2024.10.4.Fri
今日のおじさん語録
「雑草という植物はない。/昭和天皇」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
6
連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

古江くんが
長山一樹さんに聞く!
「強い写真」って
なんですか?

撮影/古江優生

「ぼくのおじさん」でおなじみの古江優生くんが、同じクリエイターとして大尊敬しているのが、写真家の長山一樹さんだ。雑誌のカバーからYouTubeチャンネルのTHE FIRST TAKEまで、人気のコンテンツの裏にはいつも彼がいるといっても過言ではない。しかも彼の場合、本人のスタイルも抜群に格好いいことで知られている。クラシックなオーダースーツやハット姿でハッセルブラッドのカメラを構え、ヴィンテージ家具や葉巻にも造詣が深くて、ファッションブランドとのコラボレートでシャツをつくって・・・そんな存在、憧れないわけないよね? 今回、『ぼくのおじさん』ではそんな長山さんと、古江くんとの対話をセッティング。長山さんはどうやって現在のキャリアを築いてきたんだろう? そして混沌の時代、新世代のクリエイターはどうやって生きていけばいいんだろう? ちょっと長いけど、クリエイターならずとも、将来を悩むすべての〝きみたち〟に読んでもらいたい!

〝数字〟で評価される
世界を生き抜くために

古江くんにとって、長山さんは憧れのフォトグラファーなんだよね?

古江優生 もちろんそうです。写真集も持っています。インスタをフォローしているのはもちろんですが、ストーリーズの質問コーナーの回答なんかも、スクショして保存してます(笑)。

長山一樹 本当に? ロクなこと書いてなかったけどな(笑)。やっぱり最初はインスタ経由でぼくのことを知ってくれたんですか?

古江 そうですね。

長山 今はアシスタントもだいたいインスタから応募がくるし、そういう時代だよね。だからクリエイターには個性がなくちゃいけない。うちのアシスタントなんかには、フェイクでもいいから個性つけてくぞって言い聞かせています(笑)。

フェイクでもいい、と(笑)。

長山 眼鏡はル・コルビュジエかレオナール・フジタの二択ってことで、コルビュジエをかけさせたら意外と普通だったので、フジタの眼鏡にチェンジ。髪型も坊ちゃん刈りに変更しました。で、もちろんちょび髭も忘れずに。

どんなアシスタント教育なんですか(笑)。でも、確かにキャラが立っていますし、もともとのルックスが格好いいからモデルになれそうですね。

アシスタント ちゃんと自主的にやってます(笑)。

長山 彼はぼくがやっている仕事なんかより、YouTuberとかやりたいみたいなんですよね(笑)。ファッションが大好きなんですが、その情報を仕入れるのもだいたいYouTube。海外の写真家やデザイナーに憧れて、みたいな若者はかなり減っています。

アシスタント いや、YouTuberに憧れているわけではないんですが、探り探りで・・・。

古江 ぼくも最初はインスタやYouTubeから始まっているから、同じですね。

長山 だけど古江くんはフォロワーが4万人超えてますから。それに対して彼は300人。その差はでかいよ。

古江 いや、ぼくのインスタも、もともと自分の服装をアップするためのものだったのですが、自分の作品を中心に載せるようになったら、ぐっと減りましたよ。写真作品になんか興味のない人も多いので。で、ファッションのテイストが変わった時も5000人とかガクンと減って(笑)、増えたり減ったりの繰り返しです。

長山 その変化を受け入れてくれないわけだ。シビアな世界だよね。

古江 でも、その中で残ってくれたコアな人たちが大切で、今でもご飯にいったりしてます。

長山 ぼくはオフィシャルのアカウントとプライベートなアカウントを持っているけれど、一番「いいね」がつかないのがメンズの外国人モデルを使ったファッション写真。なんならフォロワーが減るからね(笑)。

古江 本当にそうですよね。風景写真なんて特に。

長山 今までは数値化されていなかったから自己満足の世界でも生きていけたけど、今はそれすらシビアに評価されているという。

長山さんの〝強度〟は
どこから生まれているのか?

世の中にカメラマンがたくさんいる中で、古江くんが長山さんに惹かれるのはどうしてですか?

