2024.3.29.Fri
今日のおじさん語録
「なにかした後で気分がいいのが道徳的で、後で気分が悪くなるのが不道徳的。 /アーネスト・ヘミングウェイ」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
12
連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

イタリアで一番
格好いい〝伝説のおじさん〟
ルチアーノ・バルベラが
「ぼくのおじさん」に降臨!

撮影・文/山下英介
コーディネート/大平美智子

「ぼくのおじさんインタビュー」に初めて登場する海外のおじさんは、イタリア紳士服業界における超重要人物、ルチアーノ・バルベラさん。ここ10年くらいはあまり表舞台に登場しなくなったから、その名を知らない若い人も多くなったけれど、知っている人なら誰もが驚く超ビッグネーム! 日本のレジェンドたちの誰もが憧れたその格好よさは、84歳にして衰え知らずだ! 

ルチアーノ・バルベラって
どんな人?

「ぼくのおじさん」の読者で、ルチアーノ・バルベラさんのことを知っている方がいたとしたら、リアルおじさん世代か相当コアな洋服好きに違いない。この方はカルロ・バルベラという高級生地メーカーの二代目オーナーで、1960年代後半からイタリア屈指のダンディとして、その名を世界中に轟かせた人物だ。彼のスタイルをひとことで表現するならば、「英国仕込みのイタリア紳士」。英国貴族たちから影響を受けた紳士的なマナーや正統性と、イタリアの柔らかさを併せ持つそのセンスは、1970年代のラルフ・ローレンにおおいに影響を与えたと言われ、1990年代に勃発したクラシコイタリアブームにおいては、中心人物として活躍した。イタリアのクラシックファッション業界における、紛うことなきトップ中のトップなのである! 

ここ10年くらいは本拠地であるビエラ地方で悠々自適に暮らすルチアーノさんが、なんと「ぼくのおじさん」のインタビューに応じてくれた。最初に断っておくと、彼はとても慎み深いジェントルマンであり、ある種の貴族的なカルチャーに属している方なので、いわゆる実用的なお洒落の極意や昔のぶっちゃけ話を伺えるわけではない! 年齢を重ねるごとに成熟していく格好よさと、彼が示唆する奥深い哲学を感じとってもらいたいんだ。

エレガンスは
快適さから生まれる

ミラノのテーラー「A.カラチェニ」のスーツに、白シャツ、ネイビーのニットタイという装いで登場したルチアーノさん。スーツ地はもちろんカルロ・バルベラのもの。6つボタンのダブルブレストを下ひとつがけで着るのが彼の流儀だ。注目すべきはグレイフランネルのスーツ地に、夏もののイメージが強いリネンのシャツ生地を合わせているところ。生地の豊かな風合いを楽しむ、彼ならではの着こなしだ。

ルチアーノ・バルベラ ようこそイタリアにいらっしゃいました。いつミラノに着いたんですか?

昨日です。

ルチアーノ  そうですか。ミラノの太陽を浴びて、カプチーノでも飲んで下さいね。しかしあなた、とても素敵な時計をしていますね。

1940年代のロレックスの〝バブルバック〟です。

ルチアーノ 素晴らしい(※バブルバックは1980年代、イタリアで大ブームになった時計で、ルチアーノさんも愛用していた)。私が今日している時計は、1929年に父のカルロが買って、とても気に入っていたものなんです。自分のコレクションはほとんど孫にあげてしまいましたが、私は父への愛の証として、毎日これを着けています。

たくさんのアンティークウォッチを所有していたルチアーノさんだが、現在所有するのはこちらの「ロンジン」。シャツのカフスの上から時計を着けるのは、イタリア伝説のダンディ、ジャンジ・アニエッリのスタイルだ。
いろんな人が憧れるバルベラさんですが、あなたが憧れた人って、誰なんですか?

ルチアーノ 以前インタビューを受けたときはウインザー公爵(エドワード八世)と言っていましたね。私のエレガンスへの目覚めは、イギリスへの留学がきっかけでしたから。しかし現在はファッションを語るのに、とても難しい時代になりました。服を着る以前の、基礎的な教養が不足しています。最近は〝ミックススタイル〟ばかりがもてはやされていますが、私に言わせれば、それは野菜をごった煮にしたスープみたいなもの。エレガントとは言えないのです。

ミックススタイルは野菜スープ(笑)! たとえ美味しくても、というわけですね。

ルチアーノ 悲しいかな、こういったちゃんとしたスーツを着ることがなくなりましたよね。本来のスーツとは、第二の皮膚なのです。たとえばこうして手を動かしても、首周りが動かないでしょう? そうやって楽に着こなせて、初めてスーツといえるのです。サンバビラ(ミラノのブランド街)あたりで売られている吊るしのスーツは、見た目はきれいだったとしても、手をちょっと動かすと肩のあたりが浮いてしまって、首周りが気持ち悪くなったりする。でもじっとしていると格好よく見えるから、それで売れてしまうんです。そういうところで買ったところで、結局はたんすの肥やしになるだけ。本当に美しいスーツを着るためには教養とリスペクトが必要で、そのためには半年だって待たなくてはなりません。その時間を惜しんで吊るしのスーツを買っても、飽きてしまっては本末転倒でしょう?

