2022.10.4.Tue
今日のおじさん語録
「役者というのは、行をする者、自分というものをよく考え、見極める者のことやと思う。(藤山寛美)」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
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連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

〈写真家・立木義浩〉人間、
持つべきものは
〝魂プラス含羞〟だ

撮影/高木陽春
文/山下英介

職業や年齢はもちろん、もはや性別すら関係ない。生きていく上で大切な「気づき」を与えてくれる人。そして新しい世界の扉を開いてくれる人。そういった存在はすべからく〝ぼくのおじさん〟なのである! というわけで、世の中の〝ぼくのおじさん〟たちとの対話を記録するこの連載。第一回目は、筆者が10年来お世話になっている、フォトグラファーの立木義浩さんにご登場をお願いした。ぼくたちが生まれるずっと前、なんと1958年から写真を撮り続けている超大御所にも関わらず、いまだに誰よりも格好よくて、フットワークが軽くて、素敵な写真を撮り続けている立木さん。慌ただしい現場ばかりで、今までゆっくり話したこともないけれど、彼といる時間は「気づき」がいっぱいで、自分のちっぽけなプライドなんて粉々になってしまうのだが、それがなんだか嬉しくて。読者のみんなにも、この感動をおすそ分けさせてほしい!

立木義浩にとっての〝ぼくのおじさん〟とは?

いつも一緒に仕事をしながら、立木さんは人の心が読めるんじゃないか?と不思議に思っていました。ズバリと指摘されることが全部図星で、ドキッとしちゃうんですが、それってキャリアの中で培われてきたものなんですか? それとも天性のもの?

立木 俺らにとって、観察することが一番の命題だから。でもなんかチラッと言って、まわりからは見抜いたように思われていてもさ、それはまるまる自分にも返ってくることだろ? だから本当は言わないほうがいいかもわかんない。

いや、ぼくはそれが好きなんです。無用なプライドとか価値観が覆されるのが気持ちいいというか。そんなわけでこのメディアは、そういう〝ぼくのおじさん〟たちを紹介するのが目的なんですが、立木さんにとって、そんな存在はいたんですか?

立木 ジャック・タチの映画みたいに親密にしていた人はいないけれど、一度くらいしか会ったことがなくても、自分の中でそういう風に思っている人はいるよ。たとえばエッセイストの山本夏彦さん。ちょっとシニカルなところがいいよね。そしてやっぱり伊丹十三さん。そのエッセイには、人間の所作ひとつひとつまで、非常に細やかに、具体的なことが書かれているでしょ? しかもすごいことをしているのに、実に淡々とした語り口が、若者には響いたね。あの人の文章って、あんまり話を盛ってないじゃん。自分を語ろうとすると、どうしたって盛ることになってしまう。人間って弱いから、耳触りのよいものに流されてしまう危険がある。黒澤明さんが自伝をほとんど残していないのは、それを知っていたからだよね。

こちらは1969年、「週刊文春」の連載『天下の大もの』にて紹介されている若き立木さん。記事によると「たいていの女優がこの人にかかると脱がされてしまう」とか! ちなみに立木さんは今でもとんでもなく格好よくて、撮影現場にいる女性はみんな、目がハートマークになっている。おそるべき84歳だ。(写真提供/文藝春秋)
確かに、立木さんもあまり自分を語らないですよね。ぼくはずっと聞きたかったわけですが。

立木 そんなもん語れないでしょう(笑)。第一問わず語りに喋るのは野暮ってもんです。

やはり、昔ながらの徒弟制度の中で育ってきたわけですか? 師匠にぶん殴られたりして(笑)。

立木 残念でした。そういう時代に会社(広告制作会社のアド・センター)に入ったんだけれど、写真部がなかったから、言ってみれば最初から写真部長。無知なまま入ったけれど、先輩がいないから独学だったの。組織の中で厳しくやられたヤツのほうが、技巧に関しては腕が上がってくるでしょ? だから遠回りしたよね。ただ、運のいいことにアド・センターにはアートディレクターの堀内誠一さんがいたんだよ。

マガジンハウスで『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』などを立ち上げた、伝説のアートディレクターですね。