古江 ぼくが今一番大切にしているのが〝強度〟というキーワードなんですが、長山さんの写真にはその強さを感じます。それがどこからきているのか、ぼくも知りたいのですが。

長山 昔は質の高いものがしっかり評価されていたけれど、今はどれだけ質が高かろうと低かろうと、強制的に同じマーケットに並べられるようになったでしょ? 多様化というか、なんでもあり。そういう時代において強度を持たせるためには、必要ないものをどんどん削いでいかなくちゃいけない。もちろん、そこにはリスクが伴うんだけれど。
 ぼくはフィルムとデジタルという時代の変わり目に独立しましたが、その数年後にはデジカメを持っていないと仕事が来ないという流れが、津波のように押し寄せてきたのがわかった。マガジンハウスのような出版社も、デジタル以外の仕事を受け付けなくなったからね。
 それでデジタルカメラを買った(※)はいいけれど、まだ20代だったし、最初は不本意ながら過度なコントラストや華美なレタッチに流されたりもしたんです。でも、そういう仕事は浅い人には喜ばれても、ちゃんとしたクリエイターたちにはリスペクトされないんです。それで自分の写真にとってなにが一番大切なのか、冷静に向き合わなくてはいけなくなった。それを突き詰めていったときに、自分にとっての〝きれい〟を表現しているのが、光だったということに改めて気づいたんです。単純なことだけれどね。
 それからは、自分がいいと思わない光以外では、撮っちゃダメだというくらいに思っています。だから撮影をその環境に持っていくように努力する。絶対にこの場所、この時間じゃなくちゃイヤだとか、若くても主張するようになりました。そういう仕事って、周りからは面倒くさいと思われることもあるんだけど、それくらいのほうが信用性も高まるし、向こうにとっても安心感が生まれるでしょ? それがだんだんいい方向に転がっていって。

※2000年代後半は、広告サイズの写真が撮れるプロ仕様のデジカメは数百万円する時代。若手カメラマンにはなかなか手が届かなかった。
編集者から見ると、確かに長山さんは〝面倒くさい〟タイプなんです(笑)。なぜなら〝これは絶対にやらない〟という手札を持っているから。でもだからこそ、依頼する側も背筋が伸びるというか、大事なところを任せたくなるんですよね。ただ、単にそのスタンスだけ真似しても、いい写真を撮れなくちゃ本末転倒なんですけど。

長山 そういうことを意識し出して撮った写真を『メンズノンノ』に載せたときに、ぼくの師匠から突然電話があって、「すごいきれいだったじゃん」って言われたんです。

芸術家肌で有名なカメラマンさんですよね。

長山 独立して5年間、ほとんど連絡なんてなかったし、そもそも今まで、自分の写真について何か言われたことなんて一切なかったですから。世の中でいちばん〝わかる〟人が、自分の仕事における変化をわかってくれた。これはきっと世の中にだって伝わるんだ、と思えたのがぼくにとってのターニングポイントですね。

これが長山スタイル完成の瞬間だったと。

長山 もともと自分の写真にはクセがないと思っていたんです。明るい写真も暗い写真も、柔らかくも硬くも撮れるしね。でも、中途半端なことを一切やめて、余計なものをどんどん捨てていったら、〝長山の写真ってこれだよね〟とみんなから言われるようになった。それが30歳になるかならないかのときですね。

狭めていくことで生まれる強度、なんですね。

長山 人から見たら同じ白バックだけれど、自分はこの白は好きじゃない、という理由を、いくらでも説明できます。それは服のフォルムでも、素材感でも、デザインでもそうで、絶対に見過ごさないようにしている点ですね。そういう営みが古江くんのいう〝強度〟に繋がっているのかもしれませんが。現場のノリでバーッと撮ったときに思いもよらないいい写真が生まれたというのも、写真のよさだとは思うのですが、そうならなくてあとから後悔することも多いですよね? だからぼくの撮影では、確実に100%のクオリティは担保します。その上で偶然に見えてくる光やモデルの表情・・・写真の奇跡が起これば最高ですよね。

今や完全に自身のスタイルを確立されましたよね。

長山 自分は〝動〟というより〝静〟の写真というイメージなんでしょうね。ただ、もちろんそれは好きだけれど、それだけじゃこれからの10年は持たないような気もしていて。

長山さんほどの人でも、そういうことを思うんですね! 

