2025.6.8.Sun
今日のおじさん語録
「なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間は偉くない。/杉浦日向子」
『ぼくのおじさん』<br />
インタビュー
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連載/『ぼくのおじさん』 インタビュー

お湯も人情も
都内最熱!
下町の文化遺産
「帝国湯」よ永遠なれ

撮影・文/山下英介

「ぼくのおじさん」初の銭湯取材は、東京都荒川区にある「帝国湯」さん。1916年に創業し、1952年に建てられたこの銭湯は、これぞ東京のクラシックと呼びたくなる格調高き木造建築と、極限の熱湯(あつゆ)で、銭湯好きの間では知られた存在だ。でも何よりすごいのは、この銭湯を守り支えようと奮闘する、下町の人々の心意気! 現代の東京にこんな素敵な文化が残っていることを、ぼくたちは忘れちゃならない。それは一度失われてしまったら、二度とよみがえることはないんだ。

絶滅危惧種の〝薪釜〟銭湯

そこかしこに韓国語が飛び交う、三河島ののんびりした住宅街を歩いていると現れる、老舗料亭や寺社のように格調高き入母屋造りの銭湯「帝国湯」。コインランドリーの脇を抜けると、まるで解体現場のような釜場が! オープンに備え大量の薪を使い風呂を焚くのは、番頭の石田綾子さん。これだけの薪(写真中左)が1日で消えてしまうという。
今日はオープン前のお忙しいときに失礼いたします! 私は文京区なので銭湯にはよく行くんですが、取材となると完全に初心者なので、お手柔らかにお願いします(笑)。

石田綾子 文京区なんですか? 今日はお祭りなのにすみません。

ああ、私は近所でお祭りをやってることすら知りませんでした(笑)。さすが下町だなあ・・・。このあたりも今日はお祭りのようですね!?

石田 前の番頭だった父も、今はお祭りについて行っちゃってます(笑)。

噂の〝釜じい〟さんですね! 後でお会いするのが楽しみです。それにしてもものすごい薪の量ですが、これって何日分なんですか?

石田 1日です。

なんと、この量を1日で!

石田 でも、この薪のおかげでうちの熱湯(あつゆ)があるんです。番頭だった父が数年前に脳出血で倒れてからは、オーナーにガスの機械もつけてもらって併用しているんですが、ガスに変えると常連さんから「お湯違くない?」って。

いったい何が違うんでしょうね?

石田 熱くてピリピリするのは一緒だけど、薪のほうがまろやかみたいですね。あと井戸水を使っていることもあり、湯冷めしにくいとか。私は10秒しか入れないので(笑)、そこまでわからないんですけど。

私もこの熱さに衝撃を受けました(笑)。この大量の薪はどうやって仕入れているんですか?

石田 産廃業者の方が持ってきてくれることが多いですね。ご近所さんがいらなくなった家具などを持ってきてくれることもあるんですが、今は燃えるものと燃えないものの違いがわからないので、詳しく見せてもらってから受け入れるようにしています。木のように見えてもセメントのような化学物質が使われていたりすると、空気穴を塞いで火が回らなくなっちゃうんですよ。

そうか。今は木のように見えて木じゃないものも多いですもんね。しかしガスなら自動で温度設定もできますが、薪釜だとつきっきりで様子を見ていないとダメだから、大変ですねえ・・・。

石田 温度計と手の感覚が頼りです。でも私は電ノコは使えないし、うちの父ももう歳だから、どうしても大きな材料から薪をつくるときは、オーナーやお兄ちゃんに手伝ってもらってますけど。

本当に家族経営なんですね。でもとてもユニークなのは、この「帝国湯」さんは、オーナーである甚五(じんご)家と、番頭である石田家、ふたつの家族によって営まれているという。
オーナーの甚五輿司直(じんごとしなお)さんと、番頭の石田さん。年齢も近くともにこの銭湯で育ったふたりは、まるで兄弟のような存在だ。

石田 そうです。私は父と母が住み込みで働いていたこの銭湯で生まれて、ちっちゃいときからお手伝いしてきました。

じゃあ現オーナーの甚五さんと石田さんは幼馴染みたいな?

