

漫才もファッションも
時代を越えた!
元祖お洒落芸人
「ザ・ぼんち」の
アイビーボーイ伝説
撮影/高木陽春
スタイリスト/土屋大樹
文/山下英介
2025年にフジテレビで開催された漫才トーナメント『THE SECOND』で強烈なインパクトを残した漫才コンビ「ザ・ぼんち」。今では知られていないかもしれないけど、実は1980年頃、彼らはアイビー&トラッド芸人として当時のシティボーイたちから人気を博していたという。つまりは元祖お洒落芸人。その本気度は当時のスタイリングを見れば一目瞭然。めちゃくちゃかっこいいじゃないか! というわけで再ブレイク中で超多忙なふたりをつかまえて、アイビー&トラッドについてお話しを伺うことにした。ファッションだけじゃなくて生き方もトラッドな「ザ・ぼんち」に、改めて注目を!
天王寺のシティボーイ
おさむちゃんです!

写真提供/吉本興業
今日は超ご多忙なところ、本当にありがとうございます! ちょうどお昼時ですし、なにかお召し上がりになりますか?
ぼんちおさむ じゃあ、ウインナー挟んだやつ!
マネージャー ホットドックですね(笑)。買ってきます!
というわけで、この度はよろしくお願いいたします! 最近は『THE SECOND』で再ブレイクを果たしたお二方ですが、今回はお笑いじゃなくて、ファッションについてお伺いしたいと思っています。漫才ブームだった1980年代前半の「ザ・ぼんち」の写真を見ていたら、お二方の着こなしが素人とは思えない本気のアイビーだったもので、これはぜひお話を聞かねばと!

おさむ 昔ぼく、「MEN’S CLUB」の『街アイ』(『街のアイビーリーガース』の略。元祖ストリートスナップ連載!)に載せてもらったことがあるんですよ。まだ売れてなかったからシロウトとして掲載されてね。覚えてるな〜。雨も降ってないのにビニール傘持って。前の晩カノジョとホテルに行った帰りだったから(笑)。

1952年生まれ。「ザ・ぼんち」のボケ担当。高校卒業後喜劇役者を目指すが漫才師に転向。俳優としても活躍する。実はジャズボーカリストとしての一面も!

朝帰りスタイルだったんですか(笑)! でも各方面からおさむ師匠のこだわりぶりは伺っております!
里見まさと だいたいこっち(ファッション)はおさむさんの担当ですから。
おさむ 一応ぼくが衣装担当ですから。だから自分の好みになっちゃって。
やっぱり衣装さんやスタイリストじゃなくて、ご自分で選ばれていたわけですね!
おさむ 漫才のときは全部ぼくが選んだ衣装だったね。もともとはふたりで決めてたんやけど、相棒がネタとか考えるから、ぼくだけ役に立ってないと思って、せめてファッションだけはと、選び始めてん。もう全部自分の好みだったけど。
なるほど、自然と役割分担ができていったわけですね。もともとおふたりは興國高校の同級生だったとのことですが、当時からファッション好きだったんですか?
まさと ぼくは野球部でしたからファッションには全く無頓着、ジャージー姿の学生でした。

1952年生まれ。「ザ・ぼんち」のツッコミ&ネタづくり担当。漫才師としての活動のほか落語や講談などにも注力。趣味はお城めぐり。
ああ、興國高校の野球部は1968年に甲子園で優勝したほどの名門校なんですよね!
おさむ ぼくは中学生くらいからアメリカ村で綿パン(コットンパンツのこと。チノパンとは別物!)買うてきて、裾を切って穿いたりしてたね。
プレッピー的にいうと、コットンパンツはやっぱりカットオフですよね(笑)! 当時はVANがお好きだったんですか?
おさむ そうやね。まわりはアイビーのVANかヨーロッパのBIGIみたいな時代だったな。ぼくはプルオーバーのボタンダウンシャツが好きで、バミューダーパンツやバスケットシューズを合わせて着てた。綿パンの丈は絶対短めやね。すぐにやめちゃったけど、バミューダー穿いて、ブルーバードSSS乗ってサーフィン行ってたもん。当時のアイビーは若大将(加山雄三さん)も大好きでしたね。