長山 ぼくらみたいなクリエイターって、たいていコマーシャル仕事のA面と、パーソナルな表現のB面という、ふたつの世界を持っていますよね。ただ、謙遜なのかコンプレックスなのかわかりませんが、大っぴらにアートをやっているとは言わないんです(笑)。でもカメラマンに限らず、ぼくの周りにはパワフルで面白い作品をつくっている人がたくさんいて、その強さは中途半端な芸術家なんかよりよっぽどクリエイティブなんですよ。実は今、そういうクリエイターの内面世界を表現できるギャラリーをつくっています。

それはすごい!

長山 ぼくは30代後半にとんでもないものばかり買っていたのですが(笑)、その消費の時代を通り越して、モノの価値には限界があることを知りました。だからこれからは、見えていないことの価値・・・それは自分の価値も含めてですが、そういうものを成長させていきたい、と思っているんですよね。だから自分の今までの〝静〟の世界に、何かを加えていくことがこれからの課題ですね。

家具、スーツ、葉巻なんかに死ぬほど散財してきた長山さんがいうと、説得力があるなあ(笑)。

仕事としての写真と
表現としての写真

古江 プライベートでも写真は撮られるんですか?

長山 今までありとあらゆるカメラを買ってきたけど、なんの予定も目論見もなく、カメラをぶら下げて歩くみたいなことはしないかな。作品展をやるとか、目的とか衝動がなければやらない。今日はこれを撮るために、このカメラを持つという感じ。記録だったらiPhoneでいいや、みたいな。

古江 出先でいい瞬間があったときに、後悔したりは?

長山 生活の断片みたいなものに、あまり興味がないんだよね。いつか見返すとも思えない。ぼくはその辺に関してはかなりドライで、だからこそ写真が好きなんだと思う。だってものすごくスピーディでしょ?

古江 なるほど。

長山 消費されるとかよく言うけど、ぼくは消費されなかったらイヤ。消費されない写真なんて、残ってんじゃねーよとすら思っている。だから執着がないんだろうね。

古江 それでも写真展をやったり、写真集はつくるんですか?

長山 何年か前に、〝選択〟をテーマにして、N.Y.のストリートで撮った作品の写真展を開催したときに、お土産としての写真集はつくったけどね。作品の一点一点にメッセージを添えて。それは「見た人の足を止める」というのをひとつの目的にしたもので、作品を残したかったというのとは、ちょっと違うんです。

ひとつのコンセプトアートに近い感覚ですね。

長山 ドキュメンタリーでありながらも作為的で、それでも写っているのは生(ナマ)というね。そういうコンセプトをもとに自分の中でルールと納期を決めて、それに向けてつくり込むわけです。〝東京〟っていうテーマでたかだか3ヶ月撮ったものを写真集にするとか、恥ずかしくてできないよ(笑)。

今は何かされているんですか?

長山 もう撮り始めている。しかもぜんぶ8×10(※)のカメラでね(笑)。それはいわゆる木工作品を撮っているんだけど、コロナによって実体のない世界が当たり前になってしまった今、だからこそ人間はもっと感覚を欲するんじゃないかという未来を見越しているわけ。作家さんが古代から変わらぬ素材でつくったオブジェと、最大の微粒子を持った8×10の写真を並べてドカンと展示する。視る感覚と触る感覚を圧倒的に刺激するような展示をやりたいと思っていて。

※エイト・バイ・テン。8インチ(203mm)× 10インチ(254㎜)という巨大なサイズのシート状フィルムを使い、印画紙に版画のように焼いたその写真は、デジタルカメラ全盛の現代においても、圧倒的な高画質を誇る。

古江 そういうアイデアは常に浮かんでくるんですか?

長山 なにかに興味を持って調べたり買い物したりしている間に、これは作品にできそうだな、と思うようになったときは、忘れずに書き留めるようにしている。この木工作家さんの作品がすごいのは、ぜんぶ手で削っているんだよね。ヴィンテージ家具にしても、昔のものはぜんぶハンドでつくられているわけだけど、そこからは絶対に完璧じゃない歪みが生まれてくる。現代の製品としては排除されてしまうような、その不完全さこそを愛でる作家さんの価値観に惹かれて、合同展をやることになった。彼のなかでも〝木のパワー〟がすごすぎて、10年間刃を入れられない素材が結構あるらしくて、そういったものを今回は使っちゃうかもしれないね(笑)。

古江 めちゃくちゃ面白そうです。

長山 っていうのを、仕事の隙間隙間にやっているんです(笑)。

長山さんは実践派なんですよね。実際に見たり食べたりしているから、理解が深まっていく。

今、クリエイターは
どう生きるべきか?