甚五與司直(じんごよしなお) ちっちゃいときから知ってるもんね。

帝国湯は熱湯(あつゆ)
好きの最後の砦

1916年(大正5年)に創業した「帝国湯」。第二次世界大戦期に被災したため、現在残っているのは1952年(昭和27年)に改修された建物だ。しかしその佇まいは創業時とほぼ変わらないという。
脱衣場に入った途端、その高さに驚かされる格天井(ごうてんじょう)! 見事な大黒柱にも注目したい。
今は数少なくなった番台や柱時計など、まさに昭和の銭湯におけるクラシックがここにある。天井の隅の細工も伝統的な工法によるものだ。ちなみに牛乳は、今や消滅の危機にある「瓶」だ!
開放的な空間には、今は亡き銭湯絵師の早川利光さんが描いた富士山が。
窓枠はなんといまだに木製! カランも床のタイルも、古いけれどピカピカに磨き上げられている。


昭和の銭湯を追体験させてくれる数々のディテール。ここでは常連さんの〝置き荷物〟もOKだ。
肝心のお風呂は3つの浴槽を備えているが、中央は〝都内最熱〟と名高い推定47〜48度! 編集人は10秒で断念した。左側の黒い薬湯は41〜42度程度と少しぬるめなので、ゆっくりと入っていられそう。最初は入れない人も多いかもしれないが、これが東京の伝統的な銭湯のスタイルなのだ。薪釜の銭湯は都内にまだいくつか残っているが、こちらは井戸水を使っているのも自慢。湯冷めしにくいそう。
甚五さんという苗字は初めて聞きますが、どちらのご出身なんですか?

甚五 石川県です。「帝国湯」は今年で109年。私のひいじいちゃんが明治天皇を深く尊敬していたので、この名前になったと聞いております。

創業109年! この建物は1952年に建て替えられて以来そのままの姿と聞きますが、重要文化財の指定なんかは受けないんですか?

甚五 この建物は私の祖父が柱1本まで選んでつくったらしいです。私は今55歳ですけど、生まれた時からほとんど変わっていません。よくまわりからは重要文化財の指定を受けるようにすすめられるんですけど、それをやっちゃうと直せないじゃない? それだと営業に差し支えちゃうからやりません。

石田 変わったのはシャワーと椅子くらいだよね。

壁のペンキ絵も最高でしたね。

甚五 あれは30年くらい前に描かれたものです。知らない人にとってはボロボロに見えるけど、あれこそ二度と描けないものですから、いけるところまでいこうと。

男湯のヘリコプターとか、女湯のウサギちゃんもいいですよね。
クラシックな富士山と、ウサギやヘリコプターの隠れキャラ。もう二度と描けない見事な銭湯絵は、一見ボロボロだが加工を施しているので、簡単に剥がれ落ちることはない。

甚五 あれは絵師さんのアイデアで、お母さんが泣いた子供をなだめる時に「ほらウサギさんがいるね〜」ってやれるように。

それは素敵だなあ。でも、やっぱりこの銭湯は〝意思を持って〟変えていないわけですね。

甚五 書道と華道の師範だった先代のおばさんはそうでしたね。私もその頭です。まあトイレだけはどうしてもね(笑)。

〝釜じい〟さんも大尊敬する先代は文化人で、骨董など古いものを愛するお人柄だったそうだ。のれんの書をしたためたのも先代だ。
ウォシュレット付きの新型でした(笑)! それでも「帝国湯」は、数年前に廃業の危機に陥ったらしいですが。

甚五 それはおばさんが亡くなったことがきっかけです。私の父も亡くなっていますし、おばとなるとどうしても相続権の問題がややこしくなるじゃないですか。なので私が継ぐためには、親類を説得する必要があったもので。

やっぱりここがなくなるのは忍びなかったですか?

甚五 私は小さい頃、父の仕事の都合で海外に住んでいたんですが、ここは帰国するたびに預けられていた思い出の場所だったんです。自分や父が生まれ育った場所をなくすわけにはいかないって。

それでお仕事を辞められたと。

甚五 いや、辞めてませんよ。今日は休みだから手伝いに来ているだけで、普段は別の仕事をやっています。一応ここには居住スペースもあるんですが、私の住まいは別の場所ですし。

自動制御システムのない薪釜は、まるで生き物。お客さんがたくさん入ると温度が下がるので、ひっきりなしに温度を確かめ、薪をくべていく。
な、なんと! じゃあ副業的な感覚で?