こういう傾向を解決する手段はあるんでしょうか?

ルチアーノ 美しく装うという文化は終わりました。時代は一方通行で戻り道はありませんから。

はっきり言いますね(笑)。実は私はルチアーノさんに憧れて、あなたの行きつけにしているテーラー、A.カラチェニでスーツをつくっているんですよ。これからピックアップに行くので、楽しみです!

ルチアーノ そうですか。私は1966年から通っていて、もう100着はつくったでしょうか。私のスーツはほとんどA.カラチェニのものです。私が通っていた頃は、先代のマリオ・カラチェニと、彼と仲の良かったマリオ・ポッツィというテーラーが在籍していました。今日着ているスーツも、1990年代前半にマリオがつくったものです。一生エレガントでいられるのは、自分のサルトを裏切ることなく、一緒につくり続けてきたからですよね。

イタリアの財界人のみならず、ファッション業界のレジェンドたちにも贔屓にされる名門テーラー「A.カラチェニ」。ラルフ・ローレン、イヴ・サンローラン、ジャンフランコ・フェレ、カール・ラガーフェルドといった大物デザイナーもこちらの顧客だった。1980〜90年代の黄金期、「A.カラチェニ」には先代当主のマリオ・カラチェニに加え、マリオ・ポッツィという名カッターも在籍。ルチアーノさんが愛用するこちらのスーツは、ほとんどマリオ・ポッツィさんの手によるものだ。
なるほど、サルトの浮気は禁物、と(笑)。A.カラチェニのどんなところに惹かれたんですか?

ルチアーノ よい服とは、あなたのパーソナリティが滲み出るような服のことです。つまり、あなたの魅力を引き出せないような仕立て屋はダメです。そしてあなたの魅力とは、快適なとき、自然でいるときに最も表現されています。洋服の基本とは快適であること。エレガンスとは、何よりも心地よくあらねば生まれないのです。厳しいものだったら、疲れてしまうでしょう(笑)?

なるほど、それには感性と技量を同時に兼ね備えていないとダメですね。たとえばジーンズやスニーカーは、ルチアーノさんにとっては快適じゃないということですか?

ルチアーノ それは状況によりますね。たとえば馬に乗るときならジーンズもいいでしょうし、バスケットボールをやるときならスニーカーもいいでしょうが、日常生活において、私はこのスタイルが最も快適です。最近のイタリアではパーティで美しい女性をエスコートするときにも穴の空いたジーンズをはいているような人もいますが、あれは最悪ですね。世の中の男性の服からエレガンスが消えたのは、とんでもないデザイナーが、売ることだけを追求した変な服ばかりを売った結果でしょう。

どうすれば、あなたのようにエレガントになれるんですか?

ルチアーノ 私を真似る必要などありません。大切なのは、あなたが自分らしくあることを追い求めることです。流行なんて1時間で終わっちゃうでしょう? 牧場の羊のように周りに流されるのではなく、心の底からあなたが好きなものを選ばなくてはいけません。そしてもうひとつ、エレガンスとはハーモニーです。最近のファッションは高価なものを見せびらかす競争のようになっていますが、大切なのは内面の教養と、あなた自身である、ということです。人間は猿ではないのですよ。

自分らしさ、ですか。

ルチアーノ たとえば洋服を着るときに、麻が好きとか、シルクが好きとか、自分が本当に心地よく、自然でいられる素材があると思うんです。その心の声に忠実に、選択を積み重ねていけば、あなた自身に合ったエレガントな装いができるようになると思いますよ。

自分の心や体と対話しながら洋服を選ぶということですね。素敵なアドバイスをありがとうございます! ルチアーノさん自身は、誰かから影響を受けたことはあるんですか?

ルチアーノ 特定の人物というより、日々発見しています。自分の目や感性など五感を通して得たものが、自分を養っているんです。

あなたのスタイルは、アメリカにもすごい影響を与えてきましたよね。たとえばラルフ・ローレンさんのようなデザイナーにも。

ルチアーノ ラルフ・ローレンさんに関しては、カラチェニにでもお話を聞いてください(笑)。私が世界的に有名になったのは、カラチェニでつくったスーツを着た写真が、1968年に『L’UOMO VOGUE』誌に掲載されたからでしょう。私はそれまでアメリカにないものを紹介していましたからね。

1968年のものではないが、こちらも1980年代の『L’UOMO VOGUE』誌。英国のクラシックとイタリアの柔らかさを兼ね備えたスタイルは、多くのファッション業界人に影響を与えた。
しかし現代において、あなたが認められるような人っているんでしょうか?