古江 ぼく、最近ちょっと写真を撮るのがすごく難しくなっているんです。最近読んだ本で、「写真やる前に人生やんなきゃダメだ」みたいな言葉があって、それが響きすぎて写真が撮れなくなってしまった。人生をやるのって難しいなと思って。

長山 ただ撮るだけだと、いいのか悪いのかという判断が難しくなってきて、俺は本当に写真が好きだったのかな、と悩むようなことだと思うんだけど。でもさ、「人生をやる」みたいなことは巨匠だから言えるのであって、20代がそれを真に受けても実践はできないよ。どの業種でもプロとして確立する前の人がそういう風に思い詰めがちなんだけど、結局よかろうが悪かろうが、ひたすらやるしかないんだよね。
 写真の世界では一度止まっちゃった人は絶対に答えを出せなくて、実家に帰ったり、いきなりカフェでバイトしだしたりする。そういう人は、この世界には絶対に帰ってこられなくなるよ。止まらなかった人だけが、いつか答えに辿り着けるんだと思う。今核心を突いたようなことを言っている人が、20代からそんな境地にいたかというと、全然そんなことないから。結果そうなっているというだけだから、あまり気にしない方がいいんじゃない?

 

古江 写真を撮るのって、極論シャッターを押すだけじゃないですか。そこにどんな年齢の自分が、どんな環境で、どんな服装で、どんな髪型で・・・みたいなことも含んだ視点でカメラを覗いていて、さらに対象の人がいて、みたいな。そういうことまで考え出すと、写真ってこんなに難しかったんだ、と思っている真っ最中なんです。でもさっき長山さんが仰ったように、現時点のぼくが現時点の長山さんに勝てるわけがない。というかそもそも種類が違うんだって。今どうやっていくかを考え続けるしかないんだなって、気づきました。

長山 それでいいんじゃない? ぼくたちの仕事は今こうしよう。やっぱりちょっと違った。だからこうしてみよう、ということの繰り返しだから。でも意外と、それをしていない人が多いんだよね。古江くんは写真だろうが私服だろうと、現状で4〜5万人のフォロワーがいるわけでしょ? それは一種の能力があるってことの証明だから、そこまでクソ真面目に考えることはない(笑)。
 ちなみに古江くんの世代でも、いわゆるインフルエンサー的な考え方って、浅はかに見えるわけ?

古江 めちゃめちゃ見えます。

長山 なるほど。ぼくらは、戦後のレジェンドたちが産み出してきた〝本質〟という概念を知って、追い求めてきた一番下の世代なんだよね。でも〝本質〟がなんなのかっていう価値観は常に変わり続けている。インフルエンスでしか物事を判断してこなかった人がいきなり「本質をやります」と言っても、まわりの大人たちからすれば、お前には無理だって話じゃん。でも、今は旧来の〝本質〟に固執していた人たちが食いっぱぐれている時代なわけで。だからインフルエンスの世界が薄っぺらいというのはわかるけれど、それをただ見逃していいかというと、そういうわけじゃない。だからこそ〝本質〟の定義は難しいよね。ただひとつだけ言えるのは、自分はこうしたい、こうなんだってことを言い続けるしかないということ。続ければ絶対に正当化されるから。

上の世代を気にしすぎるなってことですかね?

長山 どんなに大人たちが否定していても、実際にムーブメントを起こしている若い人たちはいるわけだから。でも、そういう若者たちからも、そして大人たちからも尊敬されているような人は別格だよね。目指してなれるような存在ではないけれど。面白いのは、そういう人は得てして、時代に逆行してアバンギャルドなことをし続けてきたんだよね。若いときはおおいに反感を買っていたわけで。だから止まっている時間なんてないよ。

古江 それも必要なんですが、自分がどうあるべきかを考えだすと、止まってしまうところもあって。

長山 どうなりたいの?