立木 堀内さんがミノルタのPR誌『ロッコール』のデザインをやっていたおかげで、細江英公、東松照明、奈良原一高、佐藤明、川田喜久治といった写真家たちが、しょっちゅう会社に来るの。その後VIVOという団体をつくるんだけどさ、年嵩(としかさ)の天才と一緒に新宿のバーなんかで飲んだりすると、俺なんかバカだから、その人たちとレベルが一緒だと勘違いしちゃうんだよ(笑)。ガキの頃からそういう間違いを犯しているから、いささか反省能力はあると思うんだけどね。

昔から物怖じしないタイプだったんですね。そしてまわりに人が集まってくる。

立木 ああ、そうだね。写真部といってもひとりだから、新宿の「キーヨ」というジャズ喫茶に入り浸ってるんだけど、そうすると金のない同世代の連中が集まってきて、そいつらに飯を食わすっていう役目も俺にまわってくるわけ。

そういうサロンのような場所もあったんですね。原宿にあったセントラルアパートに通じるような。

立木 そうだね。セントラルアパートはちょっと後だけれど、イラストレーターの和田誠もいた。昔『マンハント』というハードボイルド雑誌があったんだけど、そこの編集長が、和田誠、寺山修司、都築道夫と俺の4人でなんでもいいから8ページつくりなよ、と言ってくれたりして。20歳そこそこの若者に、すごい話でしょ?

当時は志のある若手にチャンスが回ってきやすい社会だったんですかね。

立木 驚きだよね。会社員だけど、個人的にオファーがあって、いろいろアルバイトしていたら、その写真を誰かが見てくれたり、和田誠や寺山修司が「こいついいんじゃないの」みたいなことを言ってくれたりして。

人を喜ばせるための〝徒労〟こそが活力の源

立木さんの写真って、それまでの世代のフォトグラファーとは明らかに作風が違うわけですから、表現における先生はいなかったんじゃないですか?

立木 そうね。でもシカゴの写真で有名になった石元泰博さんがしょっちゅうアドセンターに遊びに来ていたの。一部では嫉妬まじりにデザインっぽすぎるという批判もあったけれど、格好よかったよね。石元さんに「写真家は気配を消したほうがいいよ」と言われて、忍者じゃねえんだからと思ったけれど、それはすごく印象に残っている。あと、写真家にはやっぱり運が必要だよ。

運、ですか。

立木 思いもかけないものに出くわすっていうさ。意識して出会うというのは難しくても、〝無意識〟ってのは働いてるんじゃないかと思うんだけれど。

立木さんはそういうチャンスをことごとくものにしてきたわけですよね? その力はどうやって引き寄せるんですか?

立木 旅の恥は掻き捨てとはいうけれど、海外だったら自由にやれる、というのもあったんだろうね。卑怯といえば卑怯だけど。今でも1週間か10日程度の短い旅をすれば、何度かはそういうことがある。それで自分はまだまだいけるねって確認して。その確認作業のために海外に行ってるところはあるかな。でも、どんな状況だろうと、仕事にはクライアントがいるわけだから、オファーされたものを撮らないとプロとしてはまずいじゃない。だからそのなかで四苦八苦しないとダメだね。クライアントが自分なら自由だけど本性を試される。

納得いく表現ができなくて、苦しんだ時期もあるんですか?

立木 もうちょっとうまくやりたいとは、いつも思っているよ。ちょっとまずいな、というときでも、なんとかパスして、ということが続いているけれど。自己評価を甘やかすとロクなことにならない。

立木さんの写真に対する貧欲さやパワフルさは異常ですからね。現場で座ることもほとんどないし、ダラッとすることもない。しかもページ数に関わらず、新人カメラマン級にたくさん写真を撮ってくれる(笑)。ありがたい限りです。

立木 そんな、あからさまな甘口には乗らないよ。高倉健さんほど座らないのはもうキツイ。でも俺は若い時に『an・an』で堀内誠一さんに鍛えられてるからさ。これは何ページ、とか考え出したらそこで止まっちゃうじゃない。だからできるだけたくさんあって、堀内さんが楽しく選べるってのがいいでしょ? あの人が選ぶ時に、ちょっとクスッと笑えるかな、とか想像できるくらいのものを提供するという。そうやって、人を喜ばせようという気持ちが根底にないとダメだよね。それは〝芸〟をするということでもあるんだけど。まあ、昔だったらいろいろ撮って、面白ければページを増やしてくれるような編集者も多かったけれど、今はそういうヤツがいないから、大抵は徒労に終わるんだけどね。でも、その徒労こそが、俺の活力にもなっているわけよ。

葛飾北斎の娘、応為はデジタルの光を描いていた!