ルチアーノ 私の次男で、ブランド「ルチアーノ・バルベラ」をディレクションしているロドヴィコはとてもエレガンスですよ。長男はビエラで生地をつくっています。

確かにロドヴィゴさんも格好いいな〜。しかしふたりで並ぶとルチアーノさんの若々しさに衝撃を受けますね(笑)。ロドヴィゴさん、ルチアーノさんのすごさってなんでしょうか?

ロドヴィゴ 色と素材の組み合わせに関して、父以上の人間に会ったことがありません。父が手がけた生地はたくさんの要素を組み合わせても、ひとつにまとまってしまうんです。

既製服ブランド「ルチアーノ・バルベラ」を引き継いだ次男のロドヴィゴさん。近年は日本での展開はないが、同ブランドはアメリカ市場を中心に、今もなお高い人気を誇っている。
やっぱりお父さんはエレガントですか? 寝ているときでも?

ロドヴィゴ それはNOとは言えないよ(笑)。

ルチアーノ 私は寝室では、イトイテキスタイルという会社がつくった、和紙のシーツを愛用しています。麻のようにさわやかで、マッサージされているように気持ちがいいんです。実はこの生地をつくった糸井徹さんという方には、1970年代からお世話になっています。共同でバルべラ・イトイ・テキスタイルというラインをつくったこともあるんですよ。長い長い歴史の話です。

糸井徹さん! 日本の繊維業界のレジェンドですね。

ルチアーノ 私が初めて日本を訪れたのは1963年のことです。帝国ホテルに泊まって、生地を売り込みに行きました。当時はまだ日本人は、モノトーンの洋服ばかりを着ていましたね。以来たくさんの友人たちから学ばせてもらいました。もちろん「信濃屋」の白井俊夫さんにもね。ぜひこの場を借りて、お悔やみの言葉を述べさせていただきたいです。ああ、本当に日本にまた行きたいよ・・・。

クラシックファッションの世界もどんどん世代交代が進んでいますが、やはりあなたのエレガンスの継承者は、息子さんということになるんでしょうか?

ルチアーノ いや、仕事のやり方はもちろん継承しますが、彼らには彼らのエレガンスがありますから、押し付けることはありません。ただ、私には20代半ばになるジャコモという孫がいるんですが、現在ロンドンに住んでおり、とてもエレガントな紳士なんです。向学心と好奇心が旺盛で、知りたいことをなんでも聞いてくるあたりは、私に共通するDNAを感じます。もし私が本をつくれるなら、『ジャコモ、私の話を聞いてくれ』というタイトルにするでしょうね(笑)。

うわあ、その本はぜひ私がつくりたいです!

ルチアーノ それはいいですね。それじゃあこの夏、ビエラの私の家に1ヶ月くらい住み込んでもらえますか?

ビエラで1ヶ月・・・! 極めて日本人的な答えで申し訳ありませんが、検討させていただきます(笑)!
「カセンティーノ」という毛玉の出た生地を使ったコートも、もちろん「A.カラチェニ」のもの。コートも下ひとつがけで着ているのが面白い。ちなみにルチアーノさんは外出時には絶対何らかの帽子をかぶり、コートを着たときにはグローブを欠かさない。古きよき英国紳士のマナーが染み付いているのだ。

さて、クラシコイタリアのレジェンドへのインタビューはどうだったかな? 近頃はイタリアでも日本でも、戦後ファッションの第一世代として活躍してきた方々の悲しい報せが相次いでいる。そんな中で、いまだ元気に年季の入った格好よさを披露してくれるおじさんたちの存在は、本当に貴重で嬉しいことだ。ぼくたちにはまだまだ、彼らから学ばなくちゃいけないことがたくさんあるんだから。

ルチアーノ・バルベラ

1938年にイタリアの生地生産の中心地、ビエラで誕生。幼少期から英国で教育を受け、本物の紳士の教養を身につける。1968年に父が創業した生地メーカーカルロ・バルベラ社へ参画し、1974年には自身の名を冠した既製服ブランド、ルチアーノ・バルベラを設立。アメリカ市場で成功を果たすとともに、世界的ブランドへと育て上げる。現在はビエラで優雅な田舎暮らしを楽しむとともに、後進を育成するための財団「BIELLA MASTER DELLE FIBRE NOBILI」を設立、その理事長も務めている。

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