おお〜、まさにシティボーイスタイルですね! 当時の大阪にはそういう服が買えるお店は多かったんですか?
おさむ ありましたよ。ぼくが通っていたのはミナミのお店だったんですが、ケントのヘリンボーンのブレザーとか正ちゃん帽を買ってました。高校生に5万円のブレザーは高かったけど、頑張って買いましたね。
ほぉ〜、本当にお洒落だったんですね。
おさむ で、彼(まさと)はネクタイで、ぼくは蝶タイにしたんです。
ずいぶん飛びますね(笑)。でも、当時はアイビーっぽいスタイルの漫才師なんて相当珍しかったのでは?
おさむ それはいてなかったね。だから目立ったと思いますよ。
やっぱりおさむ師匠は学生時代からお洒落で有名だったんですか?
まさと いや、実は当時はそこまでの付き合いはなかったな〜(笑)。ぼくは野球部だったから、同じクラスでも別もんだったんですよ。
おさむ 彼は教室おるときは疲れて寝てる。ぼくは授業中でも休憩中でもワーワー騒いでる。ケンカこそしないけど、やんちゃなほうやったから。制服のズボンを細身のダブル仕上げであつらえてバッシュに合わせてたら、当時の先生には怒られたね。「ウォォイ!」って(笑)。
「ザ・ぼんち」は体育会系とやんちゃ系のコンビだったんですね(笑)。そういえば「ぼんち」という関西の言葉には「お坊ちゃん」みたいな意味合いがあるようですが、おふたりはいいところのお坊ちゃんだったとか?
おさむ いや、全然そんなことない。「ぼんち」は山崎豊子さんの小説から名付けてはいるんやけど、男の子という意味だから。ぼくらはせいぜい「ポッ・ポチャーン」って水溜りにハマるくらいやね。
(笑)そうだったんですか!? アイビーという言葉と「ぼんち」という言葉のもつ意味合いがちょっと重なるところがあるなあ、と思っていたんですが。
おさむ あ〜! それは最初は意識はなかったね。
1970年代、芸人たちの
ファッション事情

お二方がコンビを組んだとき、1970年代の芸能人のファッションって、どんな感じだったんですか?
おさむ みんな太もも細くて裾の広いパンタロン穿いてたね。髪の毛伸ばして。ぼくはどちらかというと硬派だから、髪の毛も短くしてビシッとしてたかな。
お洒落な芸人さんとかいましたか?
おさむ いてなかった。みんなちょっとダサかったね。
まさと やすし師匠なんかは、とても綺麗な姿でいらっしゃいましたよね。
確かにやすきよのお二人はアイビーとは対極ですが、今見るとものすごくきれいな仕立てのスーツを着ておられますよね! いったいどこで仕立てていたんだろう・・・。「紳助・竜介」さんとかはどうでしたか?
おさむ やっぱりちょっと柄悪いイメージやったね(笑)。ツナギで出てきたから。ぼくらの格好とは全く違ってた。
まさと ただ、あの頃は、そうやってみんなが各々のキャラクターを確立されたのがよかったんでしょうね。たけしさんは三宅一生さんの服を着て出られたりして。ネタも被らん、衣装も被らんで。

写真提供/吉本興業
そうかもしれませんね。おふたりがブレイクされた1980年代前半のテレビの映像を見ていると、タモリさんやナベサダ(渡辺貞夫)さんもアイビーっぽい格好をされていますし、当時は芸能界でもアイビーっぽい格好はスタンダードだったんですかね?
おさむ タモリさんやナベサダさんはアイビーファッションでしたね。あとお洒落だったのが堺正章さん。靴下までかっこええもん。ぼくは流行とか関係なくただ自分が好きなもんを着ていただけで、みんなお洒落って言ってくれてたけど、自分ではわかりません。でもアイビーの何がいいかって、いつの時代でも着られるんです。
まさと ぼくはファッションについてはほんまに語ることないんですけど、アイビーに関してはほんまにおさむさんのクリーンヒットですよ。
おさむ ぼくがアイビーだったなんて、今の若い子はほとんど知らんでしょうね。でも今もそんなに変わらないですよ。嫁さんに今どきのお店に連れて行かれても、どうしてもダボッとしたズボンが穿けない(笑)。

舞台人として大切なこと
アイビーのDNAが邪魔するんですね(笑)。でもファッションも漫才のスタイルも含めて、なんとなく「ザ・ぼんち」ってジェリー・ルイスとディーン・マーティンの「底抜けコンビ」に近いものを感じさせますよね!? アメリカンエンターテイナーの雰囲気というか。
おさむ ああ、ぼくジェリー・ルイスが大好きなんですよ。『アメリカン・グラフィティ』の世界に憧れるんです。男前がディーン・マーティンでおもろい顔がジェリー・ルイス(笑)。