徒労こそが活力って、いい言葉だなあ。そして立木さんは、そういう仕事をやり続けた結果、84歳になってもオファーが絶えないという。

立木 まあ、なかなかうまくいかないから面白いんじゃない?

葛飾北斎みたいですね(笑)。

立木 北斎といえば、娘の応為(おうい)が描いた『吉原格子先之図』を見たんだけど、これってデジタルだと思ったんだよ。あのほのかな光というのは、フィルムの時代では出せない光なんだ。

葛飾北斎の末娘、応為の作品『吉原格子先之図』。美人画においては北斎を上回る実力があったと言われるものの、わずか10点程度の作品しか現存していない、謎の画家である。
なるほど〜!

立木 デジタルって、色や感度を自在に上げ下げできるじゃん。応為がすでにデジタルの絵を描いてるよ、と思って。これはすごいよ!

そういう視点で見られるんですね。

立木 そういう目で見るというより、俺の目にそういう風に伝わってくるということだね。

北斎は85歳で猫一匹まともに描けないと泣いたそうですが、立木さんの探究心もすごいですね。

立木 まあ、みんなそんなに楽々とやってないと思うよ。ちょっと自分に対して懐疑的くらいじゃないと、いいものはできない。能天気にやって、いい写真撮れちゃったとかいうヤツほど危ないからね。計算してうまくいくってもんじゃないし。

若いカメラマンは侮れない!

立木さんはフィルムの時代に凄まじい量の仕事をこなして、技術を磨いてきた人じゃないですか。デジタルネイティブの若いカメラマンに対して、手軽にやってんな、とか思ったりしませんか?

立木 いや、そういうヤツもいるけどさ、今の若いのでも面白い視点で撮ってる子もいっぱいいて、ひっそりとギャラリーで展示したりしているから、ちょっと油断ならないなって思ってるよ。特に最近は面白い女性のカメラマンがたくさん出てきているし。俺は『写真甲子園』というのをお手伝いしているんだけど、最近は、外で見たものに寄り添うという形よりも、頭の中のイメージを写真で表現する子のほうが多いの。大げさにいうと、内面を写真にしようとしているってことなんだけど、他人にはわかりずらいというか、成功率は低いよね。でも、今までの写真の世界と全く違うから、知りたいなとは思っている。それは俺にできるのか、っていうのもあるじゃない。まあ、ガールズトークに加わろうとしても相手にされないけど(笑)。

いまだに若手から刺激を受けることもあるんですね!

立木 だから疲れるのよ(笑)。どう考えたって、あと1年くらい安泰だろう、とは思えないもん。昔は女はカメラのことがわかってない、みたいな固定観念もあったけど、それは嘘。今までの写真業界で常識と言われていることは、すべて捨てないと。若い才能が出てきているんだから、それは邪魔しちゃダメだよね。あのさ、今悩んでる若手カメラマンに送る言葉があるんだよ。「おもしろいだろ。写真というのは意味がなくてもおもしろい。一つの山がその山の形をしているだけで、見るに値する」という、池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』に出てくる言葉なんだけどさ。やり方によって面白い、面白くない、はあったとしても、写真そのものは決して悪くない、という意味だけど、これは天の声だね。

立木さんの写真の若さの理由がわかりました。それに加えて体力というか、運動神経もハンパじゃないですもんね。カメラのオートフォーカスがついていけないくらい(笑)。

立木 他の人になったことがないから俺の流儀でしかないけど、目だって衰えてくるわけだから、ここ何年かが勝負だと思ってるけどね。まあ、肉体的にはいろいろあるけれど、それは仕方ない。神様は、どうして人間を歳とるごとに健康になるようにつくってくれなかったんだよ、とは思うけど(笑)。寺山修司が、国民的競走馬だったハイセイコーが引退するときに贈った詩で「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」っていうの、あれがいいじゃない。

立派なものだけに囲まれていたらその時代は表現できない

写真提供/矢島宏樹
懐古趣味とは無縁ですね。今撮りたいものとか、あるんですか?