甚五 いや、オーナーではあるけど副業ではないから、私はここから給料はもらっていません。ぶっちゃけ赤字なので、自分の食い扶持は自分で稼いでいるというのが正直なところですね。ちなみに番頭(綾子さん)のお兄ちゃんもタダで手伝ってますから(笑)。

ここはみんなの善意と心意気で成り立ってる世界なんですね。でも最近は銭湯ブームとかサウナブームとか言われてますが、その恩恵もあるんじゃないですか?

甚五 一切ございません(笑)。

でも最近は下町の古い喫茶店みたいに、突然若い子たちに見つかって行列店になるみたいなケースもあるのでは?

甚五 うちに限ってはないでしょうね。

それはなぜ?

甚五 だって熱くて入れないでしょ?

それは確かに・・・(笑)! もうちょっと温度を下げようという計画はないんですか?

甚五 ないですね。やっぱり熱いのが好きで来てくれているお客さんが多いので、それでいいんじゃないかと。そういえばTVの『博士ちゃん』がウチに来て入ろうとしてくれたけど、TV的にNGだったみたいですね。

温度的にいうと『TVジョッキー』の熱湯風呂と同じレベルだから、子供にはマズイと(笑)。

石田 SNSにはもっと入れる温度にしてほしいという意見もくるんですが、今の常連さんは熱湯(あつゆ)の銭湯がどんどんなくなっている状況で、やっと辿り着いた人たちなんですよね。なのでウチは熱湯好きの最後の砦なんです。

最後の砦(笑)。

石田 かといって敷居が高いわけじゃなくて、初心者の方には常連さんが「ここから入ったほうがいいよ」とか教えてくれるので、心配はありません。うちの常連さんは優しいので、私がいないときは任せられます(笑)。

ここはお客さんのマナーというかお行儀が本当にいいですよね。
時間によって温度は微妙に異なるそうだが、誇張抜きで飛び上がるほど熱い「帝国湯」。がんばって全身つかることができても、撹拌されるとまた熱くなってもう入っていられない。ここの常連さんはそんな苦行を繰り返しつつ、熱さを快感にまで高めた猛者たちだ。このお湯があればサウナなんていらない! 女湯のほうがちょっとだけ温度は低いそうだ。
「帝国湯」のもうひとつの魅力が、お客さんのマナーのよさ。これも下町の美徳だよね。

石田 ありがとうございます。番台で私がよく怒ってますから(笑)。やっぱり人に迷惑をかけるような人や、片付けられないような人、薬湯につかりっぱなしでずっと出ない人とかには、ちょっとごめんって。あと酔ってる人は、私の質問に答えられなかったら帰りなって。一番怖いのは朝湯で、何年に一度かは救急車騒ぎになります。

甚五 そのための番台だからね。

石田 だからうちがフロント式になったら、一気にぬる湯になっちゃいますよ。

そうか、今や少なくなった番台にはそういう機能があったんですね・・・。そういえばこの間「帝国湯」さんにお邪魔した際、おじいちゃんがおじいちゃんの体を全身くまなくゴシゴシ丁寧に洗っている最高の光景に出くわしたんですが、もしかして、ここにはまだ「三助」の文化が残っているんですかね?

石田 さすがに「三助」はいないけど、それはもしかしてうちの父かもしれない(笑)。私も常連さんがいるときにお風呂に入ると、「私が洗ってあげるわ」なんて言われることがありますから。

「帝国湯」の守護神
〝釜じい〟登場!

石田綾子さんの父親である、〝釜じい〟こと石田勇さんは84歳。この銭湯の敷地内にある家に夫婦住み込みで、60年近くこの銭湯を守りながら、ふたりの子供を育ててきた。
おお、そうこうしているうちについに伝説の番頭〝釜じい〟こと石田勇さんが来てくれました! 確かにこの間お風呂で見た方だ(笑)。そして両手がお菓子でいっぱい。

釜じい 食べる?

ありがとうございます(笑)。この銭湯、本当に素敵ですねえ。

釜じい そうですね。大正にできたから。

釜じいさんは働き始めてからずっとこの銭湯なんですか?

釜じい ここは60年くらい。島根から集団就職で出てきて、最初はお姉さんが先に働いてた目黒の「鶴の湯」だった。今はもうないけどね。

当時はまだ風呂がないお家も多かっただろうし、忙しかったんでしょうね。

釜じい 昔はお客さん多かったね。

三助さんなんてのもまだいたんですかね?

