強されているんですか?

山田 だから勉強は嫌いなんだって(笑)。義務感でやる勉強は本当に苦手なんですよ。

最近は「いかに損切りして効率よく学びながら生きるか?」とかいう言説を唱える人ばかりが持て囃されているので、ちょっと安心しました。

山田 「最短距離の人」でしょ(笑)? 勉強好きというか。

電話なんて時間の搾取だ、みたいな(笑)。

山田 ぼくは逆に寄り道しかしていませんからね。いつまでも目的地に着かないし、気がついたら違うところに行っている。

確かに、お名前からして寄り道の産物みたいなものですからね(笑)。でも、そのほうが楽しいですよね。

山田 最近は世の中が妙に真面目で、楽しむことが罪悪のようになっていますよね。ヴィクトリア朝のイギリスより禁欲的な建前主義で、当たり前の正論しか許されない。そんな息苦しい空気のせいか、みんな無駄や失敗を怖れすぎているような気がします。でも、人生の楽しいことの大半は無駄で効率の悪いことですし、失敗は成功の母であって無駄ではない。

確かに。真面目だからこそ、山田さんに聞きたくなってしまうのかもしれませんね。

山田 だとしたら聞く相手を間違えてますよ。こちとら、無駄と失敗しかしてきていないんですから。そのうち、飯はどうやって食えばいいんですか?とか、息はどうやって吸うのが正解ですか?とかも聞かれるようになるのかな。

その可能性はおおいにありますね(笑)。

若いクリエイターは
海外に行け!

話は変わりますが、今大人気のYouTubeはどんなきっかけで始められたんですか?

山田 コロナですよ。美術展の開催が中止されたり延期されたりで、『ぶらぶら美術博物館』(BS日テレ)の収録回数が減ってしまい、うちも制作会社も困っていたので。少しでも足しになればと始めたんです。

もはやチャンネル登録者数は40万人を超えましたが、こんなに人気になることを想像されていましたか? 

山田 YouTubeの40万人がどれほどの数字かわからないのでなんともいえませんが、ぼくは視聴者の数よりも質に驚きました。いろんな分野の専門家にご覧いただけているようで、寄せられるコメントのレベルが異常に高いんですよ。ちゃんと内容を理解していただけていることが、何よりも嬉しいです。

あれは私も驚きました。YouTubeって、いかに瞬時に目を惹くものをつくるか、という世界だと思っていたので。

山田 ○○を食べてみた!みたいな動画ですよね。ぼくもそう思ってたんですが、もっと知的な動画を求める教養あふれる視聴者が、少なくとも40万人はいらっしゃったわけですよ。それも同世代だけでなく、40代にも。これは死ぬまで話し相手には困らないなと安心しました。

いや、この間コラボされていた中田敦彦さんに代表されるように、今や20代や30代のファンも多いですよ!

山田 だとしたら有り難いけど、今の20代や30代って真面目だから怖いですよ。タバコ吸ってるだけで怒られそうで(笑)。

確かにポリコレには厳しいですが(笑)、山田さんの知恵と見識は若者たちにこそ必要ですよ。でも山田さんを担当されているスタイリストの土屋大樹くんも20代ですが、彼のようなクリエイター志望の若者たちにアドバイスすることはありますか?

山田 「クリエイターで食ってくのは大変だよ」と、いつも忠告しています。

あ、やっぱり(笑)。

山田 特に日本はこの数年でどんどん窮屈になってきていますしね。もしも今ぼくが20代だったら、たぶんアメリカかイギリスに行くでしょう。

土屋 ぼくはこれから層が薄くなっていくであろう、日本の市場を独占したいと思います(笑)。

山田 こいつはそうやってすぐに楽な方に行こうとするんですよ(笑)。でも、残念ながら日本の市場はそう簡単に層が薄くはならないよ。どの業界でも、俺たちより上の団塊世代がまだ現役にしがみついてるし。そもそも層が薄くなるってことは、市場自体が縮小して仕事がなくなるってことだからね。だったら若いうちに、より規模が大きな英語圏市場に挑むほうが、まだしも可能性があるんじゃないかと思うんだけど。

山田さんだって、この年齢でYouTubeを始めたわけですから、チャレンジすることは大事ですね。いやあ、今回は面白いなあ。『ぼくのおじさん』としては、ぜひそういう山田さんの哲学を、20代の若者に届けたいと思います! 人生相談とかどうですか(笑)?

山田 いや、哲学なんてないし届けようとも思わないし、こっちが相談したいくらいだし(笑)。自分が楽しく生きて死んでいくだけで精一杯で、若いヤツらの面倒までは見られませんよ。

山田五郎 

1958年東京都生まれ。上智大学在学中にオーストリア・ザルツブルグ大学に1年間遊学し、西洋美術史を学ぶ。卒業後は講談社に入社し、『Hot-Dog PRESS』の編集長などを経てフリーに。現在は機械式時計や西洋美術をはじめ、幅広い分野での執筆活動やTV、ラジオへの出演を手掛ける。レギュラー番組に『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)など。2020年から始めたYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』は、現在ではチャンネル登録者数40万人超を誇る。

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