立木 そりゃあしばらく女の子を撮ってないからさ。二階堂ふみとか、俺に撮らせろと思うよね。

やっぱり女性が撮っていて一番楽しいですか?

立木 いや、楽しいのもあるけれど、ずっと撮ってるんだから、歳取ったからって撮らなくなるのも変でしょ? ただ編集者が変わるとさ、そういうオファーも来ないわけだよ。

お願いしたくても、立木さんの場合もはや大御所以上だから、声をかけにくくなるっていうのもあるんじゃないですかね? でも立木さん、ぼくに「お前がやってるようなどうしようもない仕事、なんでもいいから俺に持ってこいよ」って言ってましたよね。こんな新媒体のインタビューも受けてくれたし、実は若手よりも仕事を選んでいないという(笑)。

立木 ご大層な新聞とか月刊誌とかじゃなくて、三流映画とかポルノ系の雑誌とか、世間的にはちょっと下に見られているもののほうが、時代の皮膚感覚を表現してるんだよ。昔の日活ロマンポルノなんかがその代表だけど、そういうことに触手を伸ばしたり、感覚を知っておかないとさ。立派なものだけに囲まれているんじゃ、その時代は表現されてねえんだよ。だから瀬戸内寂聴さんが、俗っぽいイケメンとか、小保方さんみたいな世間に疎まれている人に寄り添ったりしたのも、ああいうものがないと、小説が生きないからなんだよね。まあ、俺らくらいの歳になると、今さらひるむ理由もないし。

他人の目で自分を見つめろ!

写真提供/矢島宏樹
以前、これから誰を撮りたいですか?って聞いた時に、「あんまり売れてるヤツは撮りたくないなあ」って言ってたのも、そういうことですかね。「腐りかけのヤツを撮りてえなあ」って(笑)。普通カメラマンって、イケイケの人気者を撮りたがるものだと思っていたので、びっくりしました。

立木 ビンビンに右肩上がりのヤツって、みんな似たような種類のエネルギーを持ってるのよ。AちゃんとBちゃんという違いだけでさ。でも俳優でも作家でも頂上まで登ってから、ゆっくりと坂道を降りているときのほうが、やっぱりいいよね。自分を見つめているわけだから。だからコロナはさ、全員が自分を見つめる時間をもったわけだから、これからすごいんじゃないの?

しかし立木さんの視点って、自分に対しても、人に対しても客観的ですよね。それって生まれつき備わっていた力なんですか?

立木 いやいや、東京に来て仕事しながら人と関わって、喜んだりがっかりしながら、覚えたことなんじゃない? 人が人をつくるから。他人の目で自分を見つめてないとさ、調子こくじゃない。でも調子こいてるヤツは、ぶん殴るわけにいかないけど、どうせちょっと待ってたら沈むだろ? 今はそういうことが若いときよりは少なくなって、他人と自分を較べることが無駄だってことが、やっとわかってきたって感じじゃないの。

よく「含羞(がんしゅう)」って言葉を口にされますもんね。

立木 それは人間が持っていなきゃいけないものだね。魂にプラス含羞よ。

魂プラス含羞(笑)! ぼくもそうやって解脱できればいいんですが、実際は歳を重ねるほどに悩みが深くなる一方です(笑)。どうしても自分と他人を較べたり、自分を上に見せようとしちゃうこともあるんだよな〜。

立木 「物言えば唇寒し秋の風」っていう芭蕉の句があるじゃない。あれって実は「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」の後に続くものなんだよね。誰も知らないなんて芭蕉に失礼な話なんだけどさ。その点、写真は喋りはしないけれど、ものを言う。逆にものを言わせる写真というのもあるから、面白いよね(笑)。

立木義浩

1937年徳島県生まれ。1958年、広告制作会社「アド・センター」の設立と同時に入社。1965年に「カメラ毎日」の巻頭56ページにわたって掲載された『舌出し天使』でデビュー。1969年にフリーランスとして独立後、ファッション、女性、ドキュメンタリー、広告など、ジャンルにとらわれることのない活動を続ける。

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