【衣装協力】
ジャケット&シャツ/Southwick
パンツ/Pt.Alfred
その他私物
そうなんですか! 軽やかで破天荒だけどどこか上品で、どキツい下ネタとか人を傷つけるようなことはしない。かなりこじつけかもしれないけれど(笑)、どこかふたりのコンビからはアイビースピリッツを感じさせるんですよ。
まさと 舞台人として一番大事なことですけどね。笑かしたい、笑ってもらいたいけれども、なんでもありの笑いというのは、ぼくらはダメなんです。芸人は品のあるステージをせんとね。

【衣装協力】
シャツ/メーカーズシャツ鎌倉(VINTAGE IVY COLLECTION)
ネクタイ/The Narrow Tie Tokyo
パンツ/PT.Alfred
靴/Southwick
その他私物
そういう芸人としてのあり方って、どなたかから教わったことなんですか?
まさと うーん、いつしかそうなったのかな。最初はなにもわからないまま無我夢中でやっていたけれど、いつの間にか相方の頭をはたかんようになったし。叩かんでも面白いツッコミ方、きっとあるはずですよ。
おさむ ぼくは自分で自分を叩いてますけどね(笑)。でも昔、月亭八方師匠から「ふたりの絵がキレイ」と言われたのはよく覚えています。
確かにお二方は芸も見た目もクリーンですよね。
おさむ 汚れやないから。
やっぱり昔の関西の芸人界というのは、礼儀作法などに厳しい世界だったんですよね?
おさむ 今の時代では考えられへん強烈なパワハラ、セクハラの世界でしたよ。
小突かれながら教わるみたいな。
まさと そっちのほうがまだ楽だったですけどね。
おさむ 当時は女の人が男をいじめてたからね。「ぼんちも偉うなったなあ」なんて。
やっぱり当時の芸人の世界は、一種特殊なコミュニティだったんですね。
まさと うん。普通の生活ができないような人たちが集まっていましたね(笑)。
おさむ 一段下に見られたもんな。ぼくなんて勉強できなかったから、よく先生に「吉本行っとけ」って言われましたから。

まさと 当時の大阪だと、先生もそれで片付けやすかったんですよね。それを親に言ったところで「その通りやで、お前しっかりせえ」となるから。
でも今や芸人社会も高学歴の時代ですよね。ずいぶん時代は変わったな、とか思いますか?
おさむ やっぱり賢いから言うことが違いますなあ。知らん熟語いっぱい出てくるしね(笑)。まず熟語勉強せな。
でも、そんな厳しい昔の芸人の世界に、お二方はなじめたわけですよね?
まさと まあ、なじめたと言えばなじめたましたね。ぼくたちは1971年に結成して1979年に売れたんですが、それまではずっと下積みの時代でした。
おさむ 漫才が好きだったし、これしかなかった。ぼくは絶対売れると思ってましたから。売れる、売れる・・・って自分で自分に催眠術をかけてたね(笑)。当時はゴミみたいな扱いを受けて、タクシー代どころか電車賃もなかったから、よくふたりで歩いて帰ったな。
まさと 泉大津の市民会館ね。読売テレビの仕事で・・・。
友達でもなかったふたりが、今もこうしてコンビを組んでいられるのは、やっぱり通じ合うものがあったんでしょうか?
まさと よくも悪くも趣味が全く違うんですよ。日々飯を食いに行ったり飲みに行くこともそうないから、逆にいい距離感が生まれるんちゃうかなあ。
でも並んだときの相性というか、絵が最高ですよね!
まさと それがなにより素敵じゃない! ありがたいことですよ。
もともと「ザ・ぼんち」はどちらからコンビ結成を申し込んだんですか?
まさと それはぼくです。もともと別々にこの世界に入ってそれぞれコンビを組んでやっていたんですが、それがどちらもダメになって、じゃあ、ということで。
おさむ師匠と組めば売れるんじゃないかという思いもあって?
まさと 売れると思っていたのかなあ(笑)。でも夢はありましたよ。
おさむ ぼくの同級生の間では、相棒が漫才しているなんて、誰も信じていなかった。
まさと ぼくはずっとプロ野球選手になりたかった人間ですから。でも190人はいてる興國高校の野球部に入って、練習試合ですげえピッチャーの球を見た瞬間にわかったんです。「3年間ここでどんなにしんどい練習しても、この球打てない」って。ちなみにそのときのピッチャーは、のちに阪急に行った山口高志さんでした。そういう意味では高校1年生ですでに決断はできていて、これから何かをしなくてはいけないという思いだけは強かったんです。そしてその後漫才の道を選ぶわけですが。