釜じい いたいた。私もちょっとやってたし。女湯に行って洗ったこともあるよ。もうあがっちゃって(笑)。

え〜っ、女性の体を洗うこともあったんですか?

釜じい うん。呼ばれるんですよ。

はあ〜。そんな時代があったんですね・・・。でも、当時から「帝国湯」はこんなに熱かったんですか?

釜じい 薪しかないし、昔はどこも同じようだった。だけど時々バターンって倒れる人もいた。付き添って帰るんだけど、免許がないし倒れた人の運転で帰るから怖いんだ(笑)。

当時からぬるくしようという案はなかったんですか?

釜じい 昔は年寄りがいっぱい風呂のフチに座ってて、水出すと怒るから怖いんだ。

そっか、当時から銭湯では常連さんが目を光らせていたんですね(笑)。釜じいさんご自身も、熱いのが好きなんですか?

釜じい 私の田舎の温泉(※島根県の「ゆのつ温泉」)も熱かったからね。

石田 お父さんが熱いって言い出したら相当な温度です(笑)。ねえ、お父さんは薪で生きてきたんだよね。昔は父が番台にも座っていたんですが、今はこんなじいちゃんでも男性は嫌だっていう女性も多いので、座れなくなっちゃったんです。女性の常連さんたちは、みんな「お父さんは?」って心配してくれますけど。

そっかあ。やはり時代は変わりつつあるんですね。

石田 昔、お父さんが釜場やってから夜ご飯食べて、12時まで番台に座ってると、いつの間にか寝てるんです(笑)。そしたら常連さんはそっとお金置いてくれたり。

銭湯の仕事ってハードなんですね。やっぱり大変でしたか?

釜じい 昔は朝湯もあったし、まあ寝る時間がなかった。年に何回かしか休めなかったし、大変だったよ。

でもそれでふたりのお子さんを育てあげたわけですから、すごいですよ!

釜じい いや、勝手に育った。

石田 ウチは共働きで、几帳面なお母さんは掃除をしたり番台に座ったりお客さんの相談相手を務めるような役割でした。だから私も小さな頃から、お手伝いをしてから遊びに行くのが普通でしたね。そして家に帰ったらご飯を食べるんですが、両親が戻ってくるのは深夜。でも、昔は冬になるとこの辺りも雪が降ったから、お父さんが即席のソリをつくってくれて遊んだりした記憶はあります。で、春になるとそれが薪になるの(笑)。

じゃあ家族団欒もそうはなかったんですね。

釜じい そうだね。

石田 だから私は近所の人たちにお風呂に入れてもらってましたね。夏休みも家族旅行なんてしたことないから、近所の人に連れて行ってもらったし。ただ、なにせずっと家にいるから、逆にウチに子供を預けにくる人も多かったですけどね(笑)。

もはや「寅さん」でしか見ないような光景ですねえ。

石田 そうですね。今でもご飯つくったら「よかったら食べて」って持ってきてくれたり、もらったものをお裾分けしてくれたり。昔よりは減ったけど、それでも近所付き合いはあるんですよね。

やっぱり釜じいさんも、そういう雰囲気が好きでこの仕事を続けてこられたんですか?

釜じい そうすね。

石田 お父さんは人が好きだから、すぐ誰かについて行っちゃうんだよね(笑)。

薪の材料となる廃材を「帝国湯」に持ち込んでくれる業者のおじさん。〝釜じい〟のことが大好きで、一緒に風呂に入っては背中を流してくれるんだとか。編集人が見たのはその光景だった!
ここに住んでる限りは安心ですね(笑)。でも、まだ引退って感じではないですか?

釜じい 今はね。

石田 私が心配か?

そうか、薪がありますからね。

石田 お母さんが生きているときも、薪を切るのと片付けるのは絶対にやらせませんでした。

釜じい 昔は斧で割ってたからね。

優しい人なんですねえ。この仕事は何年くらいで一人前になれますか?