古江 それがないんですよ(笑)。写真や動画という表現だけに固執しているわけじゃなくて、古江優生という人間の表現をどう掘り下げていくか、ということにはこだわりたいんですが。

長山 写真や動画っていうのは、手段というか装備のひとつってことだね。それを考えると、やっぱり一番強いのは「点」をいっぱい打つことかな。
 写真が好き。服が好き。旅行も好き。でもこの好きっていう気持ちは、なんだかんだいって本気でやらないと「点」にならない。その本気度が重なったときに、はじめて「点」が「線」としてつながるわけ。たとえば写真だけじゃなくて、好きな洋服に関してもトップクラスの人とちゃんと話せるくらい、時間やお金を費やして掘り下げる。そうすることによって、すべてがつながってきて、誰にも真似できない古江優生という存在ができ上がるんだよ。
 だから今まで10やってきたことを4に絞ってでも、そこに自分のすべてを注入する。そうしたときに、グンと行くかもしれないね。

狭さは深さ、深さは強さだ!

古江くんって、仕事は断れるタイプなの? こういうことはしないよって。

古江 今はまだ、あまり断れないかもしれません。

長山さんはめちゃくちゃ断るんだよ(笑)。

長山 よく雑誌とかで、コンサバな女の子が周りに誰もいないカフェでなぜか笑っている写真みたいのがあるじゃないですか(笑)。そういうのを、いかに撮らないように・・・というか、長山にこういう写真を撮らせる必要ないなって思われるようなことを、細かくやってきた自負はあります(笑)。そんな頑固なヤツはいらないって思われる可能性だってあるから、もちろんうまいプレゼンテーションのやり方は必要ですけどね。

どうやって断るんですか?

長山 いや、ぼくこういうのは好きじゃないですねって。

ど直球じゃないですか(笑)!

長山 長山にはこっちの世界で撮らせたほうがメリットがあるぞ、と思わせるほどの写真をちゃんと撮れば、キャピキャピを求められるような仕事はなくなるんですよ。ちなみに雑誌の仕事では細かいカットも求められますが、ぼくの場合はどんなに細かい写真だろうと、すべて断ち落としの写真と同じテンションで撮って、レタッチして、断ち落としサイズのプリントを納品します。

確かに、その熱量で撮られた写真はぞんざいに扱えないですね。

長山 ページデザインとか関係なく、絶対にごまかさずに、すべて断ち落とし(余白をつけない1ページ大のカット)で見られてもいいような写真を撮ります。ぼくのInstagramには、芸能人とモード誌とコンサバ誌の写真が一列に並んでいますが、どうぞ全部見てくださいって、胸を張って言えますね。あくまで個人的な方法論でしかありませんが、それがぼくの強さなのかもしれません。
 古江くんはまだそこが完全に掴めていない状態なんだろうね。

化石や鉱物とスポーツウォッチを絡めながら撮影した静物カット。モノへの深い造詣や観察眼を生かした静物撮影も近年増えているという。月刊『文藝春秋』8月号/『名品探訪』より

古江 そうですね。

長山 そこって、自分の中に生まれた衝動を温めずに、すぐ行動するしかないよね。街で格好いいクルマを見かけたら調べればいいし、食べたいものは食べに行く。でも古江くんはきっとそういうタイプじゃん。うちのアシスタントなんて「どうすれば気付けるんですか?」みたいな感じだし。そもそも気付いていない人が行動に移すのは、なかなか難しいよ。

古江くんはやりたいことが先にあって、その表現手段として写真を選んだ人なんですよね。修行期間は経ていない。それに対してフォトグラファーのアシスタントさんは、職人としての技術を学んでいるけれど、撮りたいものが見つからなかったりする。ある意味正反対の立ち位置ですよね。

古江 ぼくなんて運がよかっただけです。今仕事があるのは、Instagramのおかげなんですよね。

長山 一本の仕事に対する責任感が変わらないのだとしたら、成り立った過程は違えど、立ち位置は変わらないと思うけど。フォトグラファーのアシスタントに就く人って、古江くんみたいな行動ができない人が多いんだよね。どうなりたいというイメージを全く持たずに、一番手っ取り早い答えを探してスタジオマンになったりする。だからうちのアシスタントには、よく言っているんだよ。今のインフルエンサーの人たちって、君たちの数百倍仕事しているし、彼らの行動力に負けたら、君たちの未来はないよって。それでも昨日何してたのって聞いたら、「雨が降ってて寒いから帰りました」とか言う(笑)。すぐに写真を撮れよって。

古江 やるしかないっていうのが、すごく心に響きますね。

長山 そうだよ。ぼくだって3年後にこの世界から消えて、「あんな人いましたね」ってなっている可能性はゼロではないんだから(笑)。

アナログの感性を磨き抜いた
長山さんの高校生時代

長山さんが今20代だったとしたらどう戦いますか?