おさむ 相棒がいた頃の野球部は大変だったと思いますよ。朝から夜まで練習、練習で水飲むなの時代だったから。
まさと 人生の中で1年間だけ記憶を消してくれると言われたら、高校1年生の1年間を消してもらいたいね。毎日が怖くて嫌やった・・・。「集合!」という言葉が今でも怖いから。
おさむ あの当時の野球部は軍隊やから。
飛行機を止めた!?
「ザ・ぼんち」伝説

でもそんなふたりのコンビが売れるどころか社会的ブームを起こしちゃったわけですからすごいですよ! よく昔の芸能人の逸話で、ヘリコプターで移動したとか、電車や飛行機を止めたとか、いろいろ聞きますが・・・。
まさと それ、みんなやってましたね(笑)。ツアーで札幌から仙台に飛行機で行くとき、とんでもない霧の日だったんですけど、興業主の方が「ぼんちの仕事があるからとにかく降りてくれ」と機長にかけあって・・・。機長は「降りるか降りないかの判断は機長である私がします」と言ってたけど、結局引き返さずに5回チャレンジしてくれて、無理から着陸したんですよ。あんな景色は今まで一度も見たことがない。

おさむ あれは絶対チャレンジしたよな(笑)。
まさと あと羽田で飛行機が扉閉めて動いたあとから我々が搭乗口に駆けつけて、「ぼんちですから乗せてください」と掛け合ったこともあるね。本当は絶対にダメなんですが、そのときは戻ってくれました。その代わりあとで腐るほど怒られましたけど(笑)。3年とちょっとはそんな生活を送らせていただきました。
売れたら衣装にももっとお金かけられるし、おさむ師匠的には嬉しい日々だったんじゃないですか?
おさむ そうやね。仕立て屋さんに行って、お洒落な服を上から下まで注文できるようになったし。芸人はセンス悪いと説得力ないんで、そんなところでは絶対に買わない。それで「ハーバード」(※)というブランドにも衣装提供してもらえるようになったんです。
※ハーバード/1980年代に人気を博した日本発のアイビー&トラッドブランド。当時は学生服メーカーがトラッドブランドを始めるケースが多く、ハーバードの母体も「トンボ学生服」だった。ふたりの全盛期の舞台衣装は、かなりの割合でこのブランドが提供していたという。ちなみに今回衣装協力もしてくれた恵比寿のショップ「Pt.アルフレッド」の店長である本江浩二さんはハーバード出身! ふたりにブレザーを届けに行ったこともあるらしく、着丈の短さにこだわるおさむ師匠の姿を目撃しているのだとか。
まさと 当時ヨットパーカには助けられたね。漫才ブームの時代、東京に3〜4日くらい出張するときは、スーツ2着、パーカ1着を持って行って、着る服に困ったらパーカでごまかすというか(笑)。いつもいつも生放送で同じ服を着ていられないからね。
そんなブームの絶頂期、1981年につくられたレコードが、80万枚売れたという『恋のぼんちシート』と、アルバムの『BONCHI CLUB』というわけですね。これはどんな流れでリリースされたんですか?



おさむ もともとフォーライフ(フォーライフ・レコード)の企画で、近田春夫さんに話が流れて、面白いからやってみようとなったんです。あの方、本当にセンスがありますよね。
今でも大活躍されていますからね。しかし『MEN’S CLUB』をパロディにしたジャケ写やライナーノーツといい、ふたりのスタイリングといい、めちゃくちゃお洒落なレコードですよね! しかも編曲は鈴木慶一さん、演奏しているのはムーンライダース・・・超豪華だなあ(笑)。「ザ・ぼんち」は武道館でライブをやったお笑い芸人の先駆けですよね!?
まさと 飽きさしたらあかんと思って、わーってやったのは覚えてます。ムーンライダースはレコーディングのときに弾いてくれただけですけど(笑)、やっぱりそこは近田春夫さんの演出力ですね。
おさむ あのときの服はほとんど自前ですね。ジャケット写真で付けているカレッジリングは、ダイヤモンド入れてオーダーしたものです。アイビーはカレッジリングやから。
いや、袖口から覗くシルバーのIDブレスレットといい、これはプロが見ても唸るスタイルですよ・・・。やっぱり当時はファッションから入ってくるファンも多かったんですか?
おさむ もちろん。ダブルのニューポート(くろすとしゆきさんは4つボタン・ダブルブレストのブレザーをこう名付けた!)なんかはものすごく売れたらしいですよ。ニューポートは着丈がちょっと短いのがいいんです。
まさと 折り返すとチェック柄が出てくるパンツも、あの頃よう真似されたね。ワッペンがたくさんついたスタジャンなんかも、ぼんちの影響でよう売れたらしいです。