釜じい やっぱり2、3年だねえ。

天候にも左右されるし、釜の面倒を見るのはきっと大変なんでしょうね。

釜じい だから私は火をつけるのはうまいもんだ。放火魔(笑)。

釜じいジョークいただきました(笑)! でも実際、危険もつきまとう仕事ですよね。

石田 だから父は営業が終わって部屋で寝てても、外で物音がすると出てきちゃうんです。こっちが大丈夫だよって言っても、自分で確認しないと気が済まないんですよね。

もはや人生そのものなんでしょうね。
炎を扱う銭湯は、神聖な場所でもある。毎日営業前には柏手を打って神様へ感謝を伝えるのだ。

変わりゆく東京の下町で
〝故郷〟を守るために

「帝国湯」に密着してドキュメンタリー映画を撮影している制作会社の皆さん。もはや石田さんや甚五さんとはファミリーのような存在になっていた。まだ公開日等は未定だが、楽しみに待とう! ちなみにフランス人のスタッフさんによると、人前で裸になるのが恥とされる西洋には、(一部を除いて)銭湯文化はほぼ存在しないそうだが、韓国やアラブ圏には似たようなものがあるという。「帝国湯」も最近では海外のお客さんが増えたが、みんな調べてくるからマナーは良好とのこと。
さて、釜じいさんはお友達と一緒にお風呂に行っちゃいましたが、本当に天使のような方でしたね! 昔からあんな感じだったんですか?

石田 脳出血するまではもうちょっとピリッとはしてましたけど(笑)。今でも外で子供が遊んでると見に行って「クルマ来てるぞ〜」なんて声をかけたりしてます。もう、本当に人が好きなので。

ここはまだ昭和なんですね(笑)。でもウチの近所だったら通報されちゃいそう。
この街の人々は〝釜じい〟が大好き! 見つけたら遠慮なく声をかけよう。

石田 でも、お父さんも何度も通報されてます。小学校が近くにあるんですが、今や知らない人から声かけられたら通報の時代ですもんね。だからお父さんには、自分から声をかけないようにねって。

それは切ないなあ!

甚五 世の中おかしいよね。だから逆に犯罪が減らないんだよ。

下町の雰囲気を残したこの街も、やっぱり変わりつつあるんですねえ。ちなみにこの建物については、差し迫った問題などはあるんですか?

甚五 単純に古いのでいつまで持つかってところです。銭湯の建物って湿気があるので、どうしても傷みやすいんですよね。

石田 お父さんには、地震が起きたら外に逃げろって言ってます。

甚五 大きな地震を2回も耐えてるけどね。

石田 2011年のときは湯船が揺れただけで済みました。

やっぱり基礎も柱もしっかりしてたんでしょうね。
「帝国湯」を取材していると、近所の人が次から次へと遊びに来て井戸端会議が繰り広げられる。ご近所付き合いが希薄な郊外で生まれ育った編集人にとってはうらやましい光景だ。

通りがかった近所の女将さん ウチは昔荒川区で銭湯をやってたんだけど、「帝国湯」さんみたいなお風呂屋さんはないですよ。あの大黒柱と、女湯と男湯の境目にある柱を見てください。あんな大きさの柱はないですよ。あと庭見てください。大したもんですよ。この薪の音、聞いてください。パチパチパチパチ・・・。今どきそんな音ないですよ。先代の頃、近所の銭湯はみんな「帝国湯」さんの無尽(互助会のようなもの)に行ったもんですよ。親方さんなんだって。

なるほど〜。やっぱり「帝国湯」は業界的に見ても名門というか、すごい銭湯なんですね。

甚五 まあ、今やこの辺でもお風呂のない家はそうないだろうけど、古いものは壊しちゃったらもとに戻りませんから。私としてはこの場所さえ残ってくれればってのが一番です。

ちなみに6代目である甚五さんの跡継ぎはいるんですか?

甚五 いまのところあてはないですね。今はなんとか孫を騙して引き込もうかと計画してますけど(笑)。

やっぱりビジネスとして考えると銭湯ってなかなか難しいんですかね?

甚五 そうですね。何を優先順位とするかによって経営の仕方も変わってくるんでしょうけど。私の場合、一番の目的がこの場所を残すことだったいうだけです。

つまり、「帝国湯」さんに限っては、単純に経営を成り立たせることが目的ではないと。

甚五 そうそう。

お湯をぬるくすればお客さんが増えるとしても。

甚五 やらないですね。

サウナをつければ若い子が増えるとしても。

甚五 そうだろうけど・・・絶対やりません(笑)!

安心しました。ありがとうございます!
帝国湯

住所/東京都荒川区東日暮里3-22-3
電話番号/03-3891-4637
営業時間/15時〜22時
定休日/月曜日

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