長山 いや〜、わからないな。インフルエンサーに憧れて失敗しているかもしれないし、直アシ(フォトグラファーの専属アシスタント)に就いている可能性もあるし。ただぼくは、高校生のときが一番のターニングポイントだったんですよ。デザイン系の学校で、グラフィックデザインを専攻していたのですが、その先生が芸大出の超アナログな方で、絵の具を溶くときは筆じゃなくて指で混ぜて、微妙な水分量や粘度を肌で感じながら溶く、みたいなことを教えてくれたんです。確かに絵の具って、色によって柔らかさが全然違うんですよね。
 その先生には、iMacが登場してこれからデジタルが当たり前だっていうときに、パソコンなんてやらせないと言われて(笑)、1ミリの中に筆で線を何本書け、なんてことばかりやらされていました。根っこから感覚を叩き込まれたんです。
 当時から選択授業で写真をやっていたのですが、これに関してだけはなぜか誰にも負けないという自信があって、高校を卒業してからは、写真の専門学校に通うことを決めました。そうしたらその先生が目の色を変えて「明日から普通の授業には出なくていい」と。それから卒業までは、毎日学校の暗室にこもって、現像液づくりです。ちょっとでも間違えたらケツを蹴飛ばされて(笑)。

長山さんの観察力みたいなものは、その時代に培われたんですね。

長山 そんな高校時代を過ごしたから、専門学校に入ったらまわりの目標地点と合わなくて、もうここにはいる意味がないと見切ってしまいました。なので、すぐに専門学校は辞めてスタジオに入っちゃったんですよ。その後はひたすら写真を撮って、夜は自分の部屋で現像して、プリントして・・・という毎日です。辛かったけれど、写真では絶対に負けないという自信だけはあったんですよね。

そして、アシスタント生活がはじまるわけですね。やっぱり厳しかったですか?

長山 もうありえないほど理不尽で(笑)。自信過剰だった分打ちのめされたんですが、ここで死ななければプロになれると思って耐えました。正直言ってアシスタントとしての仕事はできるほうだったんですが、師匠はぼくのようなヤツは気に入らなかったんでしょうね。格好つけて髪を染めたりピアスをしたり、マジで気持ち悪いと言われて、もうボコボコです。でもあるとき口が滑ったのか、師匠はぼくに「お前なんて独立したって雑誌のタイアップくらいしかできねーよ」って言ったんです(笑)。そのときに「ああ、俺は雑誌のタイアップはできると思われているんだ」って。それはつまりプロになれるということだから。その後はどんなことがあっても、辛いと思う気持ちはなくなりましたね。

2000年代までのクリエイティブ業界は超体育会ですから、私もお気持ちはわかります(笑)。今となってはディテールは書きにくいですが、長山さんもかなり過酷な日々を送っていたんだなあ。

長山 でも、挫折をしたって感覚ではないんですよ。これから挫折するかもしれないけど。古江くんは26歳だっけ? 自信はあるんでしょう?

古江 ありますね。

長山 恵まれてるよね。だから、悩むくらいいいんじゃないの? 悩むってのはナルシストってことだし。

古江 そうかもしれませんね(笑)。

長山 芸術家はみんなナルシストじゃん、基本。ただ、ぼくの場合、良くも悪くもそこがちょっと軽いんだよな。人によっては、楽していると思われている。その〝楽〟は、質を低くするための〝楽〟とは全く違うんだけどね。

何かを始めるのも勇気、
やらないのも勇気

長山さん、今のクリエイターにアドバイスすることなんてありますか?

長山 いまさら古江くんにアドバイスすることなんてないですよ。逆にぼくがアドバイスしてほしいし(笑)。

雑誌もどんどんなくなっているし、戦い方が変わっている時代ですから、なかなか若い人にアドバイスがしにくい時代ですよね。すごい技術を持っていても表現の場所がなくて、便利に使い倒されているクリエイターも多い。そういう部分でいうと、古江くんの戦い方は正解だったんだろうな、と思いますが。

長山 経験のない若い人が、現代の気分やノリで、今考えていることや楽しんでいることを自己発信するのはいいですよね。でも、経験がある人の安易な自己発信は説教にもなりかねないし、それはちょっと違うな、と思っています。「勉強になります!」っていう人はもちろんいるんだろうけど、クリエイターとしてはちょっと危ない兆候かな。それをもっとクリエイティブに、お洒落に、今っぽい表現としてできればいいんですが。そのひとつの答えが、さっき言ったギャラリーなんですよね。

古江 長山さんはYouTubeはやらないんですか?