写真提供/吉本興業

やっぱり当時はおモテになられたんですか(笑)?
まさと もうふたりとも結婚して子供もいたからね。
漫才ブーム時代の芸人さんたちの豪快な遊び方は、もはや伝説になっていますが、すでに皆さんは落ち着いておられたんですね。
まさと さすがに清廉潔白とは言えませんが(笑)、ぼくらは家に帰って子供の顔を見たいから、朝一番の飛行機で家に帰って、8時すぎに家に帰って、たとえ15分でも子供と遊んでシャワー浴びてからまた飛行機に乗って次の仕事に行く、みたいなことは意識してやってましたよ。

生き方も上品だったんですね!
まさと ハハハハ! でも確かにおっしゃるように、他の漫才師の皆さんよりは、若干は緩やかな生き方をしていましたね。
おさむ 休みは全く取れなくても、2時間大阪でロケがあればちょっとでも嫁さんに会いに家に帰ってたね。ふたりとも、アルバイトしてるときに結婚した奥さんだから大切にせな。
アイビーも漫才も
絶対に廃れない!

筋が通っているんだなあ・・・。でも、お笑いにもファッションにもトレンドがあって、数年後には漫才ブームもアイビーブームも終わっちゃうわけですよね・・・。おさむ師匠はそういうとき、別のトレンドに乗り換えるようなことはなかったですか?
おさむ それはないですね。また時代は巡ってくるだろうと思ってたし。
なるほど・・・。そうして2025年、おさむ師匠が大好きなアイビーファッションも、「ザ・ぼんち」の漫才も、まさに再び巡ってきましたよ! この間の『THE SECOND』も、ギラギラした若い芸人たちがいる場所に打って出て戦うというのが本当にすごい勇気だなと思って。しかも実際にウケているわけですから。
まさと 最初はご批判もありましたよ。70歳まわった人間が勝てるわけないって。
おさむ 若い人の場所を荒らしたらあかんとかね。
そんな人もいましたか?
まさと Xでは否定的な声が多かったですよ。でも実際にぼくらが出たら、褒めてる言葉がズラッと並ぶようになって、涙がでるほど嬉しかったです。
いや、本当に素晴らしかったですよ! 昔のまんまの勢いと、円熟の味が融合された素晴らしい〝芸〟でした! ふたりの漫才がもつ品みたいなものに、ようやくみんなが気づいた瞬間だったんじゃないかなあ・・・。
おさむ ぼくは昔から自分がバカになることや、自分をいじめることは全然平気だったんですけど、ひとを責める漫才はずっと苦手やったんです。やっぱり漫才はスマイルがいいよね。



- 55周年記念ライブ開催決定!
『ザ・ぼんち 芸道55周年単独ライブ~漫才はとまらないッ~』
開催日:2025年12月14日(日)
時間:開場18:00/開演18:30
場所:ルミネtheよしもと(東京)
出演:ザ・ぼんち、笑福亭鶴瓶、NON STYLE、ミキ、他
料金:前売・当日5,500円
大阪の興國高校を卒業したぼんちまさとと里見おさむが1971年に結成したコンビ。1980年に関西テレビの『花王名人劇場』やフジテレビの『THE MANZAI』で大ブレイクを果たす。1981年にはレコード『恋のぼんちシート』も大ヒットし、同年7月には日本武道館でコンサートを開催するなど、その人気は社会現象化。「第16回上方漫才大賞」で大賞を受賞。1986年に一度解散するも、2002年に再結成。上方漫才師としては初めて、2018年の「第73回文化庁芸術祭」大賞を受賞。今もなお若手と同じ舞台に立ち、笑いの最前線で漫才を続けている。