長山 いや、コロナ禍で2ヶ月仕事ができなかったときは、すごい考えてたよ。スタジオを運営するのは大変だし。自分がどういうことを考えてこの作品が生まれているのか、ということを発信するのはアリかなと思って。でも雑な発信はあとで自分の首を絞めることになると思って、最終的にはあえて動かなかった。

古江 それは見たかったですけどね。

長山 二足のわらじは危険で、どっちつかずになる可能性もあるし、なにかが失われる可能性がある。だから最終的に、ここでできることをさらに高めていけばいい、と思ったのが、自分にとってのコロナ禍なわけですよ。軽いところには行かない、それがぼくの結論。

古江 ぼく、学生時代からサッカーをやっていたんですが、最近もう一回始めたんです。東京都2部のクラブチームに入って。

長山 それはすごいね。ガチなんだ(笑)。

古江 もともと高校が群馬の前橋育英で大学も体育会だったんですが、それ以降はやっていなかったんです。でも最近高校の同期のヤツに誘われて、これはいいタイミングなのかもしれない、と思って。サッカーの写真を撮るのも面白そうですし。

長山 それこそYouTubeでも、ユニフォームをつくるでもいいじゃん。今はもう〝見る〟レベルじゃダメなんだよね。〝つくる〟レベルまで行かないと。

これこそが、強く点を打つ、の第一歩ですね!



〜長山さんとの対話を終えて〜


今を、やる。

長山さんとの対談を前に、いくつか写真にまつわる本を読んだ。そのうちの一つの本に、

「写真やる前に人生やんなきゃだめです。」

と書かれていた。

ものの見事にばっちり喰らってしまい、写真を撮ることがより難しいことだと思うようになった。

もともと、

どんな想いで、どんなテーマで、どんなお題目で、誰を、どこで、どのように撮るのか。

など、写真を撮る理由、みたいなものがふわふわぐにゃぐにゃと、掴めないと感じていたここ最近にそれは追い討ちをかけるかのような一文だった。

対談当日、朝、撮影のイメージなど全く掴めず、対談をさせていただく長山さんのスタジオへ向かう。前の予定が伸びているそうで、45分ほど時間が空いたので、近くの喫茶店に入った。

美味しくも不味くもないオムライスを食べながら、

ふと、やるしかない。

それに尽きるなという思いに変わった。

現在26歳、今の古江優生で戦うしかない。

ありがたいことに、たくさんの貴重なお仕事の機会を今いただいている。その仕事に対して、真摯に全力で取り組む。その結果、失敗したら失敗した写真が撮れるし、うまくいったらうまくいった写真が撮れる。

なんにせよ、今の自分で今の写真を撮るしかない。

諦め、開き直りに聞こえてしまうかもしれないが、そうではなくて、一つ一つ責任を持って行い、結果をしっかりと受け止めるということだ。

私が素敵だなと思う人は、常に変化と新しさを追求している。そして、その中に大きな幹が自然形成されていて、結果としてその人らしさが滲み出てくる。長山さんはまさにそんな方だった。

ここには詳細を書くことはできないが、今後の新しい取り組みは、お聞きしているだけでワクワクしてしまう、まさに変化と新しさが凝縮されたような取り組み。

そしてそんな取り組みを、楽しそうに語る長山さんが印象的だった。

至極当たり前だが、当人が楽しんでいないものを、他の人に楽しんでもらえるはずがない。

そしてそれが結果として仕事に繋がる、必要とされる。

憧れのような存在の長山さんと対談させていただくことができて、これを憧れで終わらせないという決意に変わる対談でした。いつかお仕事を一緒にできる日まで。


古江優生
長山一樹

1982年生まれ。神奈川県出身。写真学校中退後、スタジオマンやアシスタントを経て2007年に独立。クリエイティブエージェンシー「S-14」に所属し、ファッション誌や広告の分野で活躍する。近年ではチャンネル登録者数約650万人を誇るYouTubeチャンネル、『THE FIRST TAKE』の撮影をすべて手掛け、映像の分野でもその実力を発揮している。

スーツ、家具、葉巻、食など、幅広い分野への関心から生まれた自身のスタイルもInstagramで発信し、注目